輝ちゃんつれづれに 

インスタ・LINE、スレッズ、mixi2を始めました。楽しかったこと、残しておきたいことを自分の言葉で書き込みます。

どたばたしても 自分のペースで

2014年08月06日 23時32分30秒 | 日記

岳南鉄道 ゆでたこ先生 思い出すな!

朝日新聞 8月5日 夕刊 

ひとえきがたり 岳南原田駅(静岡県、岳南電車

 

 

 

日産自動車吉原工場の日産工手学校吉原分校にスクーリングで行った。

昭和47年(1972年)には担当になり、河野先生に本当にお世話になった。

宿泊での出張。宿泊先は入船旅館。銭湯も兼ねていた。宿泊客は裏から銭湯に入れた。労働者の汗でお湯の色が見えなかった。汚いこと!その日はおっかない先生と一緒になった。数学の盆子原先生。酒は一滴もなまない。頑固。その日に限ってビールコップ一杯で私に戦争の話をしてくれた。戦争で左腕を無くされている。真っ赤なゆでたこみたい顔をして。緊張して聞いていたので内容は全く覚えていない。戦争の話を語ったのは初めで最後であったという。(お通夜の時ご家族に聞いた)貴重な体験をしたんだ。

岳南鉄道吉原本町駅で降りたと思う。写真のような情景を覚えている。夕焼けと煙突の煙。製紙工場の煙突と煙は寂しさを表現していた記憶がある。公害が叫ばれていた時代。

 

 

つづけることのたいせつさ 吉永小百合さん

吉永小百合さん「どんな状況でも、核兵器はノー」

原爆詩の朗読を続ける吉永さんの広島、長崎、福島を語るインタビューだ。

http://digital.asahi.com/articles/ASG847F05G84PTIL037.html?iref=comtop_fbox_u03 

 

「(私自身も)父親が戦争に行き、たまたま病気になって船を下ろされ、帰ってきたから、私が生まれたんです。もし戦争に行っていれば戦死していたと思うし、私という人間はこの世に存在しなかった。生まれてきたことへの感謝をいつも持っていないといけないと思いますね」

 

今年も鎮魂の夏が巡ってきた。今の思いを色紙に書いてほしいと依頼した。そこには、「いつまでも 語り継ぐ」と書いてあった。

 

 

 

 

吉永さんは1945年3月生まれ、俺は1946年1月生まれ。吉永さんは俺たちの時代にとって輝く存在だ。茨城県日立市の吉田正音楽記念館で映像を見たときは口では表現できない喜びを感じた。時代背景が走馬灯のようにまわり・・・。(いつでも夢を)夢千代日記の歌詞が大好き。

 

 

 

輝ちゃんの8月6日 熱中症危険

 

三島由紀夫著「豊饒の海(三)暁の寺」は難しい。

転生、輪廻、ヒンズー教、仏教、タイ、印度・・・さっぱりわからない。

分からいながらもとにかく読んでいこう。

 

暑すぎる。さすがにクーラーを入れないと何もできない。

何をやるか。やりたいことは山のようにある。目の前の課題は?

こういう時こそホームページの制作だ。

テニス関係のDATAを整理しよう。親睦会とキャンプの二つの分野に。

清板コーチとは30年の付き合いになった。

テニスと接し多くの人を知ることができ世間知らずもちょっと直ってきたか。

初めてテニスキャンプに行ったのは昭和58年8月の河口湖。

写真を見ればどうだったのかわかるでしょう。

 

    

 

風が熱風からちょっと変化したので大沢の里を散歩してきた。

生ぬるい風が吹いてくる。汗もべたっとしている。

文句を言わずに歩こう。ピッチをあげる。

先日誰かに言われた。「好きなことができる」ことが一番幸せなんだと。

胸に手を当てて自分に言い聞かせた。

 

 

 

富士山がちょこっと顔を見せてくれた。嬉しい!最高!

3か月管理人見習いをした公園事務所前でメールを打つ。

 

  

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