ゆっくり行きましょう

気ままに生活してるシニアの残日録

「ダウントン・アビー/Downton Abbey」を見終わって(その1)

2023年06月08日 | 映画

今年の3月の初めからAmazonプライムでイギリスの連続ドラマ「ダウントン・アビー/Downton Abbey」を見始めた。全部で60話(エピソード)ある長編ドラマだ。人気があるのは知っていたが、一度見だすとほかの映画などが見れなくなると思い今まで手を出さなかった。

しかし、ここ7、8年欧州映画を見続けており、欧州の文化には興味があったので、一度見てみるのも悪くないと思い、見だした。実際に見始めると1回の放映は1時間弱のものが多く、それ程負担にはならないことがわかり、一日1エピソードを見る習慣がつき、気が付けば全編を見終わることができた。

ドラマの舞台は1912年ら1925年のイギリス、ヨークシャーの架空のカントリーハウスである「ダウントン・アビー(Downton Abbey)」で、当時の史実や社会情勢を背景に物語は進む。エドワード朝時代以降の貴族グランサム伯爵クローリー家とそこで働く使用人たちの生活を描いてたもの。ダウントンというのは地名、アビーというのは大きな屋敷という意味だ。

見終わった感想を述べよう(ネタばれ注意)

  • 当時のイギリス貴族のいい面が強調されて描かれていると思われる。ヨーロッパの貴族の生活については今までも本や映画で少しは見てきたが、それによって抱いたイメージとこの物語によって得たイメージとはかなり異なる。
  • 例えば、同じイギリスのジェーン・オースティンの小説「プライドと偏見」なども貴族の独身女性の恋を描いているが、使用人のことなどはあまり書いてなかったと思うし、トルストイの「戦争と平和」でもロシアの貴族社会が描かれるが、戦時中もパーティーを開いたり、愛だ恋だと呑気なものだなと感じた。
  • 貴族は仕事はしない、しかし、他国との戦争になったときは自ら戦う、そこが貴族の義務であり、それゆえ平民も貴族の優遇を認めているのであろうか。この物語では若い貴族が仕事をすると言い出すと年配の貴族が「仕事をするだって?」と眉をしかめ、「なんて馬鹿なことを言うんだ」という感じで話していたのが印象に残る。
  • そういった貴族社会にあって、この物語の特徴は、第1次大戦になったとき、屋敷を戦争負傷者の療養所として提供し、貴族たちも館や病院で看護の手伝いなどをすることが描かれている。それによって特に若い仕事をしない貴族の女性たちが仕事の意義、やりがいがあることのすばらしさなどに目覚めていくことが描かれている。時代の変わり目なのであろう。
  • もう一つの特徴は、貴族の館に努める執事、侍女、下僕、料理人などの召使たちの人間模様が物語の半分を占めていることだ。そして、伯爵をはじめ貴族たちは召使たちを大事にしていることが描かれている。こうありたいという理想を描いているのでは思うがどうであろうか。イギリス映画や小説で貴族に仕える執事等の人生を描いたものは多くあるだろうが自分はその内容を十分に知らない。イシグロ・カズオの「日の名残り/The Remains of the Day」を読んだり見たりしたが、今回ほどの領主と使用人との信頼関係があることの印象は残っていない。
  • 最後の終わり方がハッピーエンドというのが見ているほうとしは「めでたし、めでたし」で良いのだが、こうしたハッピーエンドはイギリスでは好まれるのだろうか。「日の名残り」はハッピーエンドではなかった。

(次に続く)


映画「スポットライト 世紀のスクープ」を観る

2023年05月26日 | 映画

自宅で「スポットライト 世紀のスクープ」(2015、米、監督トム・マッカーシー)を観た。実話だそうだ。

2002年、ウォルター(マイケル・キートン)やマイク(マーク・ラファロ)たちは、新聞社The Boston Globeで連載コーナー「スポット・ライト」を担当していた。ある日、バロン新編集局長(リーヴ・シュレイバー)がある神父の幼児性的虐待問題を取材しろと指示し調査を始めたところ、これまでうやむやにされてきた児童への性的虐待の真相について知ることになる。実は、以前からこの問題は指摘されてきたが弁護士が示談をとりまとめ慰謝料でうやむやに処理されてきた。記事にしようと奮闘する記者たちだが・・・

グローブ社には何年も前に20件の被害情報が届いていたが記事にしなかった。その点について、新編集局長は、「我々はいつも暗闇の中を手探りで歩いている、そこに光が差して初めて間違った道だとわかる、以前何があったか知らないが、今回の取材結果は間違いなく多くの読者に大きな影響を与えるだろう」と言って記事にすることを承認する。その後の調査で虐待をしていた神父は249人、推定被害者数は1,000人だとわかる。

この映画の記者がすごいと思ったのは、このような問題に立ち向かったことだけではない、どうしたら一番大きな改革につながるか、その戦略を考えたことだ。取材した記者は一人の神父の被害の実態を突き止めたが、そこでそれを直ぐに記事にしなかった。その理由は、被害者が90人近くいるので、その全体を調査した上で報道しないと一神父をクビにするだけで終わってしまうからだ、教会組織全体の問題になるような記事にすべきだと考えたのだ。他社に先を越されるかもしれないリスクがあるなかで、なかなかできることではあるまい。

さて、最近の日本の芸能事務所トップによる俳優に対する性的虐待の問題だが、今までずっと見て見ぬふりをしてきたのはこの映画と同じだが、それに毅然と記者が立ち上がって問題が大きく報道されるようになったのではない、ここが情けない。逆にたいした問題ではないことを「民主主義の根幹を揺るがすものだ」などと騒いで大きな問題のように報道するのが(以下省略)


映画「イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密」を観る

2023年05月24日 | 映画

自宅で映画「イミテーション・ゲーム」(2015年、米=英、モルテン・ティルドゥム監督)を観た。

この映画は第2次大戦時、英軍が独軍の暗号エニグマを解読できずに苦労していた時、解読できる能力のある天才数学者アラン・チューリング(ベネディクト・カンバーバッチ)と他の天才数学者がチームで苦労してエニグマ解読をする物語。

解読するまでに軍の上層部と衝突し、仲間とも衝突するチューリング、その彼が選んだ天才の若い女性のジョーン・クラーク(キーラ・ナイトレイ)との恋物語や彼の性的嗜好が絡み、彼女のアドバイスでチームメンバーとの関係も改善し、解読マシーンを作って対応する、そして夜のバーでチームメンバーで飲んでいるときに、思わぬ偶然で解読のヒントをつかむ。

解読できるまでの話で1時間半、後の30分くらいはどういう話になるのだろうと思っていたら、実は、そこからがこの映画の本当の核心であった。暗号解読によって独軍の戦艦、Uボート、航空隊の位置を正確に把握できたので直ぐに軍の上層部に報告して味方の犠牲を防ごうしたところ、チューリングはその連絡を必死に阻止する。その意図は・・・・

この映画は実話をベースにしているそうだ、この最後の30分でイギリス(MI-6)はエニグマ解読で把握した敵軍の配備情報を使って、自国軍や国民の誰を守って誰を犠牲にするか毎日検討を重ね、人知れず連合国軍を勝利に導いた、エニグマの解読なしにスターリングラード、ノルマンディイーなどの勝利はなかった、解読により連合国軍は戦争終結を2年以上早め、1400万人以上の命を救ったと歴史家はみている、とのテロップが流れる。この事実は50年以上も機密だった。それは多分、政府最高首脳はエニグマ解読の情報を明らかにせず、自国軍にさえ知らせずに対処したと映画の中でも述べられていたことがあったからだろう。

この辺は勝者によって作られた映画なので美化や誇張があるだろうが、日本人が学ぶべきは勝負に徹する白人リーダーの冷徹な計算である、今の日本人リーダーは大丈夫であろうか、それが心配だ。有事になればそれが国の存続に直結するからだ。

身内に犠牲者が出ても、より大きな勝利のためにはそれを受け入れる、という冷徹な判断は以前みたチャーチルの映画(こちらを参照)でもあった。イギリス人はこういう冷徹な指導者がいたことを誇っているのだろう。情緒的になりがちな日本人からこういうリーダー出るだろうか。


映画「TAR/ター」を観る

2023年05月13日 | 映画

映画「TAR/ター」(2022年、米、トッド・フィールド監督)を観た。1,200円。新聞の映画レビューに載っていたのを読んで、クラシック音楽ファンとして観ようと思った。最近、テレビで門脇麦と田中圭主演の「リバーサルオーケストラ」という番組をやっていた。地域オーケストラを舞台にした物語で面白かった。クラシック音楽ファンとしてはクラシック音楽を取り上げたドラマなり映画ができるのはうれしい。

出演は

  • リディア・ター:ケイト・ブランシェット
  • フランチェスカ・レンティーニ:ノエミ・メルラン(ターの副指揮者を目指すターのアシスタント)
  • シャロン・グッドナウ:ニーナ・ホス(コンサートマスター、バイオリン奏者、ターの愛人)
  • オルガ・メトキーナ:ゾフィー・カウアー(新人チェリスト)
  • セバスティアン・ブリックス:アラン・コーデュナー

物語は、ベルリンフィルの初女性首席指揮者になったター、順風満帆、独裁者のように振る舞う、いろんな賞を受賞し、本の出版もまもなく、いまだ達成できていないマーラーの交響曲全曲録音も5番を残すのみで達成寸前、だが、自身の作曲活動などでもがいている、そんなとき、若手指揮者の指導で激しくあたり、その指揮者が自殺してしまう。指導の模様がネットで拡散されて親から訴えられる。少しずつ歯車が狂い始める。公演の選曲、ソロ・チェリストの選定、副指揮者の解任などでオーケストラメンバーや愛人との間もすきま風が吹き始める・・・・

主演のケイト・ブランシェットはよく役柄を体現して演じていた。これだけのポジションになれば、こんなこともあるだろうと思われる真に迫った演技をしていたと思う。いくつか気づかされた点を述べれば、

  • Bunkamuraでの公演がある、など日本のことが若干出てきた(もう一つあったが忘れた)
  • オーケストラメンバーによる指揮者の採点、評価があること(知らなかったが良いことだ)
  • マーラーの5番、第4楽章のアダージェットが映画の中で演奏される場面が一番多かった、映画「ベニスに死す」やケン・ラッセルの映画「マーラー」を思い出した。
  • 外から見ると結構うらやましい生活をしていると思われている人でも結構孤独で、精神の安定があるとは限らないことがよく出ていた。

多少、誇張もあろうが、映画の制作にはベルリンフィル他いろんな楽団などの協力があり、また、「指揮者は何を考えているか」の著者で知られる米国の指揮者、ジョン・マウチェリの監修と全面協力もあったので、結構本物らしい演技になっていたと思う。このような映画やテレビは大歓迎である。


映画「シーモアさんと、大人のための人生入門」を観る

2023年04月26日 | 映画

自宅で「シーモアさんと、大人のための人生入門(原題:SEYMOUR: AN INTRODUCTION)」(2016年、米、イーサン・ホーク監督)を観た。監督のイーサン・ホークはビフォアシリーズがあるが、好きな俳優だ。彼と相手役の女性ジュリー・デルビーが出演した「ビフォア・サンライズ」はウィーンが舞台の良い映画だ。

そのイーサン・ホークが俳優としても映画監督としての一応の成功をし、人生の折り返し地点でスランプになったとき、87才のピアノ教師のシーモアさんに巡り会い、彼の話を聞いてその人に惚れて、彼のドキュメンタリー映画を作った。

シーモアさんはピアノ演奏家であったが50才になったときに引退し、以後の人生はピアノ教師として若い後進の指導に当たった。映画はそのシーモアさんが生徒を教えるシーンや教え子がピアニストになり成功した後シーモアさんに会ってインタビューするところなどを映す。その中でシーモアさんの考えなどが話されて、どういう人なのかがわかるようになる。

ピアノを弾けない人に取ってはハッキリ言ってちょっと退屈で、眠くなる。しかし、家で観るときのメリットとして眠くなりそうになると少し観るのを中断してお茶を飲んだり、ストレッチしたり、動いたりできることがある。そして最後まで全部見終わった。

邦題の「人生入門」というのも大げさなタイトルだと思うが、人生訓とでも言うものはいくつかあったので少し書いておこう

  • これはイーサン・ホークがシーモアさんに言ったのだが「金や物で幸せになった人はいない」と言っているところだ、「成功した作品はろくでもないものが多い」とも言っている、芸術的に高度なものは商業的には成功しない点にシーモアさんも同意している。ピアニストとして立派な技術があっても報酬は必ずしもそれに見合わないのが現実である、と言う話にもシーモアさんは同意している。
  • 偉大なプロピアニストでも公演の前は緊張する、演奏家にはつきものだ、評論家から高評価を得ても助けにはならない、あるときから恐怖から逃げずにそれに向き合おうと決意した、そうしないと人生のいろんな局面に対処できないとシーモアさんは言っている
  • 音楽で出世を目指すことは健全なことと思えない、成功した人は皆、苦しんでいる、成功した人は性格が悪い人が多い、芸術的なものと大衆が望む物が背反するから芸術家はノイローゼになりモンスターになる。これは以前も触れたが(こちらを参照)ピアニストの青柳いずみ子さんもその著作の中で指摘しているし、ミヒャエル・ハネケ監督、イザベル・ユペール主演の映画「ピアニスト」でも描かれている。
  • シーモアさんが50才で引退したのは、演奏家としての商業的側面と心労、創作がしたかったからの3つの理由

一回観ただけでは人生の教訓を学ぶのは無理で、AmazonPrimeで見て、何回か必要な部分を振り返る努力が必要だろう。

 


映画「ノートルダム 炎の大聖堂」を観る

2023年04月19日 | 映画

映画「ノートルダム炎の大聖堂」(2021、仏・伊、監督ジャン=ジャック・アノー)をテラスモール松戸のUnited Cinemaで観た。シニア料金1,200円。監督のアノーは「セブンイヤーズ・イン・チベット」などを手がけた79才のベテランだ。

この映画は、2019年4月15日に火災があったノートルダム大聖堂の消火活動に従事した消防隊を中心にみたドキュメンタリーのような映画だ。

出演はサミュエ・ラバルト/ジャン=ポール・ボーデス/ミカエル・チリ二アン

当時この大聖堂は屋根の修繕をしていた、足場が組まれ、多くの資材が運び込まれ、工事が行われていた。観光客が入る聖堂は閉鎖されておらずミサが行われていた。いろんな国から観光客がツアーガイドの案内で見学している姿が描かれる。夕方6時半くらい、工事は終わり、作業員がもう帰ったとき、工事現場の屋根裏から火が上がる、警備室の警報が鳴るが誤作動だ、とされる、そのうちどんどん火が回り煙が外からもわかるくらいになり消防署に一般人から通報が入る、そして火の手が勢いを増し大変なことに、消防隊が現場に行こうとするが夕方の渋滞に阻まれなかなか進めない。そんな状況での消火活動を描く。

観て感じたところを記してみよう

  • 工事現場で禁煙となっているのに守られていない、やはり基本がおろそかになると怖い結果になる
  • 放水用の水道管がいたるところで漏水して水圧が上がらない、日頃のメンテナンスがいかに大事かわかる
  • アラームがなっても以前誤作動があると、またか、というバイアスがかかる、怖いものだ
  • 塔の最上階に行くのに300段の螺旋階段があり、それ自体消火活動に大変な負担、しかも途中にドアがあり鍵がかかっている、これが消化の妨げになる、こういう点も怖い
  • 火の手が広がると温度が上がりアルミでできたものが溶け出して流水のように流れ、地上にこぼれる、本当に怖い
  • この映像は一体どうやって撮影したのだろう、映画の公式サイトの説明などによれば実物大の大規模なセットを作って炎上させながらIMAXカメラで撮影したとなっている。
  • 消防隊を含めて犠牲者ゼロというのはすごい、また、文化財のほとんどが運び出されたというのもすごい、日本で同じようなケースが起こったら人命最優先で、文化財も運び出してくれ、という教会の要望は聞き入れられるだろうか
  • 火災の前、大聖堂の内部の観光客のツアーの模様を描いているが、いろんな国の観光客が描かれる、最後の方でやっと日本人と日本語ガイドが出てくるとほっとした、アジアでこのような場合に出るのは中国だけになる日も近いか

消火活動に関連した消防士のドラマがあるわけではなく、淡々と消火活動が描かれている。しかし、それがかえって迫力を増している。火災の原因を追求することではなく、どのように大聖堂が救出されたことを見せるのだ、と公式サイトには書いてある。観ている途中から血圧が上がって後頭部が痛くなった。心臓が弱い人はみない方が良いだろう。

ところで、ノートルダム大聖堂は何年か前に行ったことがある。その時の写真を一つ

火事は怖い、基本をおろそかにしない、それを改めて認識したが、観る人にそう思わせれば、この映画は成功だろう。


月イチ歌舞伎「わが心の歌舞伎座」を観る

2023年04月13日 | 映画

月イチ歌舞伎の「わが心の歌舞伎座」を映画館で観てきた。3時間近い映画だが面白かった。ただ、客はA列からK列まである室内で私ともう1人の2人だけであったのはさみしい。

新シーズンは4月から来年2月まで毎月1本放映される。今回はちょうど10年前に建て替えのため取り壊された旧歌舞伎座をめぐる物語だ。取り壊された旧歌舞伎座は4代目のものだ。1951年(昭和26年)開場で閉鎖されたのは2010年(平成22年)4月の公演終了後。約60年の間、いろんな役者により歌舞伎が演じられてきた。その軌跡を大御所たちの回想を交えて映画にした。出演した役者たちの歌舞伎や歌舞伎座に対する熱い思いが伝わってきた。

また、普段は見られない楽屋や裏方などもある程度紹介されており勉強になった。

いくつか気づかされた点を述べてみよう

  • 歌舞伎の演出は主演役者がやる、これは知らなかった、役者により従来演じられてきた解釈が大幅に変るようなことはないだろうが、素人が気づかないところで主演役者が自分のその演目にかける考えや思いを他の役者に指導しているのだろう
  • 舞台の道具、例えば背景などはその都度新たに作ると説明されていた、これも知らなかった、てっきり使い回ししているのだと思っていた、背景のきれいな絵、川辺や桜並木、町家の風景、店の店頭など、全部その都度作成しているのだろうか、オペラに比べれば演目もはるかに多いだろうから保管しておく場所も確保できないのだろう
  • 舞台の稽古について歌舞伎座のロビーでやることがある、これも知らなかった、稽古用の部屋もあるのだろうが、ロビーが一番良いのだと富十郎が言っていたのでびっくりした

今の第5代歌舞伎座の設計は隈研吾氏が担ったが、彼がテレビのインタビューで、自分は現代の建築家なので何か新しい趣向を凝らしたかったが松竹から前のものと変えないでくれと要請されて戸惑ったと述べていたのが印象的だ。もちろん目に見えないところで新しいものが導入されているのだろうが、第4代歌舞伎座が評判がよかったので、変えない、というのも大英断で私は良いと思った。変らないから良いものもあるのだ。

歌舞伎の舞台といえば華やかさが一番の売りであろうかと思うが、谷崎潤一郎は「陰影礼賛」の中で、現代の日本は昔と比べすべてにおいて明るすぎて興ざめである、歌舞伎の舞台もその一つの例である、と述べているのは興味深い。確かにそういう面もあるだろう。蛍光灯が普及してからそれが激しくなったのではないかと思う。たまにホテルなどに泊まると部屋の照明がカバー付きのスタンドだけという薄暗い部屋に出くわすが、味があって良いと思うので、自宅の自室の照明を蛍光灯やLEDから電球色の照明やステンドグラスのカバーのついたスタンドに変えようと思っている。

歌舞伎座はヨーロッパのオペラ座に比肩し得る日本の誇るべき文化と芸術の殿堂である。未来永劫しっかりと残していってもらいたい。


映画ケン・ラッセルの「マーラー」を再び観る

2023年04月11日 | 映画

映画「マーラー」(1974、英、監督ケン・ラッセル)を観た。3度目だ。先日テレビの録画で読響のマーラー交響曲6番の公演を観たから、再びマーラーのことを少し知りたくなって見直すことにした。

監督のケン・ラッセルは英国人で2011年に84才で亡くたっているが、ウィキペディアによれば、過激な作風とエキセントリックな言動で知られ、そのセクシャルな演出で教会をはじめ多方面から批判を受けた、マーラー、リスト、チャイコフスキー、エルガーなど伝記映画を得意としているそうだ。

今回はある程度事前に、或いは映画を観ている途中でウィキペディアとかこの映画について書いているブログなどを適宜参照にしながら観たが、結論としては、理解できた部分もあるが、よくわからないところが多い映画だということだ。

理解できたところの例としては、映画のはじめの方で駅の列車の中からホームを見ると白い背広を着た紳士と白い服を着た少年がいる場面があり、これはマーラーをモデルにしてヴィスコンティーが作った映画「ベニスに死す」をイメージしていると言うのはわかった、音楽も映画と同様交響曲5番のアダージェットが流れていた。また、マーラーの妻のアルマが草原の中の牛たちから首にかけられているカウベルを取り外している場面がある、これは先日聴いた交響曲6番で使われているカウベルと何か関係がありそうだとは思ったが単なる偶然か。しかし、こんなことは普通の人は予備知識なしで観たら何の意味だか全くわからないであろう。

よくわからなかった例としては、皇帝に謁見してウィーン歌劇場の監督への就任を依頼する場面のあと、その場所の建物の地下道を歩きながらある部屋に行き着き、中にいるフーゴー(ヒューゴーと発音されているように聞こえるが)という人物に会う、彼は牢屋に入れられているような感じで素っ裸で楽譜を書いており、その楽譜を尻で拭いてマーラーに渡す、このフーゴーとは誰かわからない、映画ではマーラーと同学年の友人の作曲家のような言い方をしているが、1860年生まれのドイツの作曲家・音楽評論家のフーゴー・ヴォイスのことか。ネットでマーラーとの関係を調べてもあまり出てこない。

もう一つ挙げれば、冒頭の場面、湖に突き出た小屋が映され、それが突然燃える衝撃的な映像、これが何を意味しているのか、マーラーの破滅を意味しているのか、みている人がそれぞれ解釈すれば良いと言うことなどだろうけど、これだけセンセーショナルに演出して勝手に解釈しろはないだろうと思うが。この小屋はマイアーニックにあった作曲小屋だとは思うが。

監督のこのような制作姿勢というのは如何なものかと思う。良くマーラーのことを勉強している人にしか理解できない、それで良い、と考えているとしか思えない。比喩とか茶化しとかもちりばめられているが、その意味を全部わかる人は相当なマーラーの愛好家だろう。ただ、マーラーを演じたロバート・パウエルが写真で見るマーラーそっくりなのは見事だ、映画の中の言動もさもありなん、という感じだ。

マーラーの交響曲のCDを全部持っているわけではない、それは先日の宇野功芳さんの解説を読んだからだけど、今後も機会を見つけてマーラーの音楽を聞き続けて行きたいとは思っている。

主な出演

ロバート・パウエル:グスタフ・マーラー
ジョージナ・ヘイル:アルマ・マーラー
アントニア・エリス:謎のコジマ・ワーグナー
ピーター・アーン:マーラーの弟オットー・マーラー


映画「ペルシャン・レッスン 戦場の教室」を観る

2023年04月07日 | 映画

池袋の新文芸座で「ペルシャン・レッスン」(2020年、ロシア・独・ベラルーシ、監督ヴァディム・パールマン)を観た。新文芸座は改装のため休業していたのでしばらく行ってなかったが改装後初めて行った。ロビーのレイアウトが大きく変っており、良くなった、明るくて良い雰囲気になった。映写室内もシートも立派になったような気がするし、スクリーンも大きくなったような気がする。高級感が出てきた感じで好感が持てた。値段は1本観てシニア1,100円。

今日の映画はドイツとロシアとベラルーシという今となっては異色の組み合わせの映画で、しかも戦争映画だ。2020年の映画だからまだウクライナ戦争前だ。この映画の監督はウクライナ生まれの人だ。ドイツの映画はやはりナチスものが多いと感じているが、今回の映画もナチスものだ。ナチスものは悲惨な話が多いのであまり観る気がしないのだが、レビューの評価がまあまあなため見てみようと思った。

ストーリーは(ネタバレ)、ナチに捉えられたユダヤ人が森の中に連れて行かれ、銃で射殺される、もうダメだと思った直前、1人のユダヤ人ジルが撃たれたふりをして倒れた、それを見破られると言い逃れとしておれはペルシャ人だと言う。上司のコッホ大尉からペルシャ人は殺さずに捉えろと言われていたので大尉のところに連れて行くと、大尉はペルシャ語を教えろと言う、ペルシャ語など本当は何もわからないため、処刑者のリストを見ながら適当なペルシャ語をでっち上げてレッスンする、この大尉の夢は戦後、兄弟のいるテヘランで料理店をすることである、連合国が攻めてきて現地を撤退するタイミングでイランに逃走したが、入国審査の時に自分が習っていたのはいい加減なペルシャ語であることがバレてとられられ、偽ペルシャ人は生き延びてナチの殺害を告白する、というもの。

この映画の主役は偽ペルシャ人のユダヤ人だが、もう1人の主役とでも言って良いのがこの大尉だ。映画ではこの大尉も含めた将校たちが現場の悲惨さなど無いがごとく酒や食事を満喫し、虎の威を借りてユダヤ人たちに対して残虐に、居丈高に振る舞う小人物ぶりがいやというほど映される。組織の命令とあらばこうまで下劣な行為をするのが人間だ、と思わせる、ナチスものの一つの教訓なのだろう、本映画もその点、例外ではない。人間の愚かさだろう。この映画は実話に基づくとも説明があった。

出演

ナウエル・ペレーズ・ビスカヤート(37、アルゼンチン):ジル(ユダヤ人、偽ペルシャ人)
ラース・アイディンガー(47、独):コッホ大尉


映画「僕たちは希望のいう名の電車に乗った」を観る

2023年04月06日 | 映画

ロシアによるウクライナ侵略に関連して過去のロシア、ソ連の恐ろしい悪行の歴史が再確認されているが、1956年に起きたハンガリー動乱もその一つだろう。そのハンガリー動乱に影響された東ドイツ側の高校生たちの行動と葛藤を描いた映画「僕たちは希望のいう名の電車に乗った」(2018年、独、ラース・クラウメ監督)を自宅で観た。原語のタイトルを直訳すると「静かなる革命」(THE SILENT REVOLUTION)となる。

戦後、ドイツが東西に分割されソ連と西側諸国で分断統治された時代、まだ、ベルリンの壁ができる1961年より前の1956年、西側の飛び地ベルリンは一時東側により封鎖されていたが、この頃封鎖は解除され東西の行き来は電車でできた。そんなとき、東側の高校生2人が電車でベルリンにある祖父の墓参りに行き、そこでハンガリー動乱のニュースを聞き驚く、ハンガリー民衆が勝利しそうな雰囲気だったからだ。

東側に戻り、学校の教室で生徒たちにその話をし、西側のラジオが聞ける生徒のおじさんの家に集まり情報収集をすると、ソ連が再び侵略を開始してハンガリー側に多くの犠牲者が出たことを知り愕然とする、そして、ある日、教室で授業が開始される前にハンガリー民族の犠牲者を悼んで授業の最初の2分間黙祷を捧げようとなり、それを実行すると、それが反革命分子の行動になるとされ、学校内だけでなく教育大臣まで出てきて大問題になり、首謀者捜しが始まる、首謀者が明らかになれば退学、明らかにならなければクラスは閉鎖され全員卒業できなくなり、エリートコースから外れることが決定する、という事態になる、そして仲間割れの可能性、家族に対する当局の圧力、家族からの説得、その他、ありとあらゆる困難な状況に見舞われ、生徒たちはどう行動しらたよいか悩む・・・・・

これは実話に基づくと、冒頭のテロップに流れる。さもありなんと思わせる展開、どうなってしまうのだろうとハラハラドキドキの連続。自分だったらどう判断して行動するか、考えさせられる映画だ。

ハンガリー動乱後もソ連は1968年のチェコのプラハの春の武力弾圧、ロシアになってからの2008年ジョージア侵略、2014年にクリミア半島侵略、2022年ウクライナ侵略と悪辣さをあらわにしている。こんな時期にこの映画を観て、いろんなことを考えるのは有意義であろう。良い映画だった。

出演

レオナルト・シャイヒャー(テオ)
トム・グラメンツ(クルト)
ヨナス・ダスラー(エリック)
ロナルト・ツェアフェルト(テオの父)
ブルクハルト・クラウスナー(国民教育大臣)