大曲の駅前から、街道筋と思われる道路を1.5kmほど歩いてみる。商圏の中心は郊外のショッピングセンター付近に移ったが、洋服屋さんとか靴屋さんとか、酒屋さん等が残る。どれも古い。これから積極的に商売を展開するというより、残った顧客を相手に細々と営業を続けていくのだろう。現在の店主が引退するとき、多くの店は閉店していくことになる。後継者云々は考えにくい。冬になれば、高齢の店主は毎朝、店の前の除雪に奮闘するだろう。1時間も除雪したのに、一人も客の来ない日もあるに違いない。
嗚呼、例えばこういう人たちは、打ちあがる壮大な花火をどんな想いで観てきたのだろうか。それが打ちあがらない数年をどんな想いで過ごすのだろうか。花火大会が中止になり、訪れるはずだった80万人が来なくても、そこに住まう4万人の生活は変わらない。それは一夜の夢だから。一年365日のうち、一日は夢を見ても、残りは364日ある。
LEICA M10 MONOCHROME / SUMMICRON M35mm ASPH
人が思うのは一瞬、それも気まぐれだったりします。
一方、現実はロクさんが仰るように、店主はじめ、そこで働く皆さんの地道な営みが毎日あります。
昔ながらの商店は、特に値段においては量販店になかなか勝負できません。
ですが、先の勝手な思い賃(苦笑)と思えば、妥当な値段かもしれない…。
この度は、そのようなこと。今まで思いもつかなかったことを、考えた次第でした。
ビールも金物も家電も量販店とか、ホームセンターで買います。洋服だって近所の店で買いません。でも近所の店はいつまでもそこにあるものだと思っていたりします。
近所の雑貨屋さんで、木ネジを買うとき、「一体いつからそこにあるんだ」という雑多に積まれた古い箱の下の方から取り出して、感動したことを思い出しました。
こうやって取り出してくれ、歩く必要もないところはホームセンターに比べて利点でもあります。
ぼくももう少し利用しなきゃと思った次第です。無理のない範囲で良いから。
人口4万人程度の街ですか…なるほど、そういう風情が伝わる各写真を愉しく拝見しました。
「一年365日のうち、一日は夢を見ても、残りは364日ある」に何か強く共感します。
「特別な1日」に類しないような、「残り364日」に該当するような、訪ねた先の「普通な情景」に出くわし、それを気が向くように写真にでも撮るというのが好いような気がします。
他方、地方の小さな街の商店を巡る“後継”というようなことは少し考えさせられますね…
個人で商う、特に高齢の方が営むお店が無くなるのは、商店街が振るわなくなってから、避けて通ることが困難となりました。
日頃、街づくりの一端を担う者として、それは止む無き事と理解しつつ、かつてそこにあった「面影」や「香り」を残していけたらと、勝手ながら考えています。
一方で、お店を商う人も、卸が人件費が高いと言うばかりで良いのか…。
一度入ったら、買わなければ出て来られないプレッシャー(苦笑)を感じさせるお店の雰囲気で良いのか…。
一朝一夕にはまいらぬことばかりです。
第65臨時駐車場とか、恐ろしいレベルです。
でも町は人口数万人の小さな町なんですよね。今年は花火大会がないので、365/365の光景となってしまいました。
(笑)。それどころか、「何が必要ですか」と言われ、探し出すと選択肢もなく勝手に会計を始める店も近所にあります。まだ買うとは言っていませんみたいな(笑)。
秋田県に住んだ当初、やはり地元から買わないという思いから、カメラのレンズを買ったことがあります。多少高かったですが、それは貢献だと。入荷連絡があって取りにいくと、勝手に保護フィルターが付けられ、しかもそれが四千円くらいしました。フィルターは手持ちがあるので不要だというと、「もう開けてしまったから商売にならない。大損だ」とレンズの箱をこちらに放り投げてきました。あやうくぶん殴るところでした。その後二度とそこで買うことはありません。
そういう店主も常連客とは上手くうやっているようなんですよね。買う側には「損だけど買ってやる」という意識があり、売り手は「どこの馬の骨だ」と思っている。
この辺を解消する前に、商店文化は終わってしまうような気がしています。