はさみの世界・出張版

三国志(蜀漢中心)の創作小説のブログです。
牧知花&はさみのなかま名義の作品、たっぷりあります(^^♪

実験小説 塔 その22

2019年01月12日 10時50分11秒 | 実験小説 塔


「どうしてまわれ右をしないで、そのまま先に進む!」
「仕方ないだろう。挨拶をして、さあ、まわれ右、という段になって、両脇を神威将軍の部下とやらに挟まれた。逃げるに逃げられなかったのだよ。あなただって、なんだかんだと付いてきたではないか」
「仕方ないだろう。あんたを奪い返そうとしたら、子供たちに周りを囲まれた」
「神威将軍、なかなか人を見る目があるようだな。この料理、もてなしてくれているのはまちがいないが、どうも食が進まぬ」
「あまり食べないほうが無難かもしれない。疑心暗鬼もいやなものだが、どうも落ち着かない」
「味付けは悪くないのだが。聞いてよいか。なにを以て、そう落ち着かないと言い切るのだ」
「どうもおかしい。だが、魏兵との小競り合いをして悲惨な光景を目の当たりにしたあとで、みな、疲れ果てているだろうに、なぜこうも俺たちを歓迎しようとするのだろう。
それに、みながあんたを見すぎる。あんたは、見られることに慣れているから、気づかないようだが」
「気づいているよ。そんなにわたしの顔はめずらしいだろうか」
「たしかにあんたは目立つやつだ。だが、どうもみなの目つきがおかしい。
それに、さっき小耳に挟んだのだが、連中、どうやら俺がまったく羌族のことばを知らないと思っているらしい」
「うん? わかるのか?」
「いつどこでわかるようになったのかは思い出せないが、簡単なことばなら、問題なく聞き取れる」
「そうか、記憶がなくなっても、青羌兵と一緒に調練したり、馬のことでいろいろとやりとりしたときに得た知識が役に立っているのだな。
で、かれらはなんと?」
「願いがどうとか、石を五つ持っているとか話をしていた」
「もしや」
「ああ。神威将軍が、なにも触れてこないことが、いっそう怪しい。石の存在を知れば、おそらく咽喉から手が出るほどに欲しがるだろう。
石はしっかり持っていろ。石が守ってくれるだろうと油断するな。あんたが夢で見た塔が、この地ではないと断言できないだろう」
「夢で見た土地と、この城塞のような集落は、だいぶちがうが」
「しかし、夢で見た光景から、もう何百年と隔たっているのだろう。そうならば、ちがっていて当然だ」
「羌族は赤毛ではない」
「何百年というあいだ、多くの民族が互いに争い、淘汰されていった。そのなかに、あんたが見た王国の末裔たちも含まれていたらどうだ。ほかの部族にその血が吸収されてしまっていたら。
夢のなかで石を掘り出した王国は、漢に攻め入ったはよいが、結局は滅んだのであろう。ならば、いまは王国の面影など、跡形もなくなっていても、おかしくはない」
「それはそうだな。そういえば、わたしの夢で見た王国、あそこもひとつの神しか持たない国だった」
「ひとつの神しか持たない?」
「そう。我らは多くの神を持ち、それぞれに信奉するだろう。しかし、羌族には神はひとつなのだ。天地を生みたもう神も、大地に恵みをもたらす神も、死者の魂を受け止める神も、みなひとつの神なのだ」
「それでは神は忙しかろう」
「すべてをこなせてしまうほどに巨大で偉大な存在なのだろう。想像もつかぬがね。
そうか、共通点は多いな。ひとつの神、そしてその祭祀の象徴としての塔。だとしたら、ここが終着点として、石を帰すべきかもしれぬ」
「慎重になるに越したことはない。ともかく、今宵はここに泊まることになる。お互いに、寝首をかかれないようにしないとな」





「うん? だれだ、夜更けに人の部屋の扉をどんどんと。厠とまちがえているのではなかろうな。それとも刺客が丁寧に来訪を告げてきたか。
おおい、この部屋の主は就寝中だ。用があるならば、朝にしろ」
「起きているのなら、開けてくれ、俺だ!」
「子龍? どうした。う。なんだ、脂粉のにおいをさせて! 女とひと悶着あったから逃げてきた、というのならば匿わぬぞ、勝手に戦え!」
「莫迦、勘違いするな。俺はふつうに寝ていたとも。ところが、ふと気づいたら、女が俺の寝台に忍んできたのだ!」
「ほう」
「なんだ、その目は。俺は何もしてない、潔白だ! というわけで、匿ってくれ」
「やだ」
「なぜだ、薄情もの!」
「わたしが前に言ったことを忘れているな。近づくな、と。こんな夜更けに部屋に入れて、こちらの身が危うくなるのは困る」
「あのな、陳倉での振る舞いは、たしかに俺はどうかしていたかもしれない。謝るから、だから今宵だけでも気持ちをおさめてはくれぬか。あんたには指一本触れないと約束する」
「どうしてそこまで。やってきた女がとんでもない醜女だったのか」
「いいや、文字通り、目が覚めるような、なまめかしい美女であった」
「ふん、ならばせっかくのもてなしを断るまでもなかろうに」
「いいや、あれはだめだ。ああいう女は危うい。一度手を出したなら、それこそなんだかんだと理由をつけて、主導権をがっちり握って、いつまでも纏わりついてくるだろう」
「別に言い換えれば、情の深い女だということではないか。そのうえに美しいのであれば、文句はないと思うがな」
「じゃあ、あんたが俺の部屋に行け」
「お断り。まったく、体が冷えてきた。仕方ない、部屋に入れ」




「女が嫌いというわけではなかったよな。たしか、以前にもうわさになった女が何人もいたと聞いたが」
「だれから」
「ああ、そうか、新野でのことも記憶にないのか。生憎とくわしくは知らないのだけれど、あなたには深い仲になった女人がいたのだよ。会ったことはないし、名前も知らないけれど、きれいな女だったと聞いた」
「そうなのか。なぜ、駄目だったのだろう」
「たしか、その女が、ほかの男のもとに走ったからではなかったかな」
「なんだ、俺は情けない役回りだったのだな」
「落ち込むことはないさ。その女はたまたまで、わたしが知らないだけで、あなたにはほかにもたくさんの色事の噂があったようだよ」
「自分のことなのに、なにも思い出せないとは不便だ。俺は女好きだったか?」
「いいや」
「だろうな。あんたには、みっともないところばかり見せている気がする。女が忍んできたくらいで、こんなふうにぎゃあぎゃあと子供のように騒いで、さぞ呆れているだろうな」
「呆れていないよ。あなたは、女人に対して、畏怖に似た感情を抱いている人なのだ。だから、女人を軽く扱うことができないし、深く入れ込むことも、なかなか出来ないでいる。
そういうふうだから、逆に女人から積極的に来られると、おそろしさが先に立って、混乱してしまうのだろう」
「俺になにがあって、そんなふうになったのだろう」
「すまないが、それに関しては、わたしも知らないよ。あなたは話したがらなかった。しかし、記憶がなくなっているのに、そういうところが変わらないというのは、不便だな」
「無理に常山真定に追い返さなくてよかったと思わないか」
「すこし思うね。単純に、過去の嫌なことが、振る舞いのすべてに繋がっていると思いすぎていたかもしれない。それとも、記憶が消えたとしても、からだに染み付いた癖というのは、なかなか抜けないものなのか」
「じゃあ、俺があんたに惹かれるのも、その癖のひとつかな…………なんだって勢いよく部屋の隅に逃げる」
「逃げるに決まっているだろう! いいか、近づくな。以前の子龍ならば安心できたが、いまのあなたは、まるで信用ならぬ」
「俺はそんなに見境のない男ではないぞ。あんたにはたしかに惹かれるが、変な意味じゃない。そんなところで石の壁にぴったり体をくっつけていたら冷えるぞ。寝台に戻れ。俺は大人しく、床の敷物の上に転がっているさ」
「そうしてくれ。いいな、近づくなったら近づくなよ!」
「はいはい」
「『はい』は、一度でよろしい。まったく、今日は眠れるだろうか」
「眠らなくてもよかろう」
「………近づくなと言ったはずだが、どうして人の顔を覗きこんでいるのかな?」
「いや、ふと思ったのだが」
「なんだ」
「あんた、もしかして、男装した女とかではないよな?」
「は?」
「俺は女嫌いというわけでもないし、断袖の趣味があるわけでもないようだ。ほかの男どもを見ても、なんとも思わないし、むしろ女に目が行くからな。
けれど、なぜだかあんたはちがう。いまの俺には、なににつけても、あんたが最優先だ。考えることも、まっ先に目が行くのもあんただ。おかしいだろう」
「うん、変」
「そうだ、変だ。しかし、あんたが実は女だというのなら、俺がおかしい理由もわかるというものだ」
「で、人の服の襟に手をかけて、なにをしようとしているのかな?」
「脱がして確かめるべきかと」

「ほーお。そうかい、そうかい…………って、ふざけるな! これでも食らうがよい!」
「!!」


「この、大たわけ者めが! どうしてそんな発想になる! おかしさもここにきわまれりだ! ほんとうに趙子龍なのだろうな? だいたい、この技は、あなたがわたしに教えてくれたものだろうが。

まったく、すっかり気絶してしまっている。
以前にもあったな、こういうことが。あのときは、わたしが殴り倒したわけではなくて、そうだ、酒に酔いつぶれたのだったな。

子龍、風邪をひくよ。大人しくしているのなら、寝台の半分を分けてやってもよいのだがね。


いや、床に転がしておくべきであろうか。
うむ、以前の子龍ならば、安心できたけれど、いまの子龍はまったくわからぬ。別人だ。理解不能だ。
わたしが女かもしれないなどと、どうしてそんなことを思うのだよ。そうではないから、あなたは苦しんでいたのではないか。

………もしかしたら、そういうことにしてしまおうと、あなたは考えているのかもしれないな。
塔にたどり着いたなら、あなたは故郷に帰る身であるのだし、たとえ一時にしても、以前と似たような心を抱いているおのれが、恐ろしいのかもしれない。

わたしはあなたがわからない。
過去があるから、あなたの心は曲げられてしまったのではないのか。
そうではないというのなら、わたしは、あなたにっとて、苦しみしか与えられない人間だということになる。
想像することが難しいけれど、わたしが女の身で生まれていて、そうしてあなたと出会っていたら、どんな人生になっただろうな。
いや、想像はつくな。
やはりわたしは、あなたにどうしようもなく惹かれていただろうね。
そして、きっと片時も離れやしなかった。
その可能性だけでは、あなたは満足しないだろうか。




石に願いをかけたら、その願いが叶うかもしれないのだな。




愚かな。そうしてどうなる。
わたしの負っている責務のすべてを、感傷だけで放棄することになる。
駄目だ。いまさら逃げ出すには、わたしはあまりに多くの命を犠牲にしすぎた。それは、あなただって同じことだよ。
すべてを忘れてしまって、気持ちが楽になったのかな。
わたしばかりが取り残されて、こんなに煩悶せねばならぬとは。
いいや、この苦しみも、あなたも同じだと思っていたから耐えられていたものだが、当のあなたのほうは、もっと苦しかったにちがいない。
いや、こんな愚痴をぶつけるのも、お門違いというものか。こうして戻ってきてくれただけでも、本当はよしとしなければならないのにな。


待て。


赤毛がわたしの心を石が具現化したものだとしたら、いまここにいる子龍が、わたしの願望の具現化ではないと、どうして言いきれる。

ほんものだろうな。
つねってみよう。えい。


なんだ、この反応のなさ。
やはり、これはほんものではないのか?」

つづく……

実験小説 塔 その21

2019年01月09日 08時28分12秒 | 実験小説 塔


「ちょうど草叢があって助かったな」
「腹が冷える」
「我慢だ。馬車が来たぞ」
「ほんとうだ。たしかに来たが………貴人どころではない。なんだ、あれは。檻にぎゅうぎゅうに人が押し込まれている。女子供ばかりだ。見たところ、羌族のようだ。馬車を護衛しているのは、魏の兵卒だな。鎧のしつらえでわかる」
「暴動でもあったのかな」
「そうではなかろうよ。噂には聞いていたが、ほんとうらしいな。征服された羌族の部族に、暴動鎮圧の名目で、盗賊のように押し入って、片っ端から人々をとらえては、にしているというのは」
「そういう話ならば、俺も聞いたことがある。ああいう者たちが売られてどうなるかといえば、どころではない。男の子供で器量があるていど良いもの、利巧なものは宦官にされてしまう。女ならばもっと悲惨だ。わかるだろう」
「愚かな。そのようなことをすれば、羌族は勇猛な民族だから、ますます反抗するであろう。
なるほど、やっとわかった。馬平西将軍が涼州に帰りたがっていたのは、単に郷愁ゆえではない。おのれの不在になった故郷が、このような目に遭うであろうことを予想しての想いであったのか」
「馬平西将軍?」
「ああ、覚えていないか。錦馬超だよ。西涼の雄といわれた男だ。いまは蜀にて客将として力を貸してくれている」
「なるほど、ここは、大黒柱をうしなった、英雄不在の土地、ということだな」
「曹操は、たしかに優れた男だ。千年に一度の英雄だよ。しかし、その男の政治も、この西の果てには、なかなか行き届いていないのが現状ということだ。
武をもって武を制する。たしかにこの猛々しい気風の土地を制圧するには、わかりやすい方法だったのかもしれないが、そのあとがいけない。
曹操も老いたか、あるいは、曹操の意図をうまくこの地に運ぶ人材がいない、ということなのか」
「また別の馬車が来た。ひどいな。これは、どこかの集落をまるごと潰したのだろう。それに、荷車のうしろに、なにか引きずって」
「見るな!」
「また鼻を打った…」
「なんとむごいことを。許せん」
「たしかに許せぬが、こちらも鼻の骨が折れていなかろうな? うん? 子龍? どこへ行く!」
「あんたはここで待っていろ。あの馬車をことごと止めてくれようではないか」
「剣ひとつでか! 相手は騎兵だぞ、死ぬつもりか! 待て!」





「行ってしまった……飛び出したところで、いまは足手まといになるばかりだな。なんとまあ、記憶をなくしても趙子龍は趙子龍ということか。めちゃくちゃな強さだな。あっという間に馬を奪って、兵卒を……ううむ、これではどちらがむごいかわからぬ。
子龍、もう出て行ってよいか」
「鍵を奪った。檻からその者たちを出してやれ」
「そんな血まみれの姿でどこへ行く」
「先に言った馬車を追いかけて、かれらも助ける。あんたは、ここで待っていてくれ」
「それはかまわぬが……全身鮮血に染まっているな。雨が来て、その姿をもうすこし人間らしくしてくれることを祈るよ」





「矢のような勢いで行ってしまったな。なんだかんだと面倒見がよいのだな。そして変わらず、武器をもたぬ者には、やさしい。武器を持っているものには、ぜんぜん容赦なしだ。あまり見ないでおこう。
さあ、大丈夫、わたしはおまえたちに危害をくわえたりしない。言葉は通じているのかな。そういえば、馬平西将軍の青羌兵も、言葉が通じる者と通じない者が混在していたな。
いいか、わたしは味方だ、味方。ほうら、武器はもっていない。衣のなかにもなにもないよ。納得したな? だから、檻を開けるなり襲い掛かったりしないように。
よしよし、もう大丈夫だ。いま檻を開ける。ああ、これこれ、敵、というか魏の兵卒は、あらかた子龍が殺してしまったから、そんなに怯えることはないよ。
それよりも、おまえたちはどこから来たのだね。
もっと西の集落、ふむ。隴西のほうか。かれらはどうして襲ってきた。
なるほど、よくある手だな。部族間の争いをおさめるという名目で兵を起こし集落を襲う。ほんとうの目的は、集落の掠奪だ。魏の兵卒は、まだこの土地にきて日の浅い者たちばかりで、家族から遠くはなれてこの任地にやってきているものがほとんど。たいがいが、心に鬱屈したものを抱えている。そうして、掠奪をさせてやることで、兵たちの不満を横にそらして、反逆せぬようにおさえようという、古典的な手法だ。
襲われるほうはたまったものではないし、文官の立場から言わせてもらえば、それこそ一時しのぎのつまらぬ方法だ。百年、いや、千年先を見ておらぬ。
とはいえ、いろいろ学習させられることでもある。わが巴蜀も四方を蛮に囲まれた地。このように武で民を虐げつづけているようでは、国の基盤はさだまらぬ。肥沃な中原を地盤にしている魏であるから、このような振る舞いをして、まだ余裕でいられるのだ。巴蜀ではゆるされぬことだ。
同時に、これは、魏の隙でもあるな。羌族によしみのある者を多く味方につけ、こちらが魏に攻め入ったさいに、内応するように仕向けるというのはどうだろう。
ふむ、わるくない策ではないか。日々、是学習。またひとつ、賢くなってしまった。成長に終わりはないものだな。
おや、その者たちは、そうか、おまえたちの部族の男たちだったのだね。かわいそうに、ほとんど腕がもげかかってしまっている。走る馬車に繋いで引きずって走るなどと、なんとひどい真似をするつもりであろう。ほかの羌族に対する見せしめのつもりであったのか。
よしよし、そうだな、泣くといい。泣いてすこしでも悲しみを流せるものならば、おおいに泣いてしまうといいのだよ」

「ほら、その者に、わたしの上衣を着せてやるといい。ひどいものだ。殺して衣を奪ったか、そうではなく、より苦しめるために裸にして引きずったか……後者でないといい。人のすることではない。
本格的に雨雲がせまってきたな。これは涙雨か。雨宿りできる場所もない。子供たちのなかで、弱っている者はないか? わたしの袖の中に隠れるといい。さあ、みなで身を寄せて、雨が行過ぎるのを待とう。向こうの空は晴れているから、すぐにやむであろう。
子龍はどこまで行ったかな。矢のように行ったきり、戻って来ない。
ああ、わたしか? ただの旅人だよ。大丈夫、ありがとう。雨に濡れたところで、感冒にかかることもなかろう。わたしは石に守られているからな。
それよりも、おまえたちを元の集落に戻してやりたいが、気にかかることがあるな。そこも魏の兵卒に占拠されているのであれば、戻るのはかえって危うい。いくら子龍がおそろしいほど強いとはいえ、ひとつの集落にあつまっている兵卒たちすべてを相手には出来まいよ。
さあて、困った。おまえたちと仲のよい部族の集落へ連れて行くしかなさそうだな。
これこれ、あれは雷だよ。落ちてこないかって? わたしのそばにいる限りはだいじょうぶだ。安心して隠れていなさい。
どうしたのだね?

…………赤毛か? いや、ちがう、人ちがいか。雷とともに登場とは、派手なやつだな。風体も派手だが。貴殿は?」

「神威将軍」
「神威将軍? それは馬孟起のあだ名のひとつであろう」
「馬孟起どのと、知り合いか? ことばが、このあたりの者とちがう」
「やはりわかるか。襄陽から来た、ということにしておこう。神威将軍か。よく考えると華があるというか、派手なあだ名だな。わたしの号といい勝負だ。
貴殿、みたところ羌族のようだが、馬将軍のお身内かなにかか。なぜに馬将軍のあだ名を名乗っている」
「漢族の支配から脱するために立ち上がり戦った、かつての神威将軍は、敗れ、漢族に魂を売った。そしていまは、故地を見棄てて山中の土地にて安穏と暮らしている。いわば、儂らの英雄は死んだも同然。だから、儂がその名を継いだのだ」
「なるほど、馬孟起はまことの英雄であった。それにあやかって、勝手に派手なあだ名を使用しているというわけか。
怒るな、莫迦にしたわけではない。この者たちを助けにきたのならば、もう心配は無用だぞ。わたしの連れが、そなたの部族のものを救うべく、片っ端から魏兵を片付けているところだ。
眩暈がするほどつよいやつだから、朗報を待て」
「そいつは羌族か?」
「ちがうが、どこの民であれ、女子供が理不尽に痛めつけられているのを見るのが許せない性質で……おや、言っている側から帰ってきた、のに、やれやれ、なんだってそう好戦的なのだね。
矢をつがえなくともよい。この者は敵ではないよ、子龍。だいたい、弓なんぞ、どこから持ってきたのだ」
「奪った。おい、そこの派手な羌族。そいつから離れろ。いますぐだ」
「おまえが、儂の仲間を助けてくれたのか」
「この雨であるから、移動が遅くなっているが、みな無事だ。すまぬが、馬車に引きずられていた者は、すでに事切れていたが」
「特に反抗した者たちだった。勇敢な者だ。おそらく神もかれらをすぐにお認めになり、魂をお手元に置かれていることであろう。
おまえに礼を言いたいが、弓で狙われている状態では素直になれぬな」
「そのとおりだぞ、子龍。わたしはこの者に害を為されておらぬ。弓を下ろせ」
「子龍? たしかそんな名前の蜀将がいたはず」
「ああ、わたしの連れは、いま売り出し中の武将でな、やはり趙子龍にあやかるために、字を子龍と名乗っているのさ」
「なんだ、偽者か。年の頃はほんものとおなじくらいなのに、その後塵にあやかるしかないとは、あわれなやつ」
「こ、いや、元平、弓を放ってよいだろうか」
「だめだ。ところで神威将軍、この者たちの集落は魏兵に占拠されているのだろうか。どこか安全な場所に避難させてやりたいのだが」
「それならば、安心するがいい、儂の仲間が魏兵を皆殺しにして、集落を取りもどした。避難していた者たちも戻ってきている。捕まったのは、逃げ遅れた者たちばかりだ」
「そうか、帰る場所があるというのなら、よかった。この檻の馬車には乗せたくない。ほかに馬車の手配はないか。この大雨のなかを歩いて帰すのも忍びない」
「あいにくと、馬車の用意はない。手配をしているあいだに歩いたほうが、早く集落に帰れるというものだ。漢族の子供とちがって、儂らの子供らは足が丈夫だ。
さあ、みな、歩けるな?」
「おや、みなどうしたのだね、そんなふうに不安そうな顔をして。この男は、おまえたちの仲間ではないのかね?」
「儂は仲間だと思っているが、この者たちからすれば、初対面の知らぬ男だ。怖じるのは無理ないかもしれぬ。
おまえたち、神威将軍の名を聞いたことはないか。漢族の支配からわれらが故地を守るために戦っている男だ。おまえたちを魏に売り渡しはせぬ。安心するがいい」





「なんだって集落についていく必要が? 神威将軍の再来などと自分で名乗るところといい、なにやら胡散臭い男だ。ほんとうに魏兵を皆殺しにしたのか、怪しいものだ」
「かといって、ここまで乗りかかった舟だ。この者たちが、ちゃんと家に帰れるか見届けねば、ほんとうに助けたことにはならぬ」
「あんたも、たいがいお節介だな」
「あなたには負けるよ。ああ、あの白い壁の城塞のような建物が集落か。やはり塔がある。あれが羌族の祭祀の中心になっている塔か」
「注目すべきはそこではないぞ」
「あえて目を逸らしたのに。敵将の首を刎ねて、門に串刺しにして飾るとは、あまりよい趣味ではないな」
「魏兵を皆殺しにしたというのは、ほんとうのようだな。しかし、野蛮にすぎよう。このように苛烈なことをしては、よけいに敵をあおるばかりだぞ」





「なんであろう、見えない針の山のうえを、素足で歩いているような心地だな」
「当たりまえだ。ここでは、俺たちは侵略者側の人間だ。あまり俺から離れるなよ。こいつら、いまは大人しいが、ふとした拍子で襲い掛かってくるかもしれぬ」
「命を助けたのに?」
「甘い。命を助けようとなんであろうと、敵は敵だ。あんたはどうやら、人を貴賎や民族の別で差をつけて見ないようだが、たいがいの人間は、そうではない」
「神威将軍と名乗っている男、やはり信用ならぬかな」
「信用できるか否かはわからぬが、妙な空気だ。みなの目を見ろ。あの男を見る目もなにやら不審に満ちている。わかる気がするな」
「あまりに仕返しが苛烈なので、迷惑がられていると?」
「そんなところであろう。あの男の言葉どおりならば、あいつは、錦馬超の威光を借り、部族間の争いを越えて、いまひとたび羌族をひとつにまとめて、この地から魏を追い払おうとしているらしい。が、俺からすれば、凡人の器だ。他人の威光を借りて動くやつが大成した試しはほとんどない」
「厳しいな。しかし、それは言える。あの男、そこそこに度量はありそうだが、せいぜいが地方の太守どまりの器だ。涼州すべてを統べることはむずかしかろう」
「厄介ごとに巻き込まれる前に、さっさとここから出たほうがいい。みな、家族と再会できたようであるし」
「あなたがそこまで嫌だというのだから、相当だな。こういうことの勘にかけては、あなたのほうが上だ。素直に従うよ」
「歓待の宴をする、と言われても、固辞してまわれ右。いいな?」
「わかった。どうやら、あの老人がこの集落の長らしい。挨拶したら、すぐにまわれ右」
「よし、行け」

つづく……

実験小説 塔 その20

2019年01月05日 10時18分02秒 | 実験小説 塔
「なお一層不機嫌になったな。それでも帰れといわないということは、同行してもよいということか」
「追い返しても、戻ってくるだろう」
「まあな。よくよく考えてみたら、俺は常山真定の家族のことをすっかり忘れてしまっているわけだ。
あんたの話からすれば、俺と常山真定の家族、これはあまり連絡をとっていなかったようでもある。だから、とりあえず常山真定に帰るにしても、それはべつに、いつでもかまわないのではないかと思ったのだ。
つまり、あんたが塔に行くのを見届けてから、帰ってもかまわないということではないのかな、と」
「拡大解釈だな」
「そうか? あんたは石に守られているから、道中は無事だと豪語していたが、それは行きの話で、帰りはどうするつもりだったのだ?」
「む?」
「ほらみろ、考えていなかっただろう。あんた、賢いのはたしかだが、いささか間抜けなところもある」
「間抜けはよせ」
「けれど図星だろう。成都には戻らないにしても、せめて国境までは一緒にいるさ。どうした、頭を抱えて」
「一緒にいるということは、たとえ反動がわたしに降りかかるようにと願っても、あなたを巻き込んでしまうというわけではないか」
「なんだ? すまん、聞き取れなかった。すごい風だな。麦がいっせいに風になびいて、潮騒のようだ」
「潮騒はもっと、迫ってくるような音がするよ。これは、ずいぶんと優しい波音だ。けれど、この黄金の海にはふさわしい」
「宝玉も宝剣も、この光景の前では価値が褪せるな。身を飾るものをあつめたところで、その者自身の心を高めてくれるわけではない。けれど、この光景は、あたりまえのようにここにあり、そしてだれのものでもなく、等しくその姿を見せてくれる。そう思えば、人の欲望や執着など、ずいぶんとちっぽけなものだ」
「それは、初めて聞いたな。ああ、だからあなたの家は、なにもなかったのか」
「俺は自分がなにを願ったのかは思い出せないが、忘れてしまった記憶のなかに、きっと多くの宝があったにちがいない。そしてそれこそが、ほんとうは俺を成しているものであったはず」
「美しいものがわずかで、つらいことのほうが多かったのかもしれないのに」
「それでも、なぜだろう、俺はなくしたものにこだわらなければならない気がするのだ」
「懲りない人だな。石を使った意味がない」
「そうかもな。でも、記憶は消えても、このからだのどこかが過去を覚えているのだろう。だからこそ、俺はあんたの言葉を聞きたくなって、しょうがなくなったのかもしれない。つまりは甘えているのだろうな。
こういうと、また殴るか」
「殴らない。けれど、この人たらし、と思った」





「つねに一定距離、というのも難しいな。だいたい、あんた、足のほうは大丈夫か」
「おかげさまで絶好調。気にせず離れて歩け。あんな扱いを受けるのならば、足が磨耗してしまうほうがよほどマシだ」
「ずいぶん怒らせたものだな」
「なーにを他人事のように。ところでな、ひとつ聞きたかったのだが」
「なんだ」
「正直、これを聞いてよいものかどうか、迷っているのだが、あなたは、いままで、わたし以外に、その、なんというのだろうな、同じ男と分類されるものに対して、似た振る舞いをしたことがあったのか」
「………………」
「興味本位で聞いているのでもないし、憎まれ口でもないぞ」
「おぼえている限りでは、ないな。なにを根拠にこう思えるのか、自分でもわからないが、たぶん、あんたが俺にとっての特別なんだろうさ。また怒るかもしれないが、それでも謝る気がすこしも沸かない」
「やっぱりあなたは変だ」
「病気かな」
「病気かどうかはわからないけれど、変だ。あれほどさんざん突き放したのに、どうして一宿一飯の恩義を忘れぬ犬のように戻ってくるのやら。
変わり者。おせっかい。いじめられ好き」
「なんだ、最後の『いじめられ好き』とは」
「言葉のままだ。どうやらあなたは、いじめられればいじめられるほどに喜ぶ人らしい。思わぬ性癖が見つかったものだ。ああ恐ろしい」
「あのな」
「一定距離を保てと言っただろう。近づくな。ああ、こんな調子で塔までもつのだろうか。行けば行くほどに、目になじんだ光景とはちがう光景に変わっていくというのに。
人の容貌もちがえば、風物もちがう。緑が目に見えて少なくなってきた。桂陽や臨烝のあたりの豊かな山水を思えば、まさにここは不毛の大地だな。
平西将軍は、いまでもこのあたりを恋しがっているといっていたが、わたしにはわからないな」
「じき、狄道だ。その先は涼州に入る。昼と夜との寒暖がはげしいところだから、街道を行くにしても、準備は万端にしておいたほうがよかろうな」
「やはり馬がいるか。塔はおそらく、まだもっと西にあるのだと思う。涼州のその先、か。帰ってこられるだろうか」
「弱気だな。安心しろ、なにがあっても、あんたは成都に帰してやるよ」





「見ろ、遠くの雲が、まるで水のなかに墨をこぼしたようになっている」
「天気が崩れているらしいな。じきにこちらに雲が流れてくるかもしれない。いそいで雨宿りができるところまで移動したほうがよさそうだ。と、言っているはしから、なぜに足を止めるのだ」
「せっかちだな。こんなにめずらしい眺めはないのに。あなたも一緒に見るといいよ。恐ろしくも美しい光景だと思わないか。
ほら、いま光ったのは、雷ではないだろうか。子龍、わたしは父がおとぎ話に聞かせてくれた、雨雲を操る雷師がほんとうに天空を駆っているなどという話は、想像たくましい古のひとびとの作り話だと思ってきたけれど、こんな風景を見ると、もしかしたらと思うな。黒雲があんなにうねって、まるで龍のようだ」
「あいにくと、俺には、あんたのように、旅情とやらをいちいち楽しむ余裕のない男のようだ。早く移動しよう。あの龍は雨を降らせるぞ。ずぶ濡れになったうえに、風邪を引きたいか」
「引きたくない。足を止めさせて悪かったな」
「悪くはないが」
「が?」
「雲にかこつけて足を止めたが、じつは足の具合が悪くなっているのではなかろうな」
「と、いいつつ近寄るな。わたしの足は、わたしが面倒をみる。怪我も重なれば、皮が厚くなって、かえって頑丈になるものさ」
「その怪しげな自家製のぬり薬、効いているのだろうな」
「失礼な。アカギレ、しもやけ、じんましん、虫刺され、なんでもござれの万能ぬりぐすりだぞ。と、いまごろ雷鳴が落ちてきた。間近で銅鑼を鳴らされたら、こんなふうだぞ。ああ、むかし、新野で、心根のいやしい士卒長から、こんな嫌がらせをされたものだな」
「その士卒長はどうした」
「さあて、生きているのか死んでいるのか…………どうした」
「いや、いま、雷鳴に紛れてしまったが、馬車の音が聞こえた」
「それは聞こえるであろうよ。ここは街道だもの」
「ただの荷車ではないぞ。車輪の音に対して、馬のひずめの音が多すぎる」
「よくわかるな。六頭立ての馬車というのなら、貴人のものであろうか」
「貴人か。ここは敵地だな。となると、やってくるのは誰だ」
「このあたりの太守であろうか。おや、ほんとうだ、近づいてくるようだ。わたしの耳にも聞こえてきたぞ」
「聞こえてきたぞとのん気に構えている場合か、隠れろ!」
「手をつかむな! 近づくなと言っただろう!」
「そんな場合か! 頭を上げるな。地べたに這いつくばっていろ!」
「…………!! いま鼻を打ったぞ……」

つづく……

実験小説 塔 その19

2019年01月02日 09時43分26秒 | 実験小説 塔


「いいのか、本当に行ってしまった。これでおまえは一人というわけだ」
「またか、赤毛」
「涙も出ぬか。おまえは、心を閉じこめるのがうまい。しかし、こういう悲しみはあとでじわじわと来るぞ。癒えぬ火傷のあとのように、ふとした瞬間に痛んでたまらなくなる。そんな苦しみにおまえは耐えられるか? 
いまからでも遅くない。戻ってこいといえばいい。あの男は、おまえの言葉に喜んで従うであろう」
「そうであろうな」
「わかっていて突き放したか、物好きな」
「子龍はわたしを忘れて、心安らかになりたいと願い、そしてその願いは叶えられた。それなのに、また逆行するような真似をしてどうする。同じ苦しみをどうしてくりかえす必要が?」
「では、おまえの心はどうなるのだ」
「わたしの心はどうとでもなる。もともと、わたしは一人だった。だれのものにもならぬ者。それが、元に戻っただけだ」
「やせ我慢でないといい。石は五つもある。途中で挫けて、石を使ったら、おまえは、あの薬師の女のように道半ばで倒れることになろう」
「石を塔に届けたらどうなる。本当になにも起こらないのだろうな。ふたたび人に発見されて、おなじ災禍をまき散らさないか?」
「塔で待っている者こそが、本来の持ち主なのさ。おまえを待っている。おまえは声を聞き、そして答えた。
おまえがいま言ったとおり、これは、本来ならば、おまえ一人の旅だったのさ。しかし、おまえはあの男を巻き込んだ。みずからの手で、あの男と手を切ったようなものだ」
「………」
「どこかで、安堵していないか。これでもう、思い煩うことはなくなる。あの男の存在が悩みになったことが多々あったはずだ。
困惑していた、足手まといに思っていた、そうだろう。有能な男だが、道ならぬ思いをなぜだか抱いている男だった。あんたはそれに答えることができないというのに、いつまでもいつまでも変わらなかった。
あんたは、あいつのそんな気持ちをなかば利用していた。絶対的な忠誠を捧げてくれると信じていた。実際にそうだった。決して裏切らない男。便利だよな。
けれど、そうして利用している自分にも、嫌気がさしていたのもほんとうだろう。あいつがいなければ、おまえの悩みも、ひとつ片付く。
なに、簡単なことだ。死んでしまったと思えばいいのさ。あんたが、あんたの飼い主にそういうふうに言い訳するつもりならば、いっそ自分でも本気でそうだと信じてしまったほうが楽だぜ」
「おまえは本当に容赦がない。だが、語る言葉はほんとうだ」
「そうだろうさ」
「わたしはおまえが何者か、わかった気がする。おまえはわたしだ。わたしが石のなかに見い出した、わたしの心の欠片なのだ。消えるがいい、おまえはわたしにとって、無用の者だ。道はわたしが決める。迷いはもうない」
「おまえは石を使うつもりだな。まず、「すぐに塔につけますように」。つぎに、塔についたなら、「趙子龍の身に起こるであろうすべての反動を、この身に受けますように」。
そうすれば、塔に石を返すことができるうえに、あの男を守ることができる。
おまえが自信たっぷりに、あいつを送り出すことができたのも、前からそうしようと決めていたからだ」
「そこまでわかっているのなら、もう消えろ。わたしの心をいたずらにかき乱したところで、もはや決意はかわらぬ。おまえはわたしの心の『未練』や『悲しみ』からできている。
だがな、どんなに悲しもうと、もう元には戻らぬのだよ。消えるといい。そして、わたしに戻れ。嘆くなら、ともに嘆けばよい。わかっているのだ。もう、嘆くことのほかに、わたしには、できることが、もうなにもない」





「わたしにとって、あなたが何者であったかと最後に問うたな。あなたはきっと、わたしにとってのもうひとつの人生だった。わたしであって、わたしではない者。それがあなただった。
だから切り捨てることなぞ、どうしたってできやしなかったのだ。
その心が邪魔だと言って、切り捨ててしまったなら、わたしの心も同じように死んでしまう。
わたしは、あなたを通して世界を見た。それまでは、どこか狭いところから、わずかな隙間を通して、外の世界を見た気になっていたにすぎなかった。
どんなに悲しいもの、恐ろしいもの、おぞましいものを目にしようと、なぜだろう、あなたとともに見たものは、すべて美しかったように思える。
あなたの心が邪魔だったわけではないのだよ。わたしたちはずっと一緒だった。
ふしぎだな、年も違えば、生まれも育ちもまったくちがうのに、わたしたちは言葉で多くを語らずとも、つねにともにあることができた。
あなたを恐れたことはないし、疑ったことも一度もない。うぬぼれではなく、わたしはあなたをそこまで理解できていたのだと思う。
これだけ大地がつづいていて、そのなかに街があり、そしてさまざまな人々がすんでいる。ちまたにあふれるだれもが、みなわたしとちがうものであり、たまに気が合う者がいたとしても、それとて一瞬の縁であって、ともに人生を歩むことにはならないのだ。
なぜだったのかはわからないが、あなただけがわたしと一緒に歩こうとしてくれたのだ。迷えば道を示してくれたし、歩けなくなったなら、手を差し伸べてくれた。
おそらくは、もうほかのだれも、あなたとおなじ役目はできまい。似たような者がいたとしても、所詮は似たものでしかないのだ。
どうして共に旅にでたかと問うたな。決まっているではないか。世界を見たかったのだよ。いつもならば見落としてしまうもの、空や、大地や、風の色、星の姿、すべてを共に見たかった。
これからはきっと、わたしはなにを見ても、ひとしくあなたのことを思い出す。そうしてきっと、あなたがここにいたなら、なんと言っただろうかと考えるだろう。
わたしのこの心がなんなのか、知りたくないし、名づけたいとも思わない。
ただ、はっきりいえることは、たとえ忘れられたとしても、それでもずっと一緒だということだ。この身が朽ちて、心が天に還る日まで、それは変わらない。

海を見てみたいと言っていたな。
見るがいい、小麦の穂が夕陽をうけて、風にそよいでいる。
黄金の海だよ、子龍。あなたがここにいたら、なんと言っただろう」





「地平までつづく麦畑とは壮観だな。農夫たちは、みな帰ってしまったのか。だれもいない。
ここには魚も貝殻もないが、なんと美しい光景であろう。黄金の海、黄金の波だ。
西の空の彼方に太陽が消えていく。わたしはあれを追っていくのか。
風の音しか聞こえぬ。
ああ、わたしは本当にひとりなのだな」





「?」






「なぜだ」





「わたしは、東へ行けと言わなかったか?」
「言った」
「ならば、なぜ戻ってきた」
「海を見に来た」
「嘘をつくな。たまたまだろう」
「顔をよく見せてくれ」
「見て楽しい顔でもあるまい」
「憎まれ口も、いまは、なしだ」
「なにを考えているのだか……………!?」




「! 兇悪なやつだな。殴るか?」
「殴る! なにを考えているのだ! 変、あなたは、ほんとうに変だ! この、よいか、いまからわたしに接近することを禁ずる! 決められた距離から近づいてはならぬぞ、このおそるべき変態めが!」
「へんたい。いま、すこしばかり傷ついたぞ」
「いきなりおかしな真似をするからであろうが! ふつうはしない。絶対にしない。いいか、わかったな、近づいたら、つぎはぶん殴るどころではない」
「どうなる」
「彼方の太陽を追いかけたいと言っていなかったかな? 石に願いをかけて、その願いを叶えてくれよう。好きなだけ追いかけつづけるがよい」
「わかった。もうなにもしない。大人しくしている」
「反省しておらぬな。ということは、隙を見せたら、またおなじことをするかもしれないということではないか。
ああ、またも災厄をかかえてしまった。というよりも、これが反動ではないのか? どうして我が身にばかり苦労が耐えないのであろう」
「苦労にも、いい苦労と、わるい苦労の、二種類あって」
「だまれ。あなたの説教は、いま聞きたくない」

つづく……

実験小説 塔 その18

2018年12月29日 09時51分11秒 | 実験小説 塔


「………」
「………どうなっている」
「奇跡なんて言葉を、簡単に使いたくないのだがな」
「しかし奇跡としか言いようがないであろう。宙に子どもが浮かんでいる」
「まことに翼でも生えたか。おや、ゆっくりと落ちてくる」
「女の様子がおかしいな。具合が悪そうではないか?」
「そうか、わかった。子龍、子供はおそらく放っておいてもよろしい。それよりも女のほうだ! 急げ!」
「どうした。しかし子供のほうがあきらかに尋常ではないぞ」
「ふつうならば、空を飛ぼうと崖から落ちたら、死ぬのだ。ところがあの子供はそうならずに、ゆっくりと落ちてくる。
つまりだ、あの女が、また石を使ったのだ。おそらくは、子どもに石を使わせないでくれということと、子どもを助けてやってくれという願いをかけた」
「なんだと、一度に二個も石を使ってしまったというのか?」
「評判どおりの女だったというわけさ。そして、一気に反動が来た。若い女だったはずだが」
「これは……なにがあったのだ、髪がこんなに白くなってしまって、肌もしわだらけで、手足もやせ細って、まるで老婆ではないか」
「これが反動というものなのか。辛うじて息はしているな。われらがわかるな? おまえがその石を盗んだ者だ。石は、おまえを選んではいなかったようだな。
しかしなんということを。見ず知らずの子供のために、おのれの命を終わらせようというのか。
笑っているな。なぜだ。なにがうれしい。おまえの命の火は消えようとしているのに。おまえは、石をあつめて、どうしたかったのだ?」
「塔へ行きたかったのではない?」
「……そうか、そなたは天晴れな女だ。そなたら夫婦の噂は聞いていた。どのような遠方の者であろうと、病になったと聞いたなら、厭わずに足を向けて治療に専念したと。
最初に石をつかったときに、そなたは賛成し、そなたの夫は反対した。けれどもそなたが引かなかったので、夫はそなたの身を案じ、みずから石を使った。そして、反動によって、夫は死んだ。
そなたは、そのことをとても悔いた。だからこそ、おのれと同じ悲しみを負う者がこれ以上でないようにと、石を集めていたのだ。そこへわたしがあらわれた。
そなたが持っていた石はふたつ。その願いに引き寄せられるように、わたしもふたつの石を持っていた。
おまえの前に、赤毛の男はあらわれなかったのか? 塔へ行けとはいわなかった? そうか、やはり、一度でも石を使用した者の前には、あの男はあらわれないのだな。
安心するといい、石はわたしを選んだ。そして、石を塔に返す役目も、わたしが担う…………そうだ。安らかに眠るとよい。あの世で、そなたの夫と、ふたたび出会えるとよいな」





「狼どもや鳥に荒らされぬように、墓を掘ってやろう。見事な女であった。すべてを失っても自暴自棄にならず、悲しみと戦って、あがき、死んで行った。だが、石は女の心などおかまいなしに容赦のない運命を運んでくる。
だめだ、やはりこんなものが世にあってはならない。石が四つ。さて、あとはあの小僧だな。
やや、懲りぬやつ、また使おうというのか! 子龍、止めよ!」
「子供相手に全速力とはな」
「いいから早く! 子猿のようにすばしこい子供だ。事態が良く呑みこめていないらしい。
おい、阿維といったか。その石は恐ろしい石なのだ。そなたも夢に見たであろう。その石は、塔に返さねばならぬもの。それに迂闊に願いをかけてしまうと、ひどいめに遭うのだぞ! 
は? なんだって?」
「……どういう環境で育っているのだ。『やかましい、男女』だと。
ええい、暴れるな! おまえをどうこうしようという意志はない」
「わたしが男の格好をした女に見えるか。まだ幼いというのに、目が悪いとは気の毒な。というか、どういう躾を受けておる!」
「は? なんだと? 自分は麒麟児と呼ばれている。麒麟なら空を飛べるはずだとおもって、挑戦したのに邪魔をした? 
おい、こ、じゃない元平、ともかく、この子供から石をとりあげろ!」
「まったくもう、暴れるなというのに。状況がまるでわかっておらぬな。こちらは人助けをしているのだぞ、ひ・と・だ・す・け。わかるか、子猿。おまえは助けられた命なのだよ。
あっ、蹴った! おのれ、もう許さぬぞ。そなたが麒麟児ならば、わたしは龍だ! それでも飛べぬものは飛べぬ! たわけものめが、ついでにこうだ!」
「あのな、子ども相手に、どうしてそんなに本気になれるのだ。程度が同じ……」
「みなまで言うな。同じように頬をつねりあげるぞ」
「火がついたように泣き出したな。客観的に見てどうだろう。これは俺たちが、ふたりがかりで、子どもから石を盗もうとしているようにみえないか」
「気にするな、これも躾けのうち」
「虐待では」
「だまれ。こやつ、年長者に逆らうとはいい根性だ。こんど逆らう時は、全力でかかってくるがよい。わたしも相手になってやろうではないか」
「妙な挑戦をするな。気の強い子供だな、受けてたつ、と言っているぞ」
「ふん、楽しみだな。そなたが武将として、わたしの前にあらわれることがあるならば、だが。案外、大人になったら、ふつーに畑を耕しているかもしれぬ。気が向いたなら、野菜を買ってやろう」
「負けない小僧だな。ぜったいに武将になって、こてんぱんにやっつけるだと。俺たちがどこから来たのか、わかっているような口ぶりだな」
「ふん、ならばなおのこと面白い。文句があるなら左将軍府にいらっしゃい、というのだ!」
「だから挑発するな。あとあとめんどうになっても知らぬぞ」

「やれやれ、大変な目に遭った。阿維といったな、忘れぬぞ。
まったく、天水の者たちも感じのわるい。われらを行きずりの盗賊と勘違いするとは」
「あんたが子どもの挑発を真に受けて、大人気なくも、喧嘩をはじめたからであろう。あんたいくつだ。あの子はまだ十にもなってないそうだぞ」
「だからこそ、世間の厳しさというものだな」
「ぜんぜん教育になっておらん。あんた、子沢山だというわりには、ダメだな」
「大きなお世話だ」
「あの子どもの母親が出てこなかったなら、どういうことになっていたやらだ。話の判る女でたすかった。でなければ、警吏に引き渡されていたぞ。
でもまあ、子供としては、さんざん悪態はついていたが、最後には『また来てね』などと言って手を振っていた。あんたのことを、図体のでかい遊び友達と認識したものらしい」
「また来るときがあるとしたら、敵の軍師としてだろうな。薬師の女の埋葬を手伝ってくれたのは感謝しているさ。それに、思いもかけず石も五つあつまった。これで迷わず西へ向かえる」
「だが、そのまえに陳倉というのだろう」
「そうだ。この分ならば、明後日にはつくかな」
「陳倉で、趙子龍としての俺はいなくなるわけか。あんたとも会えなくなるな。こういっちゃなんだが、寂しくなる。
あんたは楽しい道連れだったよ。わがままに振り回されっぱなしだったが、それが楽しかった」
「変わり者」
「その憎まれ口も、ひとりになったら、思い出すのだろうな」
「呆れたものだな。記憶を取り払った趙子龍という男は、こんなに感傷屋だったとは」
「感情が豊かなのだと言い換えてくれ」
「似たようなものだろう。武将としては、あまりよいことではないぞ。まあ、これからのあなたのことは、あなたが自分で決めるのだ。
あなたならば、きっとなんでもこなせるよ。その気になれば文官とて務まろう。あなたほどに、すべてにおいて過不足なくこなせる人は滅多にいない」
「それはまた、怖いくらいの誉め言葉だな」
「事実を述べたのだよ、子龍。そうか、この名も、ほかに人のない道中だからこそ呼べるが、陳倉に入ったなら、もう、そういうわけにはいかないか」
「自分で言うのもなんだが、よい字だと思う」
「うん、そのとおりだ。それは素直に認める」
「あんたの号は臥龍というのだったよな。自分の字を捨てることで、あんたのことまで捨ててしまうような気がしてならぬ。これも感傷だろうか」
「そうだな、感傷だよ。気にしてはならない」





「よい馬を選んでもらったな。それに道中の用度品もこんなにたくさん。路銀を使い果たしていなかろうな。あんたのほうが、はっきりどことも知れぬ土地へいくのだ。俺よりも厳しい旅になるだろうに」
「安心するといい。わたしは石に選ばれた者。何百年かの年月を経て、ようやく石は五つそろったのだ。いざとなれば、石がわたしを守るであろう。
あなたはもうなにも煩うことなく、ひたすら東へ向かうのだ」
「思い煩うなというのはむずかしいな。どうしたって、しばらくはあんたのことを思い出すだろう。くりかえしになるが」
「だめだ。何度言わせる。もう決まったことだぞ。あなたは、いずれは願いの代償として反動を受ける身。わたしの旅の妨げとなるであろう」
「わかった。最後の最後で、みにくい言い争いはよそう。けれど、ほっとしたぞ。陳倉に入ってから、あんたはまるで口を利いてくれなくなった。最後まで、だんまりかと思ったよ」
「最後だからな。挨拶くらいはするさ」
「それでもいい。ところで、最後だと言うことで、もうひとつ尋ねたい」
「なんだ」
「正直に答えてはくれぬか。あんたにとって、俺はほんとうはどんな人間だったのだ。なぜ、二人で旅をしていた」
「それをいまさら聞いてなんとする。もはやなにも変わらぬ。あなたは願い、そして叶った。なにも聞かず、東へ行け。こんどこそ、なにものにも縛られず、平穏な日々を手に入れるといい」
「あんたが俺のまわりからいなくなったら、きっと静かになるだろうな。それが平穏なのだろうか」
「わたしのことは考えるな。薄々は気づいているだろう。あなたの故郷は、いままでのあなたの敵地の中にある。これからが大変だ。
いままでの名をいっさい捨てよ。わずかに覚えている記憶は封じてしまうのだ。わたしの名も、二度と口にしてはならぬ。
本当にどうしようもなくなったなら、徐元直という男がいる。手紙はもったな? かれを頼りにするといい。手紙にすべて事情はしたためた。おそらくは、力になってくれるであろう」
「なにからなにまで、すまない」
「礼は不要だ。達者でな」
「ああ。最後、最後とくりかえしてすまぬが、もうひとつだけ。これで気が済んだなら、俺はもうゆく」
「なんだ」
「あんたの手を貸してくれないか」
「手? どうして」
「いいから……ありがとう。あんたのことを、これで忘れないだろう」
「忘れろと言っているのに。わたしの手の感触なんぞ覚えていて、なにが楽しい。さして面白くもない手だと思うが」
「さてね。自分でもよくわからない。ただ、どうしても、あんたのことを忘れたくないのだ。なぜだろうな」
「さあ。変わっているのだよ、あなたは。もう気が済んだであろう」
「ああ、そうだな。もう行こう。短いあいだだったが、孔明、俺はあんたがとても気に入っていたよ」
「そうか、ありがとう。よく言われる」
「そうだろうな。では、元気で」
「さようなら」

つづく……

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