『多宇宙と輪廻転生――人間原理のパラドクス』(青土社)刊行記念
若島正氏とのトークショウ
が12月20日に催されました。
(於 東京堂書店 神田本店)
●●控え室で会うなり早速の若島氏の質問兼指摘――
「『可能世界の哲学』で支持していた様相実在論を、今回三浦さんが撤回したというのは終章の注でわかりました。けれどもう一つ、『論理学入門』で支持していた終末論法については、今回は間違っていることを示そう示そうとあれこれ努力しているようだけど、これはどうなってるんですか?(『論理学入門』のは終末論法の支持ではなく単なる紹介でしたか?)」
さすがは若島さん、鋭い。
『論理学入門』では、終末論法を人間原理的論証の正しい例として紹介しました。その終末論法についても私が考えを変えたことは、明記せぬまま、本書の重要なモチーフになっています。
終末論法と様相実在論は間違っている、これが私の現在の確固たる立場です。
が、これが決定版となる保証はありません。
『多宇宙と輪廻転生』では、終末論法が真であるための条件をも示したため、そのような条件をクリアした「新・終末論法」が可能かもしれません。また、様相実在論については、人間原理的なデータがその結論を反証していることだけを述べた、つまり経験的反駁にとどまったので、様相実在論の論理的反駁は行なっていません。
「新・終末論法」の検討、様相実在論の「論理的・哲学的反駁」は、今後に残された課題です。
●●なおもう一点、若島氏のコメントで、私がとっさにうまくフィールドできたと言いがたかったのは、次の質問でした。
「輪廻転生を認めるにしても、複数回「私」が生まれればよいだけなので、「常に」私がいる、とまで考える必要はどこにあるか?」
↑については、『多宇宙と輪廻転生』の数箇所(主に第11章4節)で触れはしたものの、論証を構成しはしませんでした。
↑を主題的に論じた論考としては、→この論文←をご覧ください。
この論文と「「意識の超難問」の論理分析」のどちらを『多宇宙と輪廻転生』付論に採録しようかと考えた末、より啓蒙的な「「意識の超難問」の論理分析」を選んだ、という経緯でした。慧眼な読者に対しては、こちら「概念的命題、反経験的命題の確率的確証」を載せておいたほうがスッキリしたかもしれませんね。
――当日の配布プリント――
――目次――
若島正氏とのトークショウ
が12月20日に催されました。
(於 東京堂書店 神田本店)
●●控え室で会うなり早速の若島氏の質問兼指摘――
「『可能世界の哲学』で支持していた様相実在論を、今回三浦さんが撤回したというのは終章の注でわかりました。けれどもう一つ、『論理学入門』で支持していた終末論法については、今回は間違っていることを示そう示そうとあれこれ努力しているようだけど、これはどうなってるんですか?(『論理学入門』のは終末論法の支持ではなく単なる紹介でしたか?)」
さすがは若島さん、鋭い。
『論理学入門』では、終末論法を人間原理的論証の正しい例として紹介しました。その終末論法についても私が考えを変えたことは、明記せぬまま、本書の重要なモチーフになっています。
終末論法と様相実在論は間違っている、これが私の現在の確固たる立場です。
が、これが決定版となる保証はありません。
『多宇宙と輪廻転生』では、終末論法が真であるための条件をも示したため、そのような条件をクリアした「新・終末論法」が可能かもしれません。また、様相実在論については、人間原理的なデータがその結論を反証していることだけを述べた、つまり経験的反駁にとどまったので、様相実在論の論理的反駁は行なっていません。
「新・終末論法」の検討、様相実在論の「論理的・哲学的反駁」は、今後に残された課題です。
●●なおもう一点、若島氏のコメントで、私がとっさにうまくフィールドできたと言いがたかったのは、次の質問でした。
「輪廻転生を認めるにしても、複数回「私」が生まれればよいだけなので、「常に」私がいる、とまで考える必要はどこにあるか?」
↑については、『多宇宙と輪廻転生』の数箇所(主に第11章4節)で触れはしたものの、論証を構成しはしませんでした。
↑を主題的に論じた論考としては、→この論文←をご覧ください。
この論文と「「意識の超難問」の論理分析」のどちらを『多宇宙と輪廻転生』付論に採録しようかと考えた末、より啓蒙的な「「意識の超難問」の論理分析」を選んだ、という経緯でした。慧眼な読者に対しては、こちら「概念的命題、反経験的命題の確率的確証」を載せておいたほうがスッキリしたかもしれませんね。
――当日の配布プリント――
――目次――