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「決定版 日中戦争」を読む(1/2)

2024年10月14日 | 読書

「決定版日中戦争」(新潮文庫)をKindleで読んでみた、著者は波多野澄雄、戸部良一、松本崇、庄司潤一郎、川島真の各氏、発行は2018年

読後の全体的な感想をまず述べると

  • ボリュームは新書であるため多くはないが、内容的には大変勉強になる良い本であった、それは、とかくこの時期の歴史は戦勝国側の歴史観をもとにした説明が多い中、本書では日本や中国、アメリカのそれぞれの立場からの記述が類書より多いと感じたからである、その意味で歴史を多角的な視野から研究する観点で書いてあると思えた

それでは、本書を読んで勉強になった点や、強く同意できる点、また、自分の見方とは違うなと思った点などの各論を、本書の記述を引用し、そのあとのコメントとして書いてみたい

はじめに(日中歴史共同研究から10年)

  • 著者3名(波多野澄雄、戸部良一、庄司潤一郎)は2006年の安倍首相と胡錦涛国家主席との合意に基づく「日中歴史共同研究」に日本側の研究者として「軍事衝突した日中の不幸な歴史」部分の日本側執筆者だった、また、この共同研究の目的は「相互理解の増進」を目指すものされた
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    そもそも相互理解など不可能であると首相に進言すべきであった
  • 総じて日本による侵略的意図の一貫性・計画性・責任問題に帰着する叙述方法は、多様な局面、多様な選択肢・可能性を重視する日本の叙述方法と基本的に「非対称」である、日本による「侵略」と中国人民の「抵抗」という基本的な枠組みは変わっていない、ということである
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    この枠組みに反論できず中国側に押し切られた、本来、合意できないものを合意しようとするから日本側が妥協して中国の歴史観を認める結果になった、学者はそんな妥協はすべきではないでしょう
  • こういった反省も一つのきっかけとなって、著者らは中国史の川島真氏と財政史の松元崇氏も加わり、研究をまとめた、本書はその一部である
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    著者自らそういった点を反省しているのは立派な姿勢である

第一部 戦争の発起と展開

第1章 日中戦争への道程

  • 昭和前期の日本の進路を誤らせた最初の重大事件は満州事変である
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    そういう見方もあるだろうが、私はその前に起こった張作霖爆殺事件も大きいと思う、これにより反日を強めた張学良は後に西安事件を起こし、反共産党政策を推し進めていた蒋介石を反日政策に切り替えさせた
  • 満州事変前には、陸軍少壮将校の間や陸軍中堅将校らは、排日が増大すれば軍事行動を発動させることもやむを得ないと考えた、また関東軍の石原莞爾は満州問題を解決する唯一の方法はこれを日本の領土とすることで、謀略によりその機会をつくり出し、行動を起こそうとした
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    一部の軍人が軍事行動を起こそうとした動機の記載が不十分である、中国人の反日的行動によりどれだけ現地日本人に被害が出ていたか、また、満州民族がどれだけ軍閥に搾取されており、独立したいと思っていたのかも書くべきである
  • 柳条湖事件が起きて、若槻内閣は事態不拡大方針を決めたが、朝鮮軍が独断で越境したことについて、追認した
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    若槻内閣があっさりと追認し、有耶無耶に済ませたと書いているが、若槻首相の決断さえあれば厳しく処罰できたはずであり、その点の批判が甘いと思う
  • リットン調査団の現地派遣は、公平な現地調査に基づいて連盟の最終的な判断を下そうとする試みであったが、日本はこの連盟の苦肉の試みを無視した
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    その通りであり、日本外交の稚拙さである
  • 実は、なぜ日本が連盟を脱退したのか、いまだによくわからないところがある、たとえ、連盟がリットン勧告案を可決しても、法的には日本は脱退する必要がなかったのである
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    その通りである、こういう応用問題に適切な答えが出せないのが当時の日本人の限界である、真面目ゆえ思い詰め、現実的な知恵が働かない
  • 塘沽停戦協定後、日中関係の改善が動き出したが、それに逆行する事態が華北に生まれた、それを生んだのはまたしても陸軍の突出行動であった、として梅津・何応欽協定、土肥原・秦徳純協定に至る経緯が記載されてる
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    関係改善に逆行する動きが現地日本軍から起こされたとしているが、その根拠が書いていない、塘沽停戦協定破りの殺害事件や武力挑発を繰り返したのは中国側である、なぜ正反対の説明になるのか

第2章 日中戦争の発端

  • 盧溝橋事件が発生し、停戦協定が成立した後も、現地で武力衝突が連続して発生し、事態がエスカレーションする、その過程で日本は中国を威圧するために様々な手段を用いた
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    事件発生後、現地の武力衝突はすべて中国側の停戦協定違反による攻撃から始まっている点を強調すべき、エスカレーションが日本側に多くの原因があるような書き方は疑問である
  • 第2次上海事変が起きて、陸軍の2個師団の派兵が決定された、一方、少なくとも中国は日本に抵抗するために全面戦争を戦う態勢をとった
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    中国は戦争をやる気だった、ということも書いていることは評価できる

第3章 上海戦と南京事件

  • 蒋介石は満州事変後、近い将来日本と決戦を行うことを決心し、準備を進めた、日中戦争の直前の1937年3月に制定された「1937年度国防計画」では、第2次上海事変は36年に始まるだろうから、それまでに抗戦準備を完了する旨指示がなされ、第2次上海事件で実行に移された、そしてこれを支援したのがドイツの軍事顧問団である
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    中国側のこのような好戦的な姿勢を書いていることは評価できる、また、日独防共協定を締結していたドイツの背信行為があったのに、のちにこの国と三国同盟を締結するなど日本の外交音痴、国際情勢音痴ぶりが悲しい
  • 海軍軍令部は不拡大方針が放棄されていない時期にもかかわらず、全面戦争の具体的な作戦計画を策定していた、8月9日の閣議で米内海相は、出雲の中国空軍の攻撃を受けこれまでの慎重な姿勢を一変させ、事変の不拡大主義の放棄を主張、さらに全面戦争になった以上南京を攻略するのが当然であると強硬論に転じた
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    城山三郎の小説により米内光政は実際よりずいぶん良く書かれていることがわかる、陸軍悪玉・海軍善玉というような一般的なイメージも実際には違うという指摘は一つの見方であろう、半藤一利氏も「昭和史」で同様な指摘をしていた
  • 8月13日、日中間で発砲事件や衝突があり、14日午前3時、張発奎の部隊は正式に先制攻撃を開始、以降中国軍の全面的な抗戦が展開される、14日午後、上海の海軍特別陸戦隊司令部および黄埔江に停泊していた日本海軍出雲に対して爆撃を行った、まさに、上海での作戦を担当していた張が戦後、上海では中国が先に仕掛けたと回想しているように、上海における開戦は中国側の入念な準備のもとになされたものであった
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    13日の発砲も中国側からなされたものであり、中国は日本と戦争をやる気で先に手を出してきた点をきちんと書いていることは評価できる、満州事変にせよ盧溝橋事件にせよ、上海事変にせよ、挑発して仕掛けてきて、日本側に多くの犠牲者を出し、戦争に引きずり込んだのは中国である、最近の彼の国のわが国に対する数々の挑発行為、敵対行為を見れば、今も昔もこの国のやり方は変わっていないことが理解されよう
  • 南京の事件について、日中共歴史共同研究(北岡伸一・歩兵2014)では、日本軍による捕虜、敗残兵、便衣兵、および一部の市民に対して集団的、個別的な虐殺事件が発生し、強姦、略奪や放火も発生した、と記述されている
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    事件があったとする証拠や目撃証言は今まで何一つ出てきていない、そして反日ムードが蔓延していた当時、虐殺などがあれば、たちまちその話は広まり、海外にも日本の悪行として喧伝するのが彼の国のやり方であるが、それが無かったのが不自然である

(続く)



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