最近、二度葬式に参列する機会があった。
一度目は、簡素化されていて良かった(?)
挨拶も短かったし、スクリーンの映写もなかった。
(参列者は多かった)
2度目は、喪主のご挨拶から家族の絆の強さを感じて
いい最期を過ごされたのだな、と思った。
棺に花を入れる時も、順番を待つ列ができていて
社会に貢献された方なのだろうと推察された。
以前は
受付で、前の人が書いた後に記帳するのが苦手だった。
(字が下手なので)
今は、カード形式になっていて
係りの人に見られながら書かなくてもよい。
いつも思うのだけれど
弔電の紹介は、「順番はランダムです」との前置きはあったが
やはり、政治家や肩書のある人から先に読まれる。
いつか、私が喪主になることがあったなら
届いた順番かもしくは、あいうえお順に名前のみで紹介してもらおう
(遺族には、どこの誰と分かるのだから)
一度目は、簡素化されていて良かった(?)
挨拶も短かったし、スクリーンの映写もなかった。
(参列者は多かった)
2度目は、喪主のご挨拶から家族の絆の強さを感じて
いい最期を過ごされたのだな、と思った。
棺に花を入れる時も、順番を待つ列ができていて
社会に貢献された方なのだろうと推察された。
以前は
受付で、前の人が書いた後に記帳するのが苦手だった。
(字が下手なので)
今は、カード形式になっていて
係りの人に見られながら書かなくてもよい。
いつも思うのだけれど
弔電の紹介は、「順番はランダムです」との前置きはあったが
やはり、政治家や肩書のある人から先に読まれる。
いつか、私が喪主になることがあったなら
届いた順番かもしくは、あいうえお順に名前のみで紹介してもらおう
(遺族には、どこの誰と分かるのだから)