南禅寺から水路に沿って歩を進めました。行き止まりまで、とりあえず行ってみよう!という気持ちで(笑)
それがですね~。
行き止まりではなかったんです(笑)
視界が開けました(^_^)
何やら施設を発見!
「関西電力」の文字。
ここが蹴上発電所なのかな?
眼下には、市内に向かって、かなりデカイ!長い!配管があった。蹴上発電所送水鉄管というものらしい。
施設を通り抜けると広場に到着。
滝のような・・・何とも落ち着く流れ。
こんな光景が、こんなところにあったんですね(^_^)
あれ?ここ蹴上?
行き止まりと思って歩いてきましたが、蹴上のインクラインまで続いていました。
ひとつ学びました(笑)
田邊朔郎の像を発見!
わが国土木技術の黎明(れいめい)期を開拓した偉大な先覚者であると同時に、近代都市京都の基礎をつくった人物とのこと。
世界で二番目の水力発電をこの蹴上の地に実現し、産業動力源とするとともにわが国初の路面電車を京都に走らせた方だと紹介されていました。
蹴上船溜にあったこの木造船(三十石船)は、明治23年に竣工した琵琶湖疎水で使用されていた運輸船を復元したもの。
当時は、船ごとインクライン(傾斜鉄道)の台車に載せて、高低差の大きい(約36m)蹴上船溜と南禅寺船溜までの間の坂を昇降させていました。
降った先は、正面に動物園が位置する南禅寺船溜でした。
この船溜は、インクラインの順番待ちをしている船の溜まり場だったようです。
そして、写真の右側にある噴水は、琵琶湖疎水の水が使われていて、電気の力を一切使わず、管の中に自然に生じる圧力を利用して吹き上がってます。
今度は、ゆっくりと琵琶湖疎水記念館で当時のことを知りたいと思います。
僕は「インクライン」っていう言葉の響きを頭の片隅にずっと持ち続けてきました。
小学校?中学校?で習ったのか?来たことがあるのか?その記憶もなく、響きだけが残っていたんです。ようやくこの地に来られました(^_^)v
今回の南禅寺から蹴上までのぷらり。
実際に歩いて、見て、京都の一部を知ることができました。
明治から昭和にかけては、琵琶湖疎水を通航する運輸船により、滋賀と京都の物資(米・薪炭・醤油・酒など)の物流が盛んに行われていたらしいです。また、この疎水工事により殉職された方々のことも忘れてはならないことだと思いました。
まだまだ知らないことが多い観光地京都。
次は、どこにしようかな?
あっ!これも追記しておきます!
京都は滋賀へ毎年2億3000万円の「琵琶湖疎水感謝金」が支払われていることも知ったのでした(笑)
長文を読んでいただき、ありがとうございましたm(_ _)m