研究会「涼宮ハルヒ」(人文死生学研究会番外編)
終了しました。
◆土居豊「涼宮ハルヒとランサム・サガ ――ライトノベルと児童文学の遠くて近い関係」
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前半:ハルヒセカイを他作品との構造的対応で捉えるための一つの事例的試案。
後半:西宮市の聖地支援事情。甲子園球場が翳を落としているとの説(なるほど・・・・・・)。聖地プロモーションの動機付けが聖地を擁する自治体ごとに異なるメカニズムを調べると面白いかもしれないと思わされた。
(ちなみに、今回被害に遭った京アニに対する支援態勢について、作品ごとにファンを類別したとき、コミットメントの統計的差異などもありそうな気がするが……)
なお、
ハルヒセカイにおける佐々木の意義については(
当日は語られなかったが)土居さん独自の探究を待ちたい。
https://ameblo.jp/takashihara/entry-12501921189.html
◆渡辺恒夫「二次創作がひらくオタク時代の死生観 ――長門有希とは誰のことか」
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トランスジェンダー→輪廻転生→人文死生学→夢世界実在論? 長門有希が夢見るか否かはともかく、現実経験と夢経験の現象学的相違として、「想像・記憶・予期と知覚とが現象的に区別できるか」は重要な問題。なお、二次創作が「研究」としての意義をどれほど主張しうるかはしばし見守りたい。
「長門戻った説(長門目覚めた説強化版)」への否定論渡辺版については要考察。
http://fantastiquelabo.cocolog-nifty.com/blog/2019/07/post-9227a5.html
◆三浦俊彦「涼宮ハルヒ、人間原理、バートランド・ラッセル」
(『エンドレスエイトの驚愕』以降の考察一端)
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ハルヒセカイとバートランド・ラッセル世界との構造的一致の開拓洗練を目指すも挫折。
(↓以下の
当日映写スライドp.20参照)
https://drive.google.com/file/d/1IEHwJWe1SW1SRhPFFFtw8bhxL66cBeAV/view?usp=sharing
(↑ハルヒセカイにおけるバートランド・ラッセルの重要性についてはスライドp.15参照)
当日の配布物
三浦俊彦「コンセプチュアルアート視のための諸条件――「エンドレスエイト」のカテゴリ違和」『哲学雑誌』 第132巻(2018年11月)pp.79-101
https://drive.google.com/file/d/11FzRkVmpX1gtbUyarcTz6lnssGiisLvJ/view?usp=sharing