ゆっくり行きましょう

気ままに生活してるシニアの残日録

映画「スペシャルズ!政府が潰そうとした自閉症ケア施設を守った男たちの実話」を観る

2023年09月15日 | 映画

映画「スペシャルズ!政府が潰そうとした自閉症ケア施設を守った男たちの実話」を再び観た、2回目だ。以前一度観てよかったのでもう一度観たくなった。2019年製作、フランス、監督エリック・トレダノ、オリビエ・ナカシュ、原題Hors normes。原題はグーグル翻訳で「並外れた」とでた。邦題に「実話」とあるので、実際にあったことなのだろう。

自閉症の子供を預かる無許可の施設「正義の声」を運営するブリュノ(バンサン・カッセル)と自閉症児の就職支援をする(と映画の中では言っていたと思うが)仲間のマリク(レダ・カティブ)。この2人は、国が運営する児童施設や病院、ケア施設などから見放された、あるいは受け入れ拒否された重度の自閉症児を引き受け、自立支援をしていた。その「正義の声」が無許可でずさんな児童の取扱いをしていると国の検査が入り、存続の危機になるが・・・

この映画を観ていると自閉症児をケアすることの難しさがよくわかる。通常の病院・施設であれば暴れたり手に負えない自閉症児は鎮静剤を注射して病室に閉じ込めるようなことをして済ませる。これではいつまで経っても自立は無理だ。この「正義の声」ではなるべく自閉症児に寄り添い、外に連れ出し、自然や動物に触れ、比較的軽度な人には電車に1人で乗せたり、会社にたのんで働かせたりしているが、実際には簡単ではない、電車に乗せれば被害妄想から非常停車ボタンを何回も押したり、会社で働けばやさしくしてくれる女性社員の背中に顔を埋めたりして、問題を起こす。自分自身を傷つけるようなことをする子供もいる。

親や施設などからも手に負えないと見放された自閉症児に愛情を持って接するには、高度な使命感がなければできないことだろう。頭が下がる思いである。この困難な仕事をしている人たちの中には、自閉症ではないが、世の中から見放されて、自分の居場所が見つけられないでいた人たちもいることが映画の中でちょっとだけ触れられている。そうなのかもしれない。自分たちが見放された存在だったからこそ、自分たちを人間として受け入れてくれ、自閉症児の支援をする仕事を与えてもらい、それを意気に感じて頑張って手伝う。立派な行為だ。主人公の2人がどうしてこの仕事をすることになったのかの事情が描かれていればさらによかったと思う。

見る価値のある映画だと思う。


映画「ちいさな独裁者」を再び観る

2023年09月12日 | 映画

以前観た映画で面白かった「ちいさな独裁者」(2017、ドイツ・フランス・ポーランド、監督ロベルト・シュベンケ、原題Der Hauptmann)を見直してみた。原題は「将校」とでも訳すのが適当か。

敗色濃厚なドイツでは、兵士の軍規違反が続発していた。命からがら部隊を脱走した21才の一兵卒ヘロルトは、偶然将校が乗った車が事故で放置されていた所に遭遇した。その車の中を調べてみると、軍服や軍隊手帳などの将校(大尉)の持ち物がそのまま放置されていた。機転をきかせたヘロルトはその軍服を身につけ大尉に成りすまし、道中出会った兵士たちを言葉巧みに騙して服従させていく。大尉の軍服の威力の味を知ったヘロルトは傲慢な振る舞いをエスカレートさせ、ついには脱走兵収容所にたどり着き、そこで思いもしないことを始めた・・・・

どうもこれは最後のテロップをみると実話らしいから驚きだ。大尉になりすましたヘロルトが何時バレるのかとハラハラしてみていると、みんなその制服と流ちょうな話しぶりにだまされ、信用して、ヘロルトの出す命令に従ってしまう。脱走兵収容所長がおかしいと思って電話で管轄の司法省に確認の電話をするが司法省も「私はゲシュタポの管轄下にある」などという説明に了解してしまう、異議を申し立てても審査する方もヘロルトの説明を信じてしまう、という信じられないことが起こる。

主人公のにせ大尉に対して最後までやっていることがルールに反しているとして抗議し、司法省に確認を求めた収容所長ハンゼンや一部の兵隊たちがいた一方で、にせ大尉の「自分は総統から直接指示を受けて後方の状況を調査している」という言葉を信じ、収容所長よりも上の総統からの指示ということに絶対服従をする収容所警備責任者ヒュッテなどがいた。ヒュッテは普段から所長とはうまくいっていないようだ。自分が警備責任者だったらどうしただろうか、考えさせられる。軍隊組織において、直属の上司の指示を無視してその上司より上だという初対面の将校からの指示だったら納得できないことでも従うか。そういう問題を突きつけている気もする。

ネタバレになるので結末を書くのはやめにしておくが、このようなことが実際に起こったというのが信じられない。多少の誇張などはあるだろうが、面白い映画だった。


映画「トルテュ島の遭難者たち」を観る

2023年09月09日 | 映画

柏のキネマ旬報シアターで「みんなのジャック・ロジエ」という特集をやっている。ジャック・ロジエは1926年生まれで今年6月2日に亡くなったフランスの映画監督だが知らなかった。享年96才。今日は、「トルテュ島の遭難者たち」(1976、仏、原題:Les naufrages de l'ile de la Tortue)を観た。これはロジエの長編第3作目。

ロジエはヌーヴェル・ヴァーグ初期の傑作「アデュー・フィリピーヌ」で知られる。輝く季節を軽やかに大胆に切り取る才能に、ゴダールは絶賛し、トリュフォーは嫉妬したという逸話をもつ寡作の天才、とパンフレットでは説明している。

トリッキーな旅行プランを企画する代理店のふざけた社員ボナヴァンチュール(ピエール・リシャール)は、カウンターで顧客のニーズにあったプランを提示するのが売り。そんな代理店で、ロビンソン・クルーソー体験ツアーが企画される、ロビンソン・クルーソーのようにカリブ海の無人島で気ままに1ヶ月暮らす企画を実行しようとするのだが現地に行く途中から大変なことに・・・・

ツアーに参加した客10人くらいを路線バスの運転手を買収してチャーターバスに仕立て、それに乗せて現地に向かうが、途中で路線バスの一般客が乗り込んできて大騒ぎに、さらに進んで行くと日が沈み、運転手はもう運転できないと言っていなくなる、宿まで歩いて1時間かかると言い、ジャングルの中のようなところを客に荷物を持って歩かせる、宿についても部屋に入れないで外で寝る、無人島に行く船もかなり危なっかしい船でみていてハラハラする、無人島に接岸することができずに泳いで渡るか小さいボートで行くか決断しないといけないけど・・・・

およそ日本人が客となったら、途中で怒り出してツアー中止になるだろうな、という極めていい加減なツアーであるが、この映画の客は文句は言うが、そういうツアーだと思ってついてくるところが日本と全然違う異次元の世界だ。旅行代理店もいい加減なら客の方もいい加減。最後の方では「なーんだー」と言う落ちがつくが、何とか眠らずに見れた。

日本人とフランス人の国民性の違いが出た映画かもしれないが、この映画におけるいい加減さはさすがに現実ではいくらフランスでもあり得ないのではと思う、そうであれば国民性の違いというのは大げさかもしれないが。


映画「エリザベート 1878」を観る

2023年09月04日 | 映画

封切りされた映画「エリザベート1878」(2022、オーストリア・ルクセンブルク・ドイツ・フランス合作、監督マリー・クロイツアー、原題Corsage)をシネコンで観てきた。シニア料金で1,300円、客は20人くらいか、やはり女性が多かった。

1878とはエリザベートが40才になった年だ。原題Corsageはコルセットという意味。彼女が痩せてる姿を見せるため、細めのコルセットのひもをキツく締める場面が何回か出てくるので、それをタイトルにしたものか。邦題が全然違うので、どっちが良いのか。エリザベートは日本では宝塚のミュージカルなどで有名らしいので、コルセットとするよりはエリザベートの方がよいと判断したのでしょう。

この映画は、公式サイトを一部引用して説明すると、「ヨーロッパ宮廷一の美貌と謳われたオーストリア皇妃エリザベート(1837-1898、61才没)が、1877年のクリスマス・イヴに40歳の誕生日を迎えた。コルセットをきつく締め、世間のイメージを維持するために奮闘するが、形式的な公務に窮屈さを覚えていく。人生に対する情熱や知識への渇望、若き日々のような刺激を求めて、イングランドやバイエルンを旅し、かつての恋人や古い友人を訪ねる中、誇張された自身のイメージに反抗し、プライドを取り戻すためにある計画を思いつき・・・」というもの。

観た感想としては、やはり男性のためか、それほど感動しなかった。特に盛り上がるところもなく、ちょっと退屈した。そして公式サイトにある「ある計画」とはなんだったのか、これもよくわからなかった。ネタバレになるので言わないが、そんなにたいした計画ではないように思えた。また、最後の終わり方が史実とは異なると思った。

そもそも何でこの映画を観ようと思ったかだが、私の愛読している本に「わが青春のハプスブルグ」がある。この本の著者はジャーナリストの塚本哲也氏で、この本は塚本氏が若い頃、ヨーロッパ各地を駆け回って仕事をした時に得た体験記である。氏は音楽や映画に造詣が深く、体験記もその話題を中心に中欧の歴史と人物を語ったものであり、氏と同じ音楽や映画ファンとして折に触れて読み返している本である。その本の第1番目の章に「皇妃エリザベート、人形の家ノラの先駆者」がある。

この本を読むとエリザベートのことがよくわかるので映画を見に行く前に再読した。映画をいきなり観ただけでは当時の状況がよくわからない。氏の本を読むと、エリザベートはミュンヘンのバイエルン王国生まれ、父の侯爵が堅苦しい宮廷の付き合いを好まず、社交界から遠ざかり、自由気ままに生きた貴族だった。次女のエリザベートはこの父の血を最も強く受け継いだ。彼女は早くから夢想的な性格で、語学、絵画、詩の才能を見せ、礼儀作法など無縁の生活をし、野山を駆けまわる生活をした。父の侯爵と一緒に庶民に変装してお忍びで村の酒場などに出入りしていた。その彼女がウィーンのハプスブルグ家に嫁入りした、これは野生動物を檻に入れるようなもので、彼女の不幸のはじまりであった・・・

その後の彼女の人生が氏の本には書かれてあり、大変参考になるが、映画では時間的な制約もあり触れられないことも多かった。興味がある人はこの本も映画の前か後で読めば、より深く彼女を理解できると思う。氏が彼女をイプセンの戯曲「人形の家」のノラの先駆者と第1章のタイトル副題に書いたのは、ノラが女性の人格を認めない古くて封建的な社会に反抗して、妻や母である前に人間であるべきだといって、夫と四人の子供をおいて家出する女性解放の象徴的存在として書かれているのをエリザベートに重ねたためであろう。ただ、私はエリザベートはノラとは違う面も多いと思うが。

さて、主役のエリザベートを演じたのは、ヴィッキー・クリープス(43、ルクセンブルク)だが、今まであまり注目はしてこなかった女優だ。なかなか美人で良い感じの女優だった。今後注目していきたい。

女性向きの映画だと思った、が、ハプスブルグ家や彼女の人生に興味のある方は観てみるのも良いでしょう。

 

 


池袋に映画を観に行って(その2)

2023年09月03日 | 映画

(承前)

さて、今日池袋で観た映画は、最近改装された新文芸座の「トスカの接吻」(1984、スイス、監督ダニエル・シュミット、原題Il Bacio Di Tosca)だ。シニア料金1,100円、30人くらいは入っていたか。女性や若い人が結構来ていた。

この映画はミラノに実在する音楽家のための養老院“ヴェルディの家”を舞台に、そこに住む往年のオペラスターたちが全盛期を思い出して語り歌う姿を捉えたドキュメンタリーだ。

実は今年、藤田彩歌著「カーザ・ヴェルディ、世界一ユニークな音楽家のための高齢者施設」という本を読んで、本ブログでも取り上げたところだったが(こちら参照)、そのカーザ・ヴェルディに関連した映画があることを私が日頃よく拝見しているブログ「人生の目的は音楽だ!toraのブログ」で教えられたため、早速観に行ってきたものだ。

藤田氏の著書は、カーザ・ヴェルディが現在では高齢者とは別にミラノ市内の音大に通う学生を最大16名まで受け入れており、その若手音楽家の一人として入居した著者の体験談であった。それは、カーザ・ヴェルディがどういう考え方で運営されているのか、そこに住んでいる往年の歌手たちがどういう生活をしているのか、施設の中はどういう感じになっているのか、などを著者と歌手たちとの交流を通じて理解した経験をもとに書いているものであった。

今回観た映画「トスカの接吻」は藤田氏の著書のアプローチとは異なり、カーザ・ヴェルディに住んでいる往年のスターたちが映画監督などの撮影スタッフを前にして、往時を回想しながら元気に語り合い、歌う姿を放映するものである。映画では、1920年代のミラノ、スカラ座の花形オペラ歌手、サラ・スクデーリをはじめ、作曲家のジョヴァンニ・プリゲドャ、テノール歌手のレオニーザ・ベロン『リゴレット』を得意としたジュゼッペ・マナキーニなどが、往年の自信満々の表情で、それぞれの得意とする題目を披露している。

歌手の皆さんは、キチンと着飾り、背広を着て、かくしゃくとして元気で衰えない声を披露している。観ていて元気が出てくる。いつまでも元気でいてほしい。


(藤田氏の本から拝借)

さて、ミラノには一回だけ観光で行ったことがあったが、その時はこの施設があることをまだ知らなかった。ミラノ中心街からそう離れてないところにあるので訪問することもできたのに残念である。藤田氏の本によれば、週に一度、施設の一部(食堂やコンサートホール、教会など)を見学することができるそうだ。

なお、藤田氏の本には施設の写真などもある(上の写真)、これは中庭からみたもので天気も晴れている日だが、映画では自動車の往来が激しい目抜き通りに面した表玄関を映しており、季節も雪が残った時期だ、このイメージとの違いに驚いた。

ヴェルディファンやオペラファンなら観て良い映画だと思うし、できたら、映画とともに藤田氏の本も手に取ってほしい。

(完)


映画「紙の月」を観る

2023年08月25日 | 映画

テレビで放送していた映画「紙の月」(2014、𠮷田大八監督)を観た。何かの賞をいっぱい受賞した、という説明に惹かれて録画しておいたもの。

この映画は角田光代の同名小説を映画化したもの。映画化の前にはNHKでドラマにもなったらしい。角田光代の小説は読んだことがないが、彼女の書いた小説を映画化した「八日目の蝉」はむかし観た記憶がある。

ストーリーは、1994年、バブルが崩壊しつつあるころ、夫とふたり暮らしの主婦梅澤梨花(宮澤りえ)は銀行の支店で定期預金の営業をしていた。顧客から預かった金を銀行に入金するまで自分で保有しているが、ふとしたきっかけで流用できることを知ってしまう。一度目は小さい金額だったのですぐに補填したが、あるとき、高齢な顧客から預かった200万円を着服して、その顧客の孫の大学生と遊んで派手に使ってしまう。やがて火遊びと銀行の金の横領はエスカレートしていき、最後は・・・

ありがちな話であろうが、金がほしくなる動機が今ひとつピンとこなかった。金に困っていたわけでもない、何かほしいものがあったわけでもない、何も動機がない主婦がこんなことをするだろうか。顧客の孫の大学生と遊びたかったというのが直接の動機で、そう考えたのは亭主に満足していなかったから、というのが本当の動機かもしれない。そして最後には支店で取調中の会議室の大きなガラス窓を椅子でぶち破って逃走し、アジアのどこかの街でさまよう、普通の人にはあまりにも縁のない話ではある。

宮澤りえは良い演技をしていたと思うが、それ以外で素晴らしいと思ったのは、営業先の年寄り役の石橋蓮司、支店の事務責任者役の近藤芳正、そして支店のオールドミスの小林聡美だ。いかにもいそうなタイプの人間をうまく演じている。近藤芳正はテレビの「おやじ京都呑み」で角野卓造と二人で京都の飲み屋などを訪問する番組に出演しているので注目していたが、どういう俳優かは知らなかった。一方、小林聡美は「かもめ食堂」シリーズのあの雰囲気が好きだった。このベテランたちの演技力はたいしたものだ。

役者の演技力もあってまあまあ楽しめた映画だったが、普通の人にはあまり現実味がない。主役の美人行員の宮澤りえとオールドミスの小林聡美とが役割を交替して、支店の実務を知り尽くしているオールドミスが大金を横領して若い顧客の孫に貢ぎ、美人行員の指摘で発覚する、というのがまだ現実的だが、これではドラマにならないか。

 


映画「ふたりのマエストロ」を観る

2023年08月19日 | 映画

シネリーブル池袋で「ふたりのマエストロ」(2022、仏、監督ブリュノ・シッシュ、原題La Scala)を観た。原題はLa Scalaとしているが映画ではMaestro(s)と出ていた。クラシック音楽が題材と言うことで観なくてはと思った。シニア料金1,300円、小さい劇場だったが半分近く入っていたか、若い女性が結構入っていたのには驚いた、音楽関係の人か。

ストーリーは、今はときめく話題の指揮者ドニ・デュマール(イヴァン・アタル)、有名な賞を受賞して人気があるが、父のフランソワ・デュマール(ピエール・アルディティ)は大ベテランの指揮者、ただ全盛期は過ぎている。親子は日頃からうまくいっていない。ある日、父の携帯にミラノスカラ座から次期の音楽監督就任依頼の電話がある。ところがこれがスカラ座の担当者のミスで本来は息子のドニへの就任依頼だったことから難しいことになっていく・・・・

この映画は、2011年のイスラエル映画「フットノート」のリメイクとのこと。フットノートではユダヤ教の聖典タルムードを専門とするライバル研究者の父と息子という設定だった。ストーリー設定としてはなかなか面白い着眼だと思った。

観た感想をいくつか述べよう

  • フランス映画はパリが舞台になる映画が多いが、この映画もそうだ、パリの街や家の中の様子が多く映っているところが好きだ。パリには1回だけしか行ったことがないが好きな街なので、年に1回は行ってみたいというのが私の願望だ。ただ、最近は物騒な騒動があるから難しくなったかもしれないが。
  • 父が本当のことを妻から言われてショックを受け、パリの街をさまよった末、息子の家に行く、そこで酒を飲みながら初めて父子で本音で話をすると、父の口から衝撃の事実が・・・、と言う公式サイトの説明だが、映画を観ていてちっとも衝撃など感じなかった、何なの?という感じだ。実の親子ではなかったのか、父の愛人の子だったのかハッキリ覚えてないが、観てる観客が驚くような話ではないと思った。
  • これも公式サイトによると、「最悪の不協和音は、やがて圧巻のフィナーレへ」と言うことだが、映画の最後の場面を観ると、私には「何だこれ?」と言う感じだった。どうしてこれが圧巻のフィナーレなのか、こんなのあり得ないだろう、と感じた。
  • そこで更に考えると、結末はハッピーエンドな感じだが、はたして監督や脚本家はそう観てほしいと思って制作したのか。結末部分からエンドロールが流れる時にシューベルトのセレナーデが静かにかかっていた。セレナーデは、恋人の家の窓の下で演奏する音楽で、シューベルトが詩人レルシュタープによる詩に音楽をつけたもの。詩の内容は恋する人への想いをせつせつと歌い上げるもの、これとこの映画の父子の関係とに何か暗喩があるのか。
  • このセレナーデを含む「白鳥の歌」は未完に終わったが第7曲まであり、さらに第8曲から第13曲まではハイネの詩に音楽をつける予定だった。これらの詩を全部読めば監督や脚本家が暗示していることも分かるかもしれないが、セレナーデのもの悲しいメロディーはハッピーエンドではないよ、と言っているようにも思う。シューベルトは「冬の旅」などで恋に破れる若者の詩に作曲している。なんとなく和解したように見えるが、結局はこの先、破局を迎えることを暗示しているのではないか、だとしたら、この単純でないところがフランス映画らしいと言えよう。
  • ミラノスカラ座の芸術監督というポジションはフランス人指揮者が喉から手が出るほどほしいものとして描かれているが、はたして本当にそう感じているのか。フランス人の気質からすると、表面上は「何だ、そんなもん、何がスカラ座だ」となるのではないか。確かにクラシック音楽はオペラにはじまり、それはイタリアで始まって全盛を迎え、フランスやドイツに普及していった歴史がある。しかし、そうだとしてもフランス人というのはスカラ座なんかよりパリオペラ座が最高のものと思っているのではないか。たとえ心の中ではスカラ座にも憧れていても、そうとは簡単に言わないひねくれたところがあるような気がするけど。

クラシック音楽ファンであれば観て良い映画だと思う。


映画「幻滅」を観る(2023/8/17追記)

2023年08月17日 | 映画

恵比寿ガーデンプレイスシネマで「幻滅」(2022年、仏、クサヴィエ・ジャノリ監督)を観た。シニア料金で1,200円、フランスの作家バルザックが書いた「人間喜劇」の一編、『幻滅——メディア戦記』を映画化したもの。バルザックの人間喜劇の作品では「ゴリオ爺さん」、「あら皮(欲望の哲学)」を読んだことがある。もっと読みたいと思っていたところ、新聞の映画欄でこの映画のことを書いてあったので観たくなった。

19世紀後半、詩人になることを夢見ながら印刷会社で働く美男子のリュシアンは芸術家を支援する伯爵夫人ルイーズに詩を送り恋仲になりパリに駆け落ちする。しかし、世間知らずで未熟なため金を使い果たし夫人からも見捨てられ、生活のため野党系新聞社の記者になる、そこでは世間が騒いて新聞が売れれば内容は何でも良いという世界、驚いたが段々それに染まっていく。そして成り上がり、母方が貴族だったこともあり貴族身分になる一歩手前まで行くが浪費と怠惰な生活に明け暮れ、あげく政争に巻き込まれ夢破れ何もかも失い再び故郷に無一文で戻る。

映画はバルザックの原作とは一致しない部分も多いようだが、バルザックが「喜劇」として言いたかったことは何だろうか、原作のタイトルからして新聞などのメディアのいい加減さということが一つだろう、もう一つは自分の理想を捨ててまで上昇指向に走ることの馬鹿らしさ、また上昇指向に走るとした場合でも、必要とされる冷徹さの欠如を嗤う、というようなことか。主人公は新聞社で働き始め、その実態に驚くが、段々とうまく現実に合わせて仕事をすることを覚え、うまく立ち回るようになり金回りもよくなる、ここまではある意味成功であるが、その後がダメだった。小さな成功に自己を見失い、虚勢をはり失敗する。誰にでもありそうなことだ。

観る人が自分の境遇に照らし合わせ、どう生きるべきか考えさせられる作品だと思う。

ところでこの映画館であるが、映画が始まる前の注意事項の映像がたった一瞬、文字で書いた注意書きだけ映されて終わりだった。賢明な対応だと感心した。常々映画の前にしつこい位マナーを気をつけろ、著作権があるから撮影・録画するななど、くどくどと時間をかけて指導されるのを不愉快だと感じていた。もう少しセンスのあるやり方はないものか検討すべきだと思っていたが、この映画館の対応は一つの賢明なやり方だと思った。

出演

バンジャマン・ボアサン(26、仏):リュシアン
セシル・ド・フランス(47、ベルギー):ルイーズ
バンサン・ラコスト(30、仏):ルストー
グザビエ・ドラン(34、カナダ):ナタン
サロメ・ドゥワルス(ベルギー):コラリー

 

2023/08/17追記

本文の最後に、映画館で映画が始まる前のマナー等の注意の仕方についてコメントしていますが、先日、再訪問した際に確認したところ、この記載は間違えで、他の映画館と同様、マナーの注意、映画泥棒(著作権等)、映倫などの注意がありました。そして、最後にダメ押しで注意事項を一覧に書いた画面が出ていました。前回私が見たのはこの最後のところだけだったようです。


映画「RRR」を観る

2023年08月16日 | 映画

恵比寿ガーデンシネマでインド映画「RRR」(2022、インド、S・S・ラージャマウリ監督、原題も同じRRR)を観た。お盆休みになり、都心の映画館も空いているだろうと思い、映画.comで調べて評価の高かったこの映画を選んだ。タイトルの「RRR」は、「Rise(蜂起)」「Roar(咆哮)」「Revolt(反乱)」の頭文字に由来する。1,300円にシニア料金。半分くらいの座席は埋まっていた、来てる客は若いカップルが多かった。

1920年、英国植民地時代のインドが舞台。英国軍にさらわれたある部族の幼い娘を救うため立ち上がったその部族の若者ビーム(N・T・ラーマ・ラオ・Jr.)と、大義のためインド人でありながら英国政府の警察となったラーマ(ラーム・チャラン)。それぞれに熱い思いを胸に秘めた2人は同じインド人でありながら、英国側(体制側)と原住民側とに敵対する立場にあったが、互いの素性を知らずに、運命に導かれるように出会い、無二の親友となる。しかし、ある事件をきっかけに、2人は友情か使命かの選択を迫られることになり・・・

この映画は3時間もある長編映画だが、時間が経つのを感じないほど面白かった。インド映画は今まで2,3本しか観ていないが面白かったので今回も期待を持って映画館に行った。そして期待通りだった。総製作費97億円というとてつもない規模、インド民衆の反乱場面などをみると確かにコストがかかっているなとわかる。いくつか感想を書いてみよう。

  • 映画は冒頭、イギリス領事館らしきところにインド民衆が多数集まって今にも暴動が起きようとしている場面を映す、その時、インド人で警察官になっていたラーマが棍棒一つ持って押し寄せるインド人の中に殴り込みをかけ大バトルの末、民衆を解散させる、というあり得ない乱闘騒ぎで一気に引き込まれた。007シリーズでもよく冒頭にボンドと敵の派手なアクション場面があるが、あれと同じだ。
  • その後、森の中でビームが現地人と共同で狼を罠にかけて捕まえようとして、誤ってトラに追いかけられ危機一髪、あわやトラに捕まりいっかんの終わり、となるところでトラをやっつける、というこれもハラハラするアクションに息を飲む。
  • その後、2人が出会い、拉致された娘の探索、ビームと英人婦人の出会い、娘の救出作戦の準備・決行・ラーマとビームの決闘、ラーマの子供のころの英軍との戦いなど、場面がどんどん想像もつかない展開で変っていく、これで終わりかと思うとまだ次がある。
  • 鍛え抜かれた体を遺憾なく見せつけ、男らしさをムンムン匂わせる2人の主人公の大活躍がある一方、ビームと英婦人、ラーマと田舎に残した恋人の愛、などの色恋もある。
  • 映画の中で主人公らが歌いながらダンスを踊るシーンが多かった、このインド式のダンスも体を鍛えてないととてもできなさそうな激しいもので観ていても疲れたが、音楽共々暑い国の楽天的な活気のあるもので素晴らしいと思った。
  • 映画の中で男2人のアクションやダンス以外で一番印象に残ったのは、英国のインド植民地統治の苛酷さだ。インド人を人間扱いせず家畜と同じ扱いにし、射殺するのにライフルを使うのは銃弾にかかったコストの無駄だとして、殴り殺す。ビームが反乱罪で捕らえられ、ラーマに公衆の面前でむち打ち刑になった時、普通のムチでいくら叩いても命乞いしないので、ギザギザのついたムチをラーマに渡し、これを使えという英人現地責任者夫人など、「このヤロー」と言いたくなるような場面が多くあった。
  • このイギリスによる植民地支配の苛酷さの場面は、被支配の経験したインド人側が制作した映画なので、多少誇張されている面もあるだろう。韓国でも日本統治の苛酷さを描いた映画が多く制作され流行ったそうだが、最近はあまり客が入らないそうだ。

お盆休みに観るのに最適な、大変面白い映画だと思った。


映画「オーケストラ!」を観る

2023年08月10日 | 映画

読響のチャイコフスキーのバイオリン協奏曲の放送を見て、この曲が映画「オーケストラ!」(2009、仏、ラデュ・ミヘイレアニュ監督、原題Le Concert)で最後に演奏された曲だとの説明がなされていた。まだみたことのない映画だったので観てみた。

ボリショイ楽団の指揮者だった主人公のアンドレイ(アレクセイ・グシュコフ)は、30年前、楽団のユダヤ人演奏者を擁護していたためソ連の当局からにらまれ、チャイコフスキーのバイオリン協奏曲を指揮しているコンサート途中でコンサートを中断され、指揮棒を折られ、指揮者を降板させられ、楽団員も全員追放された。今は清掃員としてうだつの上がらない生活をしていた。

そのアンドレイが偶然、パリのシャトレ座からボリショイ楽団への公演依頼のファックスを盗み見て、かつてのボリショイ楽団のメンバーを集めて、楽団になりすましてフランス公演を目論む、そしてバイオリンのソリストとして若き大物バイオリニストのアンヌ・マリー(メラニー・ロラン)を指名するが・・・・

この映画は、真面目な話として期待して観ると、がっかりするだろう。クラシック音楽ファンは真面目な人が多く、それらの人から見たら「何だ、これは、くだらない」となるだろう。私もそうだ。設定がそもそもあり得ない、30年も前の楽団メンバーを再招集し、練習もせずにぶっつけ本番、パスポートも持っていない楽団員に偽造のパスポートで出国させ、そもそもシャトレ座に嘘がバレないなど、あり得ない話ばかりだからだ。

しかし、この映画はコメディーとしてみるべきものだろう。真面目に考えて観る映画ではないと思ったら、観たのは時間の無駄とは思わなくなった。Yahoo!映画の評価では4.0となっている。Amazonプライムも1,400人が評価して4.0となっているが、コメディ・ドラマに分類されいた。ただ、コメディにしては主人公のアンドレイが終始暗かったのは、ドラマという少し真面目な要素も含まれている映画だからだろうか、その分、中途半端な感じがした。

クラシック音楽の知識を深めようと思っている人には期待外れになる可能性があるが、コメディも好きな人には楽しめる映画だろう。