はさみの世界・出張版

三国志(蜀漢中心)の創作小説のブログです。
牧知花&はさみのなかま名義の作品、たっぷりあります(^^♪

赤壁に龍は踊る・改 二章 その3 孔明、目をつけられる

2025年01月15日 10時31分58秒 | 赤壁に龍は踊る・改 三章
なにか言われるかな、と周瑜をうかがう。
周瑜は、あらかた手紙を読み終わると、平素と変わらぬ明るい調子で言った。
「こちらに色よい返事をしている者は、果たして信頼できるだろうか。
どちらにも良い顔をして、二股をかけるような半端な人物は、わが陣には不要ぞ」
「そ、それはごもっともでございます」
龐統は、卓の上に周瑜がさりげなく仕分けた、こちらにいい返事を寄越した者たちの手紙を見た。
あきらかに数が少ないが、くわえて、あきらかに信頼できそうにない人物たちからの手紙ばかりだった。
龐統が、これぞと見込んだ人物は、馬良や陳震らをはじめ、ほとんどが劉備につくと明言している。


周瑜は、とんとんと指先で卓を叩きつつ、言う。
「荊州の者たちは、われらのことを良く知らぬから、われらを荊州に対する侵略者になるかもしれないと警戒しておるのだろう。
それにしても、漢王朝に心を寄せる者の多いことにはおどろかされるな。
董卓が洛陽を焼いたとき、われらが孫文台《そんぶんだい》(孫堅)さまがいちはやく漢王朝の墳墓を直したことを、みなは忘れたのか……」
嘆き、かすかに苛立つ周瑜に、龐統は言った。
「世間は過去のことを忘れてはおりませぬ。
孫家が洛陽で墳墓を直し、かつ、得た玉璽を守り通したのは漢王朝への忠義の証。
だからこそ、孫家は揚州にて人心を得ているのですから」
「しかし、それすら血筋の前には、かすむようだ。
劉豫洲《りゅうよしゅう》(劉備)や劉琦《りゅうき》にくらべると、わが将軍は、手紙にあるように、たしかに漢王朝にとっては他人だ。
われらが天下を得るにあたって、その事実とどう折り合いをつけるか、そこが大切になって来ような」
「左様で」
曹操のように、漢王朝の正統な後継者を保護するか、あるいは、劉備のように漢王朝復興を看板にかかげるか。
簒奪者として史書に名をのこすのは、だれもが嫌がるところである。
しかし、龐統としては、あえて汚名をかぶる覚悟がなければ、天下の建て直しなどできまいと思っていた。
とはいえ、それを声高に主張して孫権に突っぱねられた魯粛と言う前例があるので、慎重な龐統は黙っている。


「それにしても……申し訳ござらぬ、わが力が及ばぬばかりに、ことごとく色よい返事を得ることができませなんだ」
龐統がこぼすと、周瑜は白い歯を見せて笑った。
「なに、貴殿の力が及ばなかったとは思っておらぬ。
たまたま、孔明どののほうが、先にみなに強い印象与えただけのことだと、わたしは思うておる。
状況は刻々と変わる。これからも、荊州の者たちに手紙を送り続けてくれ」
地味な仕事だが、ほかに人心に訴える手段はすくない。
心得ました、と龐統が軽く頭を下げると、不意に周瑜が言った。
「しかし、孔明どのは目立ちすぎるな」
「は」
「すこしばかり、おとなしくしてもらわねばならぬ」
涼しい顔で、周瑜はそう言って、何を想像しているのか、微笑んでいる。
なにか恐ろしい予感がして、龐統は口をつぐんだ。
周瑜は単なる美貌の将というだけではなく、大胆なこともやってのける男である。
そして、計算高く振舞うこともできるのだ。
『なにか企んでおられる』
そう思うと、龐統は孔明が気の毒になった。
周瑜に睨まれて、揚州から無事に出られる人間はいない。
それほどに、周瑜の力はすみずみにまで及んでいるのである。


と、そのときである。
「銅鑼が聞こえませぬか」
「うむ、聞こえるな」
龐統と周瑜が顔を上げたとき、ちょうどそこへ部将のひとりが飛び込んできた。
「都督、急ぎ御仕度をなさってください、敵が襲来してまいりましたっ」


それを聞いた周瑜の動きは早かった。
すぐさま、別の部屋に控えていた従者たちに命令し、鎧姿に転じる。
そして、大股で部屋を出ると、凛とした声で、大騒ぎになっている軍に命令した。
「みな、いよいよ曹賊がやって来たぞ! われらの力を存分に見せつける良い機会だ! 
あの老いぼれを切り刻み、河の魚のエサにしてしまえ!」
おうっ、とその場の兵士たち、武将たちが、周瑜の威勢のいい命令に応じた。
龐統が見るかぎり、だれの目も星のように強く輝いている。
死んだ目をしている者はひとりもいない。
周瑜のさすがの統率力というべきだろう。


周瑜は龐統をふり返ると、穏やかに言った。
「すこしばかり戦ってくる。孔明どののことは、またのちほど相談させてくれ」
「分かり申した。どうぞご武運を」
ありがとう、と言って、周瑜は颯爽と出撃していった。
『すこしばかり、か。たいした余裕だ』
龐統は感心するほかない。
そしてまたあらためて、周瑜に目をつけられた孔明に、深く同情するのだった。


つづく


赤壁に龍は踊る・改 三章 その1 龐統の懊悩

2025年01月14日 10時09分59秒 | 赤壁に龍は踊る・改 三章
龐統は届いた書簡を前に、唸ることもできなかった。
それというのも、返事と言う返事が、予想よりもずっと悪いものばかりだったからだ。
中には、はっきりと、孔明に誘われて劉豫洲《りゅうよしゅう》(劉備)に味方するつもりなので、そちらには仕えられないと書いてあるものすらあった。
もっと突っ込んだ内容のものになると、
『孫討虜将軍《とうりょしょうぐん》(孫権)は揚州の英雄であるが、荊州とは何のかかわりもない人物で、漢王朝との血のつながりもない。
その将軍に仕えろと言うが、かれに仕えるのと曹操に仕えるのと、どう違うというのか。
野望をむき出しにして荊州を狙う人物が、曹操から孫将軍に代わるだけなのではないか。
それならば、いくらか大義名分もあり、漢王朝につながる劉豫洲のほうがいい……』
と書いてある。


龐統は、人々の意識の中に、まだ根強い漢王朝への期待が存在することを痛感せずにいられなかった。
漢王朝がなにをしてくれたというのだ、と思うのだが、人々は、蹴られても踏みにじられても、漢王朝を心のよりどころにして慕っているのである。
高祖からはじまって、王莽《おうもう》の時代という中断はあったにせよ、四百年ちかいあいだ、民衆は漢王朝を頭に戴いてきた。
その重みか。
人々は、群雄のうちだれが天下を取るにせよ、漢王朝を復興させ、継承する人物がよいと思っているようである。


龐統に届いた荊州人士たちの手紙には、孔明の影響らしく、劉豫洲という文字があちこちに書かれていた。
劉豫洲……その出自も貴いとはいいがたい、本来なら漢王朝の出身だと標ぼうすらできなかったであろう人物。
そのかれが、人々の期待の星になっているというのは、龐統からすればじつに奇妙なことだった。


『臥龍……孔明を軍師に迎えたことで、より求心力を増したのだとしたら』
そう思うと、龐統もなんだかおもしろくない。
孔明とは姻戚同士で、年も近く、曹操嫌いなところまでは共通している。
だが、選んだ主君は別だった。
孔明は三顧の礼までされて、劉備に丁重に迎えられた。
龐統はと言うと、孫権ではなく周瑜のもとで功曹としてはたらいている。
功曹は、いわば人事を司る局長的存在で、地元の有力者の子弟がつとめた。
周瑜は龐統に、荊州と揚州の橋渡しを期待しているのだろう。
その期待を早くも裏切ってしまったかたちだ。


孔明の仮家に、鶉火《じゅんか》が偵察に行って帰って来たときから、嫌な予感はしていた。
鶉火は、あやうく主騎の趙雲に捕まりそうになったという。
そんな危険をおかしてまで、鶉火が持って帰って来たのは、孔明のところに荊州人士から、多くの賛同の手紙があつまっている、ということだった。


陸口城の一室で、窓からさんさんと太陽の光が入り込んでいる。
その光を背に受けて、周瑜は、いま、荊州じゅうから返って来た手紙をひとつひとつ読んでいた。
美しい眉をぴくりとも動かさない。
ときどき手紙を手に、ほう、とか、そうか、とか相槌を打つ。
揚州では得られない知見が書かれているのが、新鮮なのだろう。


周瑜の前に、卓をはさんでかしこまっている龐統は、肩身が狭かった。
それというのも、けっきょく、孔明に手紙で競り負けたからだ。
柴桑に同盟を持ち掛けに来た孔明が、その日のうちに矢継ぎ早に荊州の曹操についていない骨のある男たちへ片っ端から手紙を送ることは予想できなかった。
その行動の速さには舌を巻くほかない。
『あいつは、むかしから、行動力はずば抜けていたからなあ』
と、龐統は孔明の姿を思い出しつつ、小さくため息をつく。
臥龍と鳳雛という号をそれぞれもらって以来、比較されることが増えた。
号を得たことは嬉しいことだと無邪気に喜んでいたのに、そのこと自体が、だんだん呪いのようになってきている。
孔明と違い、龐統は弁舌がうまくなく、育ちが恵まれていたため、おっとりしているところがあった。
今回は、命がけで揚州にやってきた孔明に、うまく出し抜かれたかたちである。


つづく


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