○ぐっと迫るものがある、ぜひみなさんも一読を
希望というキーワードがなぜか気になる自分。
自分の「高齢者」という立場からくるものなのだろうか。
「社会的な背景」からくるものなのだろうか。
希望というとなぜか自然に夢が一緒に現れてくる。
そして同時に道が浮かんでくる。
魯迅が浮かんでくる。好きな言葉だ。
希望とは、もともとあるものとも言えぬし、ないものとも言えぬ。
それは地上の道のようなものである。
地上にはもともと道はない。
歩く人が多くなれば、それが道となるのだ。
私の座右の銘は「継続は力なり」です。
元校長の飯田吉郎先生から学んだ言葉です。
希望というのは「諦めない」ことなのかもしれない。
自分にとっての「希望はどこに」を探し求めてみたい。
■希望はどこに<1> 水野良樹さん、森下佳子さん(耕論)
景気は上向きらしい。株価は上がり、就職だって悪くない。なのに、将来への漠然とした不安が消えない。誰もが「どう生きるか」に迷い、悩んでいる。先が見えない、分かり合えない時代。だからこそ、考えてみよう。ほんとうの「希望」のありかを。
http://news.asahi.com/c/altbahj6nj79o9ac
■希望はどこに<2> 菅本裕子さん、羽賀翔一さん、吉藤健太朗さん(耕論)
失敗から、立ち直ろうとするとき。生き方を迷い、心に悩みを抱えているとき。孤独を感じて苦しんでいるとき。人は、どのように「希望」を見いだしていけばいいのでしょう。20〜30代の表現者たちは言います。テクノロジーや他者の力を借りながら、生きづらさを越えていく道もあるのだと。
http://news.asahi.com/c/altbahj6nj79o9ad
■希望はどこに<3> 中村太地さん、小林さやかさん、森山円香さん(耕論)
変化のスピードが速くなり、今まで信じられてきた価値が土台から揺らぐことも、珍しくない時代になりました。そのとき、従来の自分を引きずって不安にさいなまれ続けるのか、広がる世界に希望をもって新たな選択肢を生き抜いていくのか。決められるのは「自分」しかいない。20代を走り抜けてきた3人のメッセージです。
http://news.asahi.com/c/altbahj6nj79o9ae
■希望はどこに<4> 作家・朝井リョウさん(寄稿)
元号が変わる。そう確定したとき、平成という変化の多い時代を作家の目線で振り返ってほしい、という依頼が多く舞い込んできた。印象的だったのは、“平成という時代が終わろうとしている今、オールドメディアである出版業界に身を置く若者が語る”という先方が望んでいるらしき構図が、企画書や質問案の向こう側に透けて見えたことだ。
http://news.asahi.com/c/altbahj6nj79o9af
○観音院の石碑に武蔵野第二小学校発祥の地とある
https://ja.wikipedia.org/wiki/武蔵野市立第二小学校
72歳の報告に観音院に行ってきた。
裏に回り石碑を見ると武蔵野第二小学校発祥の地と刻まれている。
私は小学校3年まで武蔵野第二小学校に通っていた。
1955年(昭和30年)に境北小学校が分離。4年生から境北小学校に通学。
<沿革>1873年(明治6年)に榮境学舎として創立した小学校である。その後境学校、隆明小学校、武蔵野村第二尋常小学校、武蔵野町第二尋常小学校、武蔵野第二国民学校、武蔵野市立武蔵野第二小学校と改称し、1961年に現校名に改称して現在に至る。
小学校の思い出はとにかく遠かったこと。
桜堤三丁目は武蔵野市の一番外れ。小金井市、保谷市、田無市との境。
玉川上水の土手を歩いて都立武蔵高校が見えるとやっと安心する。
古い校舎だったな。運動会の思い出がかすかにある。
66年前のことだから・・・。発祥の地か。