やられたくないのにやらせたいやつとか。
人文死生学研究会(第15回)・心の科学の基礎論研究会(第79回)・合同研究会
表記の研究会を下記の通り、開催いたします。奮ってご参加下さい。
記
(日時)2017年3月25日(土) 午後1時半~6時(午後1時開場)
(会場)明治大学 駿河台研究棟2階・第8会議室
(研究棟はリバティータワーの裏手の12階建ての建物です。次の地図をご参照下さい。)
http://www.meiji.ac.jp/campus/suruga.html
(内容)1 「人文死生学の原理と方法(1)―自他の死の認識論的峻別から自他の自明性の裂け目へ」1時45分ごろから。
【話題提供】渡辺恒夫 (東邦大学/明治大学)
【討論】参加者による自由討論
2 「時間と自我の再考察~インド仏教からの視点」4時ごろから。
【話題提供】重久俊夫
【討論】参加者による自由討論
■(発表要旨1)「人文死生学の原理と方法(1)―自他の死の認識論的峻別から
自他の自明性の裂け目へ」
死生学が日本に導入されて久しいが、死にゆく他者を支援する技術(臨床死生学)としてもっぱら展開しており、肝心の自己の死という問題は置き去りにされた観がある。人文死生学は、自己の死について人文系諸学の成果を参照しつつ考え抜くための場として提唱され、今世紀初めから研究会活動を続けている。人文死生学を専門領域として確立するには二つの方法論的柱が必要となる。第一は他者の死と自己の死の認識論的な峻別による固有の領域の確保であり、第二は直接経験を超えた自己の死について思索するための方法論的工夫の開拓である。本発表では第一の柱に焦点を当て、一見たやすい他者の死と自己の死の認識論的峻別の困難は、他者と自己を峻別することの困難に根源があることを、明治大学での「認知科学」講義中の実験例を踏まえて明らかにする。自他の認識論的峻別への努力は自他の自明性に裂け目をもたらし、人間的世界経験の根源的パラドックス構造の自覚に至るが、そこから認知科学と現象学にとっての広大な探求領野もひらける。
■(発表要旨2)「時間と自我の再考察~インド仏教からの視点~」
我々の経験する世界が経験通りに成り立つための形而上学的条件は何か。この問いに対して、西田幾多郎は、すべてが汎神論的絶対者(絶対無の場所)に包まれてあることだと主張した。そして、さらに、それが成り立つためには、「矛盾」が許容されなければならないことも喝破した。
しかし、矛盾を許容することには、さまざまな難点が存する。それでは、矛盾を許容しなければどうなるか。そうした立場で、「一人称の死」を考察することが、本発表の目的である。結果として、「流れる時間」と「“私”の自己同一性」とは、文字通りには成立しないことが示されるだろう。こうした考えの導きの糸になったのは、インド仏教・中観派の思想である。本発表は、中観派(ナーガールジュナ)に対する“可能”な一つの解釈論でもある。
(参加資格)どなたでも参加できます。
・お願い! 研究会はお互いに学び合う場です。自説を声高に一方的に主張し続ける
ことは、ご遠慮下さい。
(世話人・代表)三浦俊彦
(世話人) 渡辺恒夫
(世話人) 蛭川 立
(世話人) 新山嘉嗣
(世話人・事務局)重久俊夫 ts-mh-shimakaze@yacht.ocn.ne.jp
心の科学の基礎論研究会に関しては、以下のHPをご覧下さい。
https://sites.google.com/site/epistemologymindscience/kokoro
表記の研究会を下記の通り、開催いたします。奮ってご参加下さい。
記
(日時)2017年3月25日(土) 午後1時半~6時(午後1時開場)
(会場)明治大学 駿河台研究棟2階・第8会議室
(研究棟はリバティータワーの裏手の12階建ての建物です。次の地図をご参照下さい。)
http://www.meiji.ac.jp/campus/suruga.html
(内容)1 「人文死生学の原理と方法(1)―自他の死の認識論的峻別から自他の自明性の裂け目へ」1時45分ごろから。
【話題提供】渡辺恒夫 (東邦大学/明治大学)
【討論】参加者による自由討論
2 「時間と自我の再考察~インド仏教からの視点」4時ごろから。
【話題提供】重久俊夫
【討論】参加者による自由討論
■(発表要旨1)「人文死生学の原理と方法(1)―自他の死の認識論的峻別から
自他の自明性の裂け目へ」
死生学が日本に導入されて久しいが、死にゆく他者を支援する技術(臨床死生学)としてもっぱら展開しており、肝心の自己の死という問題は置き去りにされた観がある。人文死生学は、自己の死について人文系諸学の成果を参照しつつ考え抜くための場として提唱され、今世紀初めから研究会活動を続けている。人文死生学を専門領域として確立するには二つの方法論的柱が必要となる。第一は他者の死と自己の死の認識論的な峻別による固有の領域の確保であり、第二は直接経験を超えた自己の死について思索するための方法論的工夫の開拓である。本発表では第一の柱に焦点を当て、一見たやすい他者の死と自己の死の認識論的峻別の困難は、他者と自己を峻別することの困難に根源があることを、明治大学での「認知科学」講義中の実験例を踏まえて明らかにする。自他の認識論的峻別への努力は自他の自明性に裂け目をもたらし、人間的世界経験の根源的パラドックス構造の自覚に至るが、そこから認知科学と現象学にとっての広大な探求領野もひらける。
■(発表要旨2)「時間と自我の再考察~インド仏教からの視点~」
我々の経験する世界が経験通りに成り立つための形而上学的条件は何か。この問いに対して、西田幾多郎は、すべてが汎神論的絶対者(絶対無の場所)に包まれてあることだと主張した。そして、さらに、それが成り立つためには、「矛盾」が許容されなければならないことも喝破した。
しかし、矛盾を許容することには、さまざまな難点が存する。それでは、矛盾を許容しなければどうなるか。そうした立場で、「一人称の死」を考察することが、本発表の目的である。結果として、「流れる時間」と「“私”の自己同一性」とは、文字通りには成立しないことが示されるだろう。こうした考えの導きの糸になったのは、インド仏教・中観派の思想である。本発表は、中観派(ナーガールジュナ)に対する“可能”な一つの解釈論でもある。
(参加資格)どなたでも参加できます。
・お願い! 研究会はお互いに学び合う場です。自説を声高に一方的に主張し続ける
ことは、ご遠慮下さい。
(世話人・代表)三浦俊彦
(世話人) 渡辺恒夫
(世話人) 蛭川 立
(世話人) 新山嘉嗣
(世話人・事務局)重久俊夫 ts-mh-shimakaze@yacht.ocn.ne.jp
心の科学の基礎論研究会に関しては、以下のHPをご覧下さい。
https://sites.google.com/site/epistemologymindscience/kokoro