1月8日、73回目の誕生日を迎えることができました。支えていただいたみなさま方に感謝いたします。多くの方から温かいメッセージをいただきました。激励の言葉と受け止め心の奥に強く刻み明日へと進んでいきます。
辛かったのは父親が亡くなりパーキンソン病の母親の介護の時でした。何もかもが重なり八方塞がりでした。今でもはっきり覚えているのは研修の帰りJRの駅で体が自然に入ってくる電車に向かっていたのです。ハッと気がついた自分がいました。すべてが消えた一瞬でした。迷惑をかけたのはアルコールです。弱い自分を誤魔化す魔法の薬でした。そんな凸凹道をバタバタ喘ぎながら今ここにいます。相棒LEO君ともども今後ともよろしくお願いいたします。
わたし遺産
暗いこわい占領時代かな。真っ黒いでかい奴がジープで見張っている。五日市街道は軍事トラックがひっきりなし。上空は輸送機が爆音を立てて立川飛行場に。たった70年前の出来事が嘘のように。この小さな貧乏人の息子は、戦争に負けた悔しさがいっぱい。
武蔵野の自然
畑と雑木林、その向こうに奥多摩の山が見え、富士山がどーんと構えていた。玉川上水、細くて急流。小金井桜に江戸中の人が来ていた。子供たちの遊び場。新橋から飛び込み、俺は怖くてできなかった。自殺の名所で太宰は有名。土左衛門が上がったと聞けば境橋まで見に行く。夜が怖くて。小川はタニシやエビがにが。唱歌にあるような景色だった。
働きもの母ちゃん
6畳一間に5人家族。父ちゃんは大工。雨が降れば仕事変更で競輪競馬に。大酒飲みときている。母ちゃんは内職や編み物など動きっぱなし。漬物がうまかった。白菜は人気があり近所中に配った。大きな漬物樽、重石はどこに。