大広間にいた者のなかで、簡啓《かんけい》をはじめ孫直《そんちょく》の席のそばにいた者は、孔明の采配で、順番に事情を聞かれた。
かれらの話を総合すると、孫直はたしかにちょくちょく厨房に出入りをしていたらしい。
それが周慶《しゅうけい》の言うとおり、『つまみ食いをするため』だったのかと孔明が問うと、そうではなく、蘇果《そか》が目当てだったのだろうというのが、大方の意見だった。
その蘇果は、大広間の片隅で、侍女たちと一緒になって呆然と立っていた。
いい仲だったという話だから、とつぜんの恋人の死に、声もあげられないのかもしれない。
白妙《はくみょう》に怪しいところがなかったかと、それぞれに尋ねてみたが、だれもが、
「白妙にそんな度胸があるとは思えない」
と答えた。
どうやら、下働きには似合わない、かなりおっとりした娘であったようだ。
白妙が皿を入れ替えたところを見たのは、周慶以外になく、蘇果にたずねても、彼女は首を横に振るばかりだった。
さらには、
「具合が悪うございます、休ませていただいてよろしいですか」
と、真っ青な顔で言われたので、孔明は侍女のひとりを蘇果に付き添わせ、下がらせた。
ついで、周慶にほんとうに皿を入れ替えるところを見たのか、念を押して尋ねる。
周慶は、ぎゅっときつく両手の指を組んで、祈るように答えた。
「間違いありませぬ、なんでそんなことをするのかと叱ったので、また戻したかと思っていたのですが、戻していなかったのですね」
「なぜわかるのだね」
「はじめに軍師さまにお分けするはずだった鶏肉は、骨付きではなかったのです。
でも、軍師さまの皿には、骨付きの肉があります。
それが、孫直どののところに行くはずだった皿ですわ」
孔明はおのれの食べかけの骨付き鶏肉を振り返った。
白妙が皿を入れ替えていなかったら、自分の命は今頃なかったわけだ。
皿を入れ替えた以上、白妙が怪しいのではなく、白妙が皿を入れ替える直前に膳に近づいた者のほうが怪しいのではと、孔明は考える。
だが、それを尋ねると、周慶の記憶はあいまいで、
「大勢の料理人が忙しくしておりましたので、特別おかしなふるまいをした者は、白妙以外に記憶にありませぬ。
あの子ったら、厨房で蘇果と孫直どのが仲良く話をしているのを見て、どうしても孫直どのの気を惹こうと思い詰めてしまったのですね。
だから、注意しても皿を戻さなかったのだわ……」
とのことだった。
孔明は、なるべく許可なく大広間から人が出ないよう命令していたのだが、気づけば劉封《りゅうほう》の姿がない。
「劉封どのは、どこにいるのですか」
思わず声が尖る。
すると、簡啓が、申し訳なさそうに口を開いた。
「白妙の様子を見に行くのだといって、出て行ってしまいました」
「止めなかったのか!」
孔明の傍らにいた趙雲がきつく咎めると、簡啓は、すみません、と縮み上がった。
「いかんな、あいつめ、白妙を逃がしてしまうかもしれない、ちょっと見に」
行ってくる、と趙雲が言いかけたところで、ほかならぬ劉封が、白い顔をして戻って来た。
人間、ここまで生きたまま白くなれるのかというほど血の気がなく、さきほどまで身なりも整えていたのに、結った髪も冠の位置も崩れて、衣は水に濡れている。
劉封の姿に、みなが唖然としていると、かれはがくっと膝から崩れ落ち、涙声で言った。
「白妙が……逃がそうとしたのに、井戸に身を投げた」
「なんだって」
「わたしがちょっと目を離したすきに……白妙は死んだ!」
そう言うと、劉封は地面に身を投げるようにして、大声で泣き出した。
劉封のことは、簡啓にまかせて、孔明たちは急いで白妙が身を投げたという井戸に向かった。
井戸は、兵舎のそばのちょっと引っ込んだところに掘られたもので、すでにその死体は井戸から引っ張り上げられていた。
孔明は白妙の衣をあらためたが、そこには黒い烏《からす》の羽根はない。
そのかわり、襟首のところに密書が隠されていて、開いてみると、曹操宛のものだった。
新野城の内部の様子、孔明の仕事ぶりとその能力、どれくらい城になじんでいるかなどのこと細かい報告が、そこにはある。
「やはり『黒鴉』とやらは、白妙だったのか」
だれかが、悲し気につぶやいた。
つづく
かれらの話を総合すると、孫直はたしかにちょくちょく厨房に出入りをしていたらしい。
それが周慶《しゅうけい》の言うとおり、『つまみ食いをするため』だったのかと孔明が問うと、そうではなく、蘇果《そか》が目当てだったのだろうというのが、大方の意見だった。
その蘇果は、大広間の片隅で、侍女たちと一緒になって呆然と立っていた。
いい仲だったという話だから、とつぜんの恋人の死に、声もあげられないのかもしれない。
白妙《はくみょう》に怪しいところがなかったかと、それぞれに尋ねてみたが、だれもが、
「白妙にそんな度胸があるとは思えない」
と答えた。
どうやら、下働きには似合わない、かなりおっとりした娘であったようだ。
白妙が皿を入れ替えたところを見たのは、周慶以外になく、蘇果にたずねても、彼女は首を横に振るばかりだった。
さらには、
「具合が悪うございます、休ませていただいてよろしいですか」
と、真っ青な顔で言われたので、孔明は侍女のひとりを蘇果に付き添わせ、下がらせた。
ついで、周慶にほんとうに皿を入れ替えるところを見たのか、念を押して尋ねる。
周慶は、ぎゅっときつく両手の指を組んで、祈るように答えた。
「間違いありませぬ、なんでそんなことをするのかと叱ったので、また戻したかと思っていたのですが、戻していなかったのですね」
「なぜわかるのだね」
「はじめに軍師さまにお分けするはずだった鶏肉は、骨付きではなかったのです。
でも、軍師さまの皿には、骨付きの肉があります。
それが、孫直どののところに行くはずだった皿ですわ」
孔明はおのれの食べかけの骨付き鶏肉を振り返った。
白妙が皿を入れ替えていなかったら、自分の命は今頃なかったわけだ。
皿を入れ替えた以上、白妙が怪しいのではなく、白妙が皿を入れ替える直前に膳に近づいた者のほうが怪しいのではと、孔明は考える。
だが、それを尋ねると、周慶の記憶はあいまいで、
「大勢の料理人が忙しくしておりましたので、特別おかしなふるまいをした者は、白妙以外に記憶にありませぬ。
あの子ったら、厨房で蘇果と孫直どのが仲良く話をしているのを見て、どうしても孫直どのの気を惹こうと思い詰めてしまったのですね。
だから、注意しても皿を戻さなかったのだわ……」
とのことだった。
孔明は、なるべく許可なく大広間から人が出ないよう命令していたのだが、気づけば劉封《りゅうほう》の姿がない。
「劉封どのは、どこにいるのですか」
思わず声が尖る。
すると、簡啓が、申し訳なさそうに口を開いた。
「白妙の様子を見に行くのだといって、出て行ってしまいました」
「止めなかったのか!」
孔明の傍らにいた趙雲がきつく咎めると、簡啓は、すみません、と縮み上がった。
「いかんな、あいつめ、白妙を逃がしてしまうかもしれない、ちょっと見に」
行ってくる、と趙雲が言いかけたところで、ほかならぬ劉封が、白い顔をして戻って来た。
人間、ここまで生きたまま白くなれるのかというほど血の気がなく、さきほどまで身なりも整えていたのに、結った髪も冠の位置も崩れて、衣は水に濡れている。
劉封の姿に、みなが唖然としていると、かれはがくっと膝から崩れ落ち、涙声で言った。
「白妙が……逃がそうとしたのに、井戸に身を投げた」
「なんだって」
「わたしがちょっと目を離したすきに……白妙は死んだ!」
そう言うと、劉封は地面に身を投げるようにして、大声で泣き出した。
劉封のことは、簡啓にまかせて、孔明たちは急いで白妙が身を投げたという井戸に向かった。
井戸は、兵舎のそばのちょっと引っ込んだところに掘られたもので、すでにその死体は井戸から引っ張り上げられていた。
孔明は白妙の衣をあらためたが、そこには黒い烏《からす》の羽根はない。
そのかわり、襟首のところに密書が隠されていて、開いてみると、曹操宛のものだった。
新野城の内部の様子、孔明の仕事ぶりとその能力、どれくらい城になじんでいるかなどのこと細かい報告が、そこにはある。
「やはり『黒鴉』とやらは、白妙だったのか」
だれかが、悲し気につぶやいた。
つづく
※ 事件、解決……??
いやいや、まだつづきます。
「序章」にあるまじき長さかもしれない、今回のお話。
もうちょっとだけお付き合いくださいませー;
ではでは、次回もおたのしみにー(*^▽^*)