イギリス日記は一旦お休みしてちょっと日記を書こうと思う。
今日、余りに衝撃的なニュースを見たからだ。
昨日、とある用事で(この日記も機会があれば書こうと思う)17時半ごろJRの山手線、高田馬場の改札にいた。
すると、けたたましい、独特の緊迫感のあるアナウンスが流れた。
“山手線外回りは人身事故のため、運転を見合わせています”
まぁ、よくあることだし、止っているのは池袋~高田馬場間であった。
高田馬場から新宿に行くためには何の影響も無かった。
また人身事故か…そのときはそれ以上の感情を抱くことは無かった。
しかし、今朝ニュースを見て愕然とする。
…昨日、17時ごろJR山手線目白駅で死亡事故が発生しました…
俺があのとき偶然遭遇した運転見合わせの原因に間違いない。
なんと俺があと高田馬場にいたとき、現場では目を覆うような大惨事が起こっていたのである。ひとつ隣の駅で。
当然人が亡くなっているとのことで、その作業も行われていたはずである。
余りに近いところでそのような事故が起こっていてことを知って少し恐ろしくなった。
これは知らなかったほうが幸せだったのかもしれない。
これだけでもかなり印象に残ったのだが、それに加えてもう1つの事実が更に衝撃的だったのでこうして今日の日記として書いているわけだ。
そのニュースはこう付け加えていた。
…(亡くなった方)は目が不自由で、ホームの反対側の電車に乗ろうとしてホームに転落して事故にあったとのこと。一緒にいた妻も目が不自由でした…
この追記の何が衝撃的だったのかというと、その亡くなった方の名前だ。
ここにその名前を記すようなことは避けるが、やはり印象に残る。
見た人であれば俺と同じような印象を抱く人も少なくないのではないか。
余計な心配というか想像をしてしまった。
やはり、先天的なものだったのだろうか…
その名前にこめられた願いはどのようなものだったのだろう…
そして、この事故が起こってしまったなんていう余りに皮肉的な惨事。
とても暗澹たる気分になった。
何が悪かったのかを独断的に判断することが出来ないので、今抱いている複雑な感情をどうすればよいのかが分からない。
ただ今のところ日記として書いとくことでしかこの気持ちを整理できなそうだったので、こうして俺の記録に残しておくことにした。
今日、余りに衝撃的なニュースを見たからだ。
昨日、とある用事で(この日記も機会があれば書こうと思う)17時半ごろJRの山手線、高田馬場の改札にいた。
すると、けたたましい、独特の緊迫感のあるアナウンスが流れた。
“山手線外回りは人身事故のため、運転を見合わせています”
まぁ、よくあることだし、止っているのは池袋~高田馬場間であった。
高田馬場から新宿に行くためには何の影響も無かった。
また人身事故か…そのときはそれ以上の感情を抱くことは無かった。
しかし、今朝ニュースを見て愕然とする。
…昨日、17時ごろJR山手線目白駅で死亡事故が発生しました…
俺があのとき偶然遭遇した運転見合わせの原因に間違いない。
なんと俺があと高田馬場にいたとき、現場では目を覆うような大惨事が起こっていたのである。ひとつ隣の駅で。
当然人が亡くなっているとのことで、その作業も行われていたはずである。
余りに近いところでそのような事故が起こっていてことを知って少し恐ろしくなった。
これは知らなかったほうが幸せだったのかもしれない。
これだけでもかなり印象に残ったのだが、それに加えてもう1つの事実が更に衝撃的だったのでこうして今日の日記として書いているわけだ。
そのニュースはこう付け加えていた。
…(亡くなった方)は目が不自由で、ホームの反対側の電車に乗ろうとしてホームに転落して事故にあったとのこと。一緒にいた妻も目が不自由でした…
この追記の何が衝撃的だったのかというと、その亡くなった方の名前だ。
ここにその名前を記すようなことは避けるが、やはり印象に残る。
見た人であれば俺と同じような印象を抱く人も少なくないのではないか。
余計な心配というか想像をしてしまった。
やはり、先天的なものだったのだろうか…
その名前にこめられた願いはどのようなものだったのだろう…
そして、この事故が起こってしまったなんていう余りに皮肉的な惨事。
とても暗澹たる気分になった。
何が悪かったのかを独断的に判断することが出来ないので、今抱いている複雑な感情をどうすればよいのかが分からない。
ただ今のところ日記として書いとくことでしかこの気持ちを整理できなそうだったので、こうして俺の記録に残しておくことにした。