SAMMYのみちくさ日記

「気まま」に「みちくさ」しながら、ありのまんま思ったことを無精者が書いてるブログです(^_^)v

きょうと。

2019年12月04日 | Michi-kusa
京都市に住みながら、年々京都市に魅力を感じなくなってきた。京都への観光客が多すぎる。

京都と漢字で書くのではなく、kyotoなんだろうな・・・。

仕事、そして、住むには、京都は便利な都市。暮らすには、都合のいい都会って感じがしています。


観光客がやってくるってことは、京都にとっては良いのかもしれない。

いい面もあれば、そうでない面も同時に起こっているように思える。


そのきっかけが、伏見稲荷大社だった。


毎月、山頂にあるお社まで参拝することが、我が家では恒例となっていました。
父が自営業をしていて、お店にお稲荷さんを奉っているということもあり、小さな頃から山頂の一ノ峰へ参拝する習慣があったのです。結婚して、実家を離れても、それは続けていました。


それが、どうだろう・・・。
伏見稲荷大社がトリップアドバイザーってやつで一位をとった頃から観光客がかなり多くなってきた。
そんな状況でも数年間は、参拝を続けましたが、あまりの人の多さに伏見稲荷大社から心が離れ、気持ちが向かなくなりました。


信仰心とは少し違うと思うんですが、僕のなかで、頂上までの道中は、自分と向き合う時間でした。
一歩、一歩、足元を見ながら、そして、行き先を見ながら、進んでいく。
ただそれだけを続ける。
そうやって進んでいくと、やがて山頂に着く。たまに、すれ違う人と挨拶をかわすことで、人の気持ちに触れることで嬉しさを感じる瞬間もありました。
僕にとっては、伏見稲荷大社へ行くことは観光ではなかった。
その地が、人によって観光化されてしまって残念な気持ちを抱いた。他の場所でも同じことを感じた。


街に出かけてお店に入っても、商品案内や説明など外国語対応されている店舗が多い。こちらも観光化。パンフレットなども日本語版はなく、外国語版が陳列されていたりする。僕たちもパンフレットで知りたい情報はあるんですけどね~。対象が違ってきてるのかな?

中には、見るからに観光客とわかる人にだけ、“いらっしゃいませー”と接客するお店もかなり見受けられた。この店員さん、挨拶するんや~(笑)
お店に入っていても、何か寂しい・・・。


こんなにも接客の視点が変わってきてるんかぁ~って残念に思った。
一部であってほしいけど、そうでもないようにも思った。


古都京都。
そのように呼ばれていたのになぁ。
今はどうなんかな?
“うーん?”ってクエスチョンマークが出てきます。


《古都》って漢字の中に疑問の“ん?”を入れると。
《古ん都ん》。
ひらがなに変換すると?
《こんとん》(笑)
漢字に変換すると?
《混沌》になっちゃった(笑)


観光化は、ますます進む・・・。
だろうな。

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