1944年、サイパン失陥やレイテ沖連合艦隊壊滅を契機として、日本は対米英講和を結ぶ(降伏する)こともできたはず。されば沖縄戦も原爆投下もなく犠牲者は大幅に少なかったはず。
1944年、ドイツに比べればまだよほど余裕ある戦況下で日本が対米英講和を結んだ(降伏した)としたら、バドリオ政権にも劣る卑怯者として子々孫々軽蔑される国になっていたはず。(あの腰抜けのイタリアですら単独講和したのは本土決戦が始まってからだった)
さあ、人命を選ぶ? 名誉を選ぶ?
前者だと言い切れる人は少ないのではなかろうか。原爆投下まで頑張らねばならない運命は、1941.12.11.の日独伊単独不講和協定の瞬間に決まっていましたナ。(だから「しょうがない」……。)
1944年、ドイツに比べればまだよほど余裕ある戦況下で日本が対米英講和を結んだ(降伏した)としたら、バドリオ政権にも劣る卑怯者として子々孫々軽蔑される国になっていたはず。(あの腰抜けのイタリアですら単独講和したのは本土決戦が始まってからだった)
さあ、人命を選ぶ? 名誉を選ぶ?
前者だと言い切れる人は少ないのではなかろうか。原爆投下まで頑張らねばならない運命は、1941.12.11.の日独伊単独不講和協定の瞬間に決まっていましたナ。(だから「しょうがない」……。)