7月末に発症した《左突発性難聴》。
その1ヶ月を回想してみました(((^_^;)
仕事を休みました。
歯を磨く。トイレへ行く。
ご飯を食べる。お風呂に入る。
これ以外、ほとんど動かずベッドに横になっていました。医師から言われた「安静」。これが、自分なりの安静というものでした(笑)
この記事は、ただ寝て、何もしていない日々とその後のことを書いた「とりとめのない長文」です。
お時間があれば、お付き合い下さい(^_^)
今は、暑い中、外で働いています。
その日々は、目を閉じて横になる毎日でした。
窓を開けて、部屋に入ってくる光を感じ、風を感じ、8月の夏の暑さを感じていたわけです(笑)
目を閉じながら、耳に入ってくる自然の音を聞いていました。
ボォ~っと。
ただただ、耳をかたむけていました。
そして、意識して「呼吸をする」を続けていました。
朝は、蝉の鳴き声で目が覚めた。カーテンの隙間から入ってくる朝の冷ややかな風を感じながら、生き物の生命の勢いは、すごくて、賑やかでした。そして、人の声が聞こえ出し、車やバイクの走る音がして、生活が始まったような感じがした。お昼頃は、食器の音や料理をする音が聞こえてきて、いいにおいが漂ってきた。そのにおいに誘われて空腹を感じました。そして、夕方に近づくにつれ、蝉の鳴き声と共に人が移動する音が混在して、何となく、せわしない感じがした。日が暮れると、目を閉じても光が感じられなかった。当然のことです(笑)瞼の中は、暗闇。せわしなかった外の音も静かになり、クールダウン。1日が、過ぎ去ろうとしていました。そう思うと、今度は、寂しさを感じた。
こんな1日の中で、いつの間にか、眠りについて、そして、また、目を開ける。
呼吸をすることでお腹が膨らむ。
そして、ちぢむ。
手を広げる。そして、握る。
指を伸ばす。そして、曲げる。
足を上げる。そして、下げる。
やることがなくて、暇だから(((^_^;)
一つ一つの動きや感覚を感じとることをやっていました。
そして、自分の心臓の音を感じていた。
そんなことを繰り返す日々でした。
気づいたことがある。
それは、僕は小指が立たない!ってこと。
一度、手を握り小指を立ててみて下さい(笑)
きっと、白い所に小指があると思います。
かみさんは、小指が立てられた(笑)
僕の中の普通が、普通じゃーなくなった瞬間をベッドの上で知ったのでした(笑)
スマホの電源も切っていた。
いつも観てる画面なのに、目に飛び込んでくる情報が、しんどかった。自分から疲れに行かんでもええかなぁーって思った。
無くても大丈夫でした(((^_^;)
1日がものすごく短いと思った。
目を開けて、ただただじっと空を眺め続けて、目を閉じて、耳をすまし、手を、お腹を、足を動かしてる感覚を感じとるだけなのに(笑)
そのおかげで、小指が立てられない自分を知ることができたのは、人間的進歩(笑)
突発性難聴は、早めの処置が大切とのこと。それを聞いたとき、すぐに治療に行って良かったと思った。
数年前まで、毎月のようにライブハウスでライブをして「耳キーン」状態を経験してきたけど、今回のような耳の状態(塞がれたような閉鎖感)になったことがないので、きっと金曜日が発症日なんだろうなと勝手に思ってます。
週に一度、検診に行き聴力検査を受け内服による治療を続けました。不味くて苦いゼリーなどの薬の効果もあって、少し聴力が戻ってきているように検査のグラフから読み取れますが、本人にはその実感はありません。薬の量も追加されながらの治療。
仕事を休み、その後2週間ほど内勤が続き、通常の業務に戻りました。
そして、治療の結末は、高音域が完治せず、耳鳴りが残ったままフェイドアウト。回復しませんでした。
これからもこの症状と付き合っていくことになり、稀に「突発性難聴」が再発することがあるそうで、その時は「メニエール病」という診断になるそうです。
目を閉じて安静にしてた時、
自分の身体に感じる心臓の音が《今を生きてる》ことを繰り返し教えてくれていました。
年齢、仕事、音楽、プライベートでのことなど発症要因となることは、多々あると思います。自分でも特定できません。
今も心身に色々と起こってます(笑)
この時期に、このタイミングで起こっているこの現状に、そして、この結末に理由なく苛立ちもするけど、その弱さも含めて、自分自身を受け入れられるように日々、心身のバランスをゆっくり整えていこうと思っています。
面白いことに、今の季節、かみさんに聞こえて、僕には聞こえない虫の音色も存在しています(笑)この時のことを忘れないように、ここに書き留めておきます。
とりとめのない長文になりましたが、最後まで、おつきあいいただき、ありがとうございました。