マラソンの畔上和弥選手
2024パリ五輪のマラソン代表選手選考レースMGCファイナリストに、私の母校新潟県妙高高原中学校出身の畔上和弥選手(トヨタ自動車)が選ばれた。
感動的だった彼のインタビューを紹介します。
インタビュアー「MGC出場おめでとうございます。目標をお聞かせください」
畔上選手「代表獲得です。自分としてはあまり華がない選手だと思っているので、僕でできることは他の人でもできるという勇気をあたえられると思うので、チャレンジャーの身でしっかり狙って自分のベストパフォーマンスができたらいいなと思っています」
10年前, 私は上越市の関根学園高校で一年間英語の非常勤講師をした。
たまたま受け持った2年生のクラスに畔上君がいた。
騒々しすぎるほど活発なクラスの中で、畔上君はひとり黙々とノートをとっていた。彼が駅伝の有望選手だと知らなければ、私は彼の名前を記憶に残していなかったかも知れない。
帝京大学に行った畔上選手は、1年生から箱根駅伝に出ていて、3年・4年次は花の2区を走った。
私は、和弥君の雄姿を見ようと毎年箱根駅伝をテレビで観戦していたのだが、彼はいつも10位前後を走っていたので名前は出ても姿はあまり映らなかった。
畔上選手は中学校時代にはクロスカントリースキーをやっていた。当時のクロカンの恩師小林辰男、現妙高高原中学校長の談話:彼は苦しさを表に出さない子だった。厳しい練習の中で気象条件がどんなに変わっても言いつけ通りに淡々と頑張っていた芯の強い子でした。
畔上和弥選手の談話:中1のとき小林先生に教えてもらっている時は本当にきつくて、アルペンスキーのスキー場を逆走してリフトの終点まで行け、って言われて、それで「まじか?」と思いました。それで苦しい中でも頑張るっていう経験ができたのが、今実業団で陸上できていることに繋がっていると思います」
2023MGCは10月15日に東京で開催されます。 畔上和弥選手、頑張れ‼
高校時代の金四郎さんは、きっととても素敵な生徒さんだったのだと思います。
私は昔の教え子に会えば顔はわかるのですが、
名前と卒業年代が分からなくなっています。同僚も同じことを言っています。
ですから同級会に呼ばれたときは、なるべく昔のアルバムを見て出席することにしています。
コメント、ありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。 ゆ~
そして、いつも思うのです。
我が身を見ても、学生時代の先生って、本当に過去のその昔むかしの生徒の事を良く覚えていらっしゃると!!
高校時代が一番闊達明るく楽しく過ごした覚えはあるのですが、私たちが還暦を迎えた卒後42年の同期会。
2年次担任だった先生が、顔を見るなり、名前を憶えて居て下さったこと!
先日、その先生の訃報が入りました90歳!
女性の現代文の担任。
教え子さんのこれからのご活躍もお祈りしますと共に、その名前、頭に刻んでおきます。