はさみの世界・出張版

三国志(蜀漢中心)の創作小説のブログです。
牧知花&はさみのなかま名義の作品、たっぷりあります(^^♪

臥龍的陣 雨の章 その14 人攫い、あらわる

2022年05月25日 08時40分45秒 | 英華伝 臥龍的陣 雨の章



新野城内にたどりつく寸前に、とうとう雲から、ぽつぽつと大粒の雨が落ちてきた。
足を速めて城門へ行くと、なにやら騒ぎが起こっている。
見ると、門衛たちに、農婦らしい女が、くってかかってなにやら訴えているのだ。
さては、門衛のだれかが野菜でも買って、その値段を踏み倒したかと趙雲は思った。
だが、近づいてよく見てみると、そうではない様子だ。
農婦の勢いがあまりにすさまじいため、門の近くの町人たちや、陳情に城に来ていたと思しき者たちまでが、雨が降り出したにもかかわらず、つぎつぎと集まってきている。

「お願いでございます、どうか、会わせてくださいまし」
やつれのみえる農婦は、門衛のひとりにすがっている。
すがられている門衛は、困り顔で、
「何度も説明したではないか。おまえの息子はここにはおらぬ!」
と吐き捨てた。
だが、農婦は引っ込まない。
「そんなはずはございません。あたしの子はたしかに、お殿さまの徴兵だからといって、お役人に連れられていきました。お城にいるはずです。どうして隠すのですか? まさか、息子は死んでしまったのではないでしょうね」
「ここにいない者が、ここで死ぬわけがなかろうが! ええい、だれか、なんとかしてくれ!」
「お願いでございます! ひと目でよいのです、会わせてください!」

去ろうとする門衛に、なおも農婦がすがろうとする。
門衛は、それを避けようとして、思わず、ひじで、したたかに農婦のアゴを打ってしまった。
農婦が、降りだした雨を受けて、湿りはじめた地面に倒れる。
見物人のひとりが、非難がましく、
「あっ」
と叫んだのをきっかけに、見物人たちは、いっせいに門衛たちに向け、どやしはじめた。
「おい、ひどいじゃないか」
「こんなに言っているんだ、息子に会わせてやれ」
「ほんとうに死んじまっているんじゃないだろうな」
やじを飛ばす者、拳を振り上げて怒号をあげる者、農婦を助け起こす者で、門の周りは大騒ぎだ。

いかん。

趙雲は、群衆をかき分けるようにして、農婦と門衛のあいだに割り込んだ。
見るからに身分の高い者があらわれたとわかったのか、門衛たちを悪しざまに罵っていた群集が、ぴたりと鎮まった。
一方で、騒ぎを聞きつけ、城壁から、わらわらとほかの守衛たちが集まってきている。
「みな落ち着け」
趙雲が重々しく言うと、門衛も守衛も、小雨に打たれながらも騒いでいたひとびとも、趙雲に視線を集めて黙り込んだ。
静かになったのを見計らい、趙雲は起き上がっていた農婦に尋ねた。
「おれは劉豫州の主騎で趙子龍という。そなたの息子が、徴兵されたというのは間違いないか」
「はい、もちろんでございます。お役人さまは、この子は新野へ連れて行く、とはっきりおっしゃいました。それであたしも安心したのです。あたしだけじゃなく、ほかの村の者も、その言葉は聞いておりました。息子の名前は、張治平と申します。お預けしたのはよいのですが、それでも幼い子ですから、どうしているか心配で、心配で。どうぞ、会わせてください」

それを聞いて、さきほど、農婦を倒れさせてしまった門衛が、またも苛立った声をあげてさえぎった。
「だから、何度も申しているではないか! おまえの息子がここにいるはずがない」
「おい、なぜそう、決め付けるのだ」
趙雲が門衛にたずねると、門衛は、むすっ、としたまま答えた。
「しかし趙将軍、この女の息子は、まだ十一歳だというのです。此度の徴兵の基準は、十六歳以上の男子であったはず」
「でも、お役人さまは、十一歳ならばちょうどよいといって、連れて行きました。どうして、みんなして、あたしに嘘をつきなさるのですか? 治平は、あたしの大事な一人息子でございます。お殿さまのためならばと差し出しましたけれど、離れてみると、心配で心配で、夜も眠れませぬ。どうぞ、会わせてくださいまし」

趙雲はぎょっとした。
孔明によって、曹操の南下にそなえ、徴兵がおこなわれたのは事実であるが、その基準は十六歳以上の壮健な男子で、長男以外、というものであった。
十一歳の少年で、しかも一人息子を、徴兵などするわけがない。

趙雲は、門衛の長に命じて、農婦を城にいれてやった。
つづいて、徴兵を担当した者を捕まえて、至急、名簿のなかに、農婦の息子の治平の名前がないか調べさせた。
治平とやらが、少年らしい武器を持つ者への憧れで、年齢を詐称して、徴兵に応じた可能性がある。
だが、そうでないとすれば…
徴兵にまぎれて、人攫いが出没したのだ。
純朴な農民をだまし、子どもを連れ出して、奴隷商人に売り飛ばす、悪辣な連中だ。
もし人攫いが出たのならば、ほかにも被害にあった村があるはずだ。





「まさか人攫いとは、油断も隙もない世の中ですな、わたくしも、娘の銀輪をしばらく外に出さないことにいたします」
さわぎがひと段落したあと、やれやれ、と言いながら年寄りのようにおのれの肩を叩きつつ、ひょっこりと現われた副将の陳到が言った。
熱を出した銀輪の看病ゆえか、目の下に隈ができている。
陳到は趙雲と、ほぼ同年なのだが、所帯持ちのためか、ずいぶん老けて見えた。

「銀輪は、もうよいのか」
「おかげさまで、落ち着きました。ところで、昨日の模擬試合は、散々だったようですな」
「言うな、思い出したくない」
「はは、そう落ち込まれませぬよう。ところで、斐仁のやつが休みを取っておりますので、東の蔵の管理を代理でそれがしが受け持つことにいたしました」
ご確認を、と陳到が、東の蔵にある官給品の在庫をしらべた竹簡を差し出す。
「在庫の確認は、ただ在庫を数えるだけの仕事でありますが、あの蔵にまつわる怪談がはやっておりますので、みながかかわるのをいやがりましてな。まったく、迷信深い連中は、これだから困る。たしかに気持ちの悪い場所ではありますが、いやがっていたなら仕事が定時で終わらなくなってしまう」
「怪談とは、例の幽霊の話か」
「そうです。妓女を取り合った男たちが殺しあってはずみで火事になり、いちど蔵は焼けている。そのため、あの蔵には、火傷だらけの幽霊が出る、という。古参兵どもめ、ひまつぶしに新米を怪談話でからかったようでして。新米どもがすっかり震えあがって、ここにいるのはいやだ、早く出たいとみな騒ぎはじめたのです。これを鎮めるのに、在庫を数えるよりも時間がかかってしまいました」
「それはご苦労であったな。ところで、斐仁はなぜ、休んでいる?」
「本日は感冒で熱が出たので休むと斐仁の家の者が連絡して来ましたが。斐仁になにか?」

今日は引き籠もるつもりか? 
それともまさか、逃げ出すつもりではなかろうな。

「叔至は、斐仁と親しかっただろうか。あいつについて、どう思う?」
「はあ、そうですな、金持ちですな」
「今朝、はじめてやつの家をみたが、ずいぶんと立派な屋敷に住んでおるな」
趙雲が水をむけると、噂好きの陳到は、身を乗り出して、話し出した。
「それだけではございませぬ」

部将のだれともうまくやっており、みなの集まる炉辺では、かならず隣で陳到が餅を焼いて噂話を収集しているといわれるほどの噂好き。
陳到は、きらりと目を輝かせ、日ごろの情報収集の成果を趙雲に披露しはじめた。

「やつめ、別宅に妾を囲っておるのです。あちこちから、珍しい華美なものを取り寄せて、妾をまるで宮女のように飾り立てているとか。うちの女房なども、妾はいやだが、きれいなものに囲まれているのは羨ましい、などと当てこすりを言ってきまして」
「斐仁は、なぜにそんなに金を持っているのだ?」
「さあて、なにせ親しい者がいないに等しい、人付き合いのわるい男ですから、くわしいことは判らないのですが、親戚の財産を譲り受けたという話ですが、まさか?」
「なんだ?」
「斐仁に、横領の疑いがかかっているのでは?」
「そうではない。ただ、気になることがある。叔至、すまぬが、口の固いのを数人選んで、斐仁の屋敷を見張らせておいてくれ。斐仁が屋敷を出るようなことがあったら、すぐに報せるように言ってくれ。もちろん、このことは内密に頼む」
「承知いたしました」
陳到はそう言うと、なにも聞こうとせずに、辞去した。
陳到は趙雲を尊敬しており、ほかの武将とは別格にあつかっているので、詮索好きの性分も、抑えられるのである。

つづく

臥龍的陣 雨の章 その13 それぞれの行方

2022年05月18日 07時55分03秒 | 英華伝 臥龍的陣 雨の章



空き家を出てから、趙雲はひと晩中、夏侯蘭の姿をもとめて夜の新野を歩きまわったが、ついぞその姿をみつけることはできなかった。
一夜が明け、屯所で軽く朝食を兵士たちとともに摂りながら、熱くなっている頭を冷ましつつ、これから為さねばならないことを考えた。
 
夏侯蘭。
そして、斐仁。
斐仁は、あの屋敷から逃げ出した。
ふつうに考えるなら、あの女の客が斐仁だったと思うのが自然だろう。
だとすると、娼妓と斐仁とのあいだでなにか諍いになり、斐仁が女を殺してしまったのではないか。
しかし、夏侯蘭の話では『狗屠』という者が下手人で、そいつは許都でも数人の娼妓や夜道を歩いていた女を殺しているという。
一方の斐仁は、趙雲の知る限り、ここ数年は新野を離れたことのない男だ。
一ヶ月と家を空けたことがないし、暇をやった覚えもない。

とすれば。

斐仁は、非番なので、娼妓を買い、空屋敷に連れだって入った。
ところが、そこへ『狗屠』が、いかなる理由か、襲ってきた。
斐仁は、からがら逃げ出すが、女は逃げられず、殺された。
そこへ『狗屠』を追って、許都からやってきた夏侯蘭があらわれる。
ついで、何者かの歌声につられた趙雲があらわれ、これと戦うことになった。

しかしなぜ、斐仁、そして娼妓が襲われなければならなかったのか。
『狗屠』の本命は娼妓殺しで、斐仁は巻き添えをくらっただけなのか?
そして、趙雲が聴いた歌を唄っていたのはだれだったのか?




趙雲は、このまま自室に戻っても眠れないことはわかっていたので、さっそく斐仁の屋敷に行くことにした。
また雨が降りそうだ。
いまにも泣き出しそうな、重苦しい雲が空を包んでいる。
雨を歓迎するような、蛙の声が、どこかの水場から聞こえてきた。
おぼえず、つい早足になりながら、趙雲は斐仁の屋敷に着いた。
しかし、趙雲を待ち受けていたように家令がやってきて、あるじは、熱を出して寝込んでおり、とてもではないが、だれとも会えそうにない、と言う。
しばらくねばったが、家令の態度はかたくなで、とても斐仁に会えそうにない。
登城してきたところを捕まえるしかなさそうだ。

『おれが来ることを予想していたな』
趙雲は思った。
斐仁は聡い男だ。
空屋敷から逃げ出すおのれの姿を、趙雲に見られていたことに、気づいていたのだ。
そして、趙雲が屋敷に詮議に来ることも予想していた。
『しかし、付け焼刃だぞ』
家令がいつまでも門扉から去らないでいる屋敷を振り返り、思った。
たとえ直接、手を下したのではないにしろ、女を見殺しにした、その事実はかわらない。
もし登城してきたら、さっそく斐仁を捕らえて、それなりの処罰を加えねば、と思った。

それにしても、斐仁の屋敷は立派である。
門構えといい、囲いの向こうに見える屋根の大きさといい、とても一介の部将のものとは思えない。
もともとは、斐仁は劉備ではなく、劉表の配下のものであった。
劉備が新野に入ったのとあわせて、劉表が劉備に『贈った』兵のひとりであったのだ。

かつての主である劉表の待遇は、それほどに良かったのだろうか。
そう考えて、斐仁とおなじ環境にあって、劉備のもとにやってきた兵士たちの屋敷を思い出し、否定してみせる。
斐仁だけが特別に金を持っている様子だ。
いまままで気に留めてこなかったことだが、これほど金を持っている男が、どうして自分のところに異動しようと思ったのだろうか。

斐仁は、江夏郡の出身で、劉表の配下であったときに、怪我をして、片足がうまく利かなくなった。
しかし、数字につよいところを買われて、官給品の支給に向いているから東の蔵の管理をしたいと志願してきた。
そして、官給品の管理も仕事にもっている、趙雲の部隊に異動となったのである。
副将の陳到とならぶほどに特長のない男だが、そういえば、子沢山だと、いつだったか酔ったときに言っていた。
ともかくもの静かで、目立たぬ風貌の男である。
ひとたび親しくなれば、口を開くのであるが、時にびっくりするほど無表情になるため、何を考えているかわからない男だという向きもある。

ともかく、斐仁は屋敷に籠もっていることはわかった。
これは、あとで捕まえる。

さて、問題は夏侯蘭だ。
新野は、さほど広い都市ではない。
それに、七年もの歳月を新野にて過ごしてきたために、住人も趙雲となじみで、情報をあつめやすい。
どこに隠れているかは知らないが、仮にそれが旅籠であれば、すぐに見つけられる。
妓楼であっても同様だ。
とはいえ、あの風体では目立つし、あまり金がない様子であったから、もしかしたら、昨日のような空き家に潜んでいるのかもしれない。
ともかく、夏侯蘭をつかまえ、『狗屠』という正体不明の娼妓殺しの下手人の情報を引き出さねばなるまい。
第一、曹操の部下を新野で好き勝手にさせておくわけにはいかない。
たとえ動機が何であれだ。

つづく…

臥龍的陣 雨の章 その11 臥龍先生のお叱り

2022年05月04日 13時30分00秒 | 英華伝 臥龍的陣 雨の章


気が付くと、孔明は、文机のまえで手をとめて、固まっていた。
「どうした、書かなくていいのか」
「…書けると思うか?」
ようやく固まっていた口が動いた。
しかし秀麗な面差しはこわばり、口がへの字に曲がっている。
そして、趙雲を見つめるその双眸には、はっきり『ばか』と書いてあった。
趙雲は思った。
弁舌の術を学問として学んできた人間にとっては、口下手な武骨者の話など、さぞかし、つまらなく聞こえるにちがいない。
趙雲は、憮然としつつ、言う。
「すまんな、おれは話すのが得意ではない。話があちこちに飛ぶので、まとめるのは大変だろう」
「それはよいのだ。あなたの話はよくわかる。いや、分かる分からないの話はどうでもいい。いまの話、だれにもしていないだろうな?」
していない、と答えると、孔明は、大きくため息をついた。
「ああ、おどろいた、本当におどろいた。いままでは、ここにいる武将のなかでは、あなたがいちばん利巧だと思っていたのに、とんだ見込みちがいをしていたものだ」
いいつつ、孔明は筆をおいて、こめかみをさする。
趙雲はたずねた。
「なにを驚く? 娼妓の死体を発見して、そのあとすぐに埋葬したことを、報告しなかったことか?」
「それもある」
「報告しようと考えた。しかし、夏侯蘭の思惑がわからぬし、逃げた斐仁のことも気になっていた。もうすこし自分で調べてから、報告しようとしたのだ。けして、夏侯蘭をかばったわけではないぞ」
「それはわかる」
「ならば、夏侯蘭のことか? たしかに許都の役人が新野に入り込んでいたというのはゆゆしき問題だ。だからこそ、娼妓のことも含めて、もうすこし調べてから報告しようと」

すると、孔明は、趙雲の言葉をさえぎり、顔をあげると、するどく言った。

「たわけ。それが問題なのだ! 旧友と再会したので判断力がにぶっていたにしても、ずいぶんと、らしからぬ振る舞いをしたものだな。夏侯蘭とやらが、曹操の密偵でなかったとしても、敵方の役人であることに間違いはない」
「わが君より兵卒をあずかるひとりとして、新野の警備がまだ甘い、という点では反省している」
「ばかもの。わたしが言いたいのはそうではない! 子龍、もし曹操の役人と夜中に二人きりで話をしているところを誰かに見られたら、どういうことになると思う? 
たとえあなたが清廉潔白であったとしても、世間は疑惑の目を向ける。しかも曹操の南下が近いというので、これほどぴりぴりしている中で、そんなことが発覚したら、ただではすまぬぞ。このばかめ!」
「すまん」

怒鳴るだけ怒鳴ると、孔明は、水差しから水をついで、一気に飲み干した。
そして、気を鎮めるためだろう。
ため息をついて、趙雲のほうに顔をむける。
「子龍」
「なんだ」
「先に言ったことにつけくわえる。思いついたことを、思いついたまま、話せ。ただし、隠し事をしたり、嘘をついたりするな。そして、わたしに話したことは、けしてほかの誰にも漏らしてはならぬ。わが君にもだ」

するどい、真摯な眼差しが、寝台の上に身を起こした趙雲とぶつかった。
冴え冴えとした夜気のうえで見あげる、冬の月を思わせる冴えた双眸だ。
天下一のうそつきでさえ、これほど澄んだ眼差しを前にしては、嘘をつくこともできまい。

「約束だぞ。よいな?」
「わが君にも?」
「わたしは、あなたが嫌がることが判っていて、あえて言っているのだ。いいな。だれのためでもない。自分のためだ。そして、われらのためでもある」
『われら』。
それはたった二人、言った本人と、自分をふくめての二人だけを指すらしい。
趙雲が黙っていると、孔明は、とがっていた声をわずかにやわらげ、たずねてきた。
「疲れたか? すこし休んでもよいが」
そうして趙雲は、ようやく気がついた。
これは尋問にしては気づかいされすぎている。
「軍師、なにを考えている?」
趙雲の問いに、孔明は怪訝そうに眉をしかめる。
「なにを、とは?」
取調べというわりには、部屋には孔明以外の人間もなく、表に兵士はいるようだが、趙雲を閉じ込めておくためというよりは、侵入者を警戒している様子である。
だいたい、尋問の対象者をかいがいしく看病し、縄を打つでも、拷問にかけるでもなく、いちばん落ち着く自室で横たわらせ、気遣いながらの取調べなど、あるものか。

部下の斐仁が、襄陽城の程子文《ていしぶん》を殺した。
どうしてそうなったのか、その一点だけを集中して聞けばよいものを、孔明の話の聞き方は丁寧すぎるようにも感じられた。
なぜなのか。
それは、おそらく、孔明を憎んでいるといってもよい、劉備の養子の劉封らのことが頭にあるのだろう。
下手をすれば、劉封は裏で糸を引いたのは、孔明ではないか、と疑いすらするだろう。
劉封はなにかと孔明を目の敵にしている。
じゅうぶんありうることであった。

いま、襄陽の劉家では、お家騒動が起こっているのだ。
病が篤いという州牧の劉表には、ふたりの子がある。
劉備が後見をしている長男の劉琦《りゅうき》。
これの対抗馬として、後継に推されているのは、劉琮《りゅうそう》という、劉琦の腹違いの弟である。
劉琮は、まだ幼いといってもいい少年なのであるが、これの母親は蔡夫人といい、ほかならぬ、孔明の妻の叔母であるのだ。
つまり、麋芳と劉封たちは、妻の一族を盛りたてて、ひそかに荊州の実権を握ろうとしているのが、孔明ではないか、と勘繰るだろうというわけだ。

つづく

臥龍的陣 雨の章 その10 許都から来た男

2022年04月27日 12時48分41秒 | 英華伝 臥龍的陣 雨の章


屋敷には、雑草の生い茂る庭の一角に、ひょうたん型の池があった。
そのすぐそばの四阿《あずまや》の横に、降りつづいた雨のおかげで地面のやわらかくなっている場所を見つけ、趙雲と夏侯蘭は、そこに穴を掘り、女の死体を埋葬してやった。
屋敷の一角に墓を掘るなど、ふつうはしないことであるが、女の身体の破損があまりにひどいために、そうするしかなかったのだ。
それに、四阿の周囲には、むらさき露草や、菖蒲がしずかに花開き、それだけではなく、池の上には、睡蓮が神秘的な姿を見せている。
ここならば、無残な末路をむかえた女も慰められるだろう。

「あいかわらず、つめたいのか優しいのか、よくわからん奴だな」
夏侯蘭は揶揄するように言った。
手についた泥を池の水で洗いながら、趙雲は年月を数えていた。
そして、おどろいた。
夏侯蘭と別れてから、もう九年の月日が流れたのだ。
「子龍は変わっておらぬ」
夏侯蘭は、なつかしさに目を細める。

趙雲のほうは、あるいは変わっていなかったかもしれない。
だが、夏侯蘭のほうは、おどろくべき変りようであった。
頭をきれいに丸刈にしており、いかにも堅気ではなく、諸国を渡り歩く食客、といった風情である。
片方の耳だけに女物の耳輪をし、槍を持つ手には、それぞれまったく趣味のちがう腕輪が、いくつもはめられていた。
これまで仕留めた敵の戦利品、というわけだ。
太い眉と大きな目、中央に鎮座する団子鼻。
その、どこか人を食ったような容貌は、別れたときと変わりがない。
だが、かれの浮かべる表情には、趙雲の記憶と差があった。
夏侯蘭のいちばんの美点であった、突き抜けるような明るさが消えていたのだ。
愛想よくふるまってはいるが、笑顔でごまかそうとしている表情の裏側にあるのは、荒野の狼のような、凶悪で暗い光である。

「ほんとうに、おまえがやったのではないのだな」
趙雲が重ねてたずねると、夏侯蘭は乾いた笑い声をたてた。
「女を切り刻む趣味はない。信じろ」
「しかし、歌なんぞ唄っていたではないか」
「歌?」
夏侯蘭の顔が、怪訝そうにゆがむ。

おなじ白馬義従として、寝食をともにした仲だ。
その人となりはよく知っている。
嘘をついている顔ではない。
空耳であったのか?

「聞こえなかったのか。潘季鵬が唄っていた民謡のように聞こえた。てっきりおまえが唄ったのだとばかり」
「歌はざんねんながら、俺の耳には入らなかったな。風向きによったのかもしれん。それにしても潘季鵬とはなつかしい名前を聞いたな」
「潘季鵬は、生きているのか?」
その名が出ると、夏侯蘭の口元にあった、嘲笑めいた笑みが消えた。
それまで暗かった眼差しに、わずかに陽が灯る。
「潘季鵬か。あいにくと、易京で別れて以来、俺はあの人と会っていない。消息もわからん」
「そうか。おまえも知らぬか」
「ということは、おまえまであれきりなのか。意外だな。俺なんぞより、おまえのほうが、潘季鵬の気に入りだったではないか」
「潘季鵬の話はあとにしよう。それより、なぜおまえは新野にいる。常山真定に帰ったのではなかったのか。それに、なぜこの屋敷に入り込んでいたのだ?」
「一度にあれこれ問われても答えるのがむずかしいな。順番に答えるとするか。俺は『狗屠《くと》』と呼ばれている殺人鬼を追っているのだ。そいつが新野で暴れているらしいといううわさを聞いて、新野に来た。おまえがいま、埋葬してやった哀れな女は、『狗屠』がやったのだ」
「狗屠?」
「許都《きょと》で、娼妓や夜道をただ歩いていた女たちを殺しまわった化け物だ。おれはそいつを追ってここまでやってきたのだ」
「許都だと?」

趙雲は身構えた。
許都といえば、曹操の本拠地。
帝を擁し、その後見人として、天下人のように振る舞って、号令をかけている場所である。
うかつであった。
最初に夏侯蘭がどこから来たのかを、たずねるべきであった。
しかし、夏侯蘭は、身がまえた趙雲を手で制しつつ、笑った。
その笑い方は、さきほどまでの乾いたものではなく、なつかしい、あたたかみのある笑い方であった。
ふと、感傷にとらわれる。
夏侯蘭の、そのほがらかな笑い声に、殺伐した戦場で、どれほど救われたか知れなかった。
過去のこころに引き戻されそうになり、趙雲はあわてて、おのれを叱りつけた。
そうして、敢然と、闇の中にたたずむ、幼馴染みをにらみつける。
猛虎を前にして、それをいなそうとする男のような笑みを浮かべている夏侯蘭は、趙雲の視線を受け止めつつ、答えた。

「おまえと別れたあと、俺はしばらくあちこち放浪してまわっていたのだ。おまえの噂は聞いていたよ。常山真定の趙家の末子が、劉備のもとへ仕えた、とな。
おまえを頼ろうとも思ったのだが、事情があって、許都に留まることにした。そこで曹公に仕官した」
趙雲は、ふたたび無言のまま、剣を抜いた。
いかにかつて、寝食をともにした友であろうと、おのれが劉備の将である以上、曹操の密偵には容赦はできない。
その気配に、夏侯蘭はあとずさった。
「聞いてくれ、子龍。二度とおまえに会うことはなかろうと思っていた。会うとしたら、戦場で、敵と味方としてであろうと、そう思っていた」
「なつかしさがまさって、ここまで飛んできた、などと言うのではあるまいな」
「まさか。俺がここに来た理由は、あくまで『狗屠』を追ってだ。子龍、虫の良いことを言うと思うかも知れんが、俺を見逃してはくれぬか。いまの俺には、天下の|趨勢《すうせい》がどうなろうと、どうでもよい。『狗屠』を捕らえることができたなら、命さえ惜しくないのだ。おまえが欲しいというのなら、この首だってくれてやる。
しかし、『狗屠』を捕まえるまでは待ってほしいのだ。やつが新野に逃げたのはまちがいない。俺は、なんとしてもヤツだけは逃がすわけにはいかんのだ」
「『狗屠』か。おまえがそいつを追ってきたという、証拠は?」
「ずいぶん疑いぶかくなったのだな。俺の話以外に、俺の証明をする手立ては、ない」
「ならば、俺といっしょに屯所へ来てくれ。おまえが曹操のところから、わが君に降る、というのならば話を聞く」
「それはダメだ。おれは許都に戻らねばならぬ」
「なんのために? 新野の情報を、曹操にもたらすためにか?」
「そうではない。だが、いまは言えぬ」

じり、と足を踏み出す。
目をそらさぬまま、間合いを詰める。
ほんの一瞬、夏侯蘭の手が上下に動いた。
月明かりに金属片が光る。
と、同時に、びゅん、と風を切る音が聞こえた。
考えるより早く、趙雲は剣を動かし、飛んできたそれを跳ね除けた。
するどい音とともに、それが地面にぼとりと落ちる。

縄標《じょうひょう》であった
縄標の剣先が、ほんものの、生きた蛇ように、うろこのごとき刃を月光ににぶくひからせながら、地面を素早く這っていく。
その先には闇がある。
みずから意思のあるように、縄標は闇に逃げていく。

趙雲は、縄標を追おうとしたが、いかんせん、暗すぎた。
夏侯蘭の姿は、もうなかった。
どうやら、趙雲の隙を生みだすためだけの攻撃であったらしい。
舌打ちをして周囲を見まわすが、すでに影も形もない。
生暖かい風にのって、声だけが聞こえてくる。
「あいかわらず、飛び道具に弱いな。しかし、それを避けたのは、おまえが初めてだ。やはり、おまえはすごいやつだよ」
「阿蘭!」
「また会おうぞ。機会があればな」
そうして、夏侯蘭は消えた。

つづく

臥龍的陣 雨の章 その9 空き家の戦い

2022年04月20日 13時50分21秒 | 英華伝 臥龍的陣 雨の章

そのとき趙雲が思ったのは、斐仁が空の屋敷に忍び込み、盗みに入ったのではないか、ということであった。
だが、斐仁というのは、趙雲の部将のなかでも、いちばん真面目な男である。
何を考えているか、いまひとつわからないところがあるが、欠点らしいところはそれだけ。
官給品の支給のいっさいを取り仕切っているだけあり、堅実な性格なのだ。
だが、なぜ逃げ出していったのか。
歌は、斐仁が唄っていたのだろうか。

門扉の向こうになにがある?
趙雲は、斐仁が消えた方角を気にしながら、半開きになった門扉をくぐった。
屋敷の玄関も、開け放たれていた。
だが、内部を見ても、荒らされている気配はない。
しかし、月明かりで見える範囲での床は泥で汚れており、その汚れ具合のひどさから、どうやら、人が無断で入り込んだのは、一度や二度ではないことがわかった。

闇にきらりと光るものがあり、拾い上げると、安物の簪であった。
屋敷の大きさからして、かなりの資産家が住んでいたと思われる。
そこにそぐわない安物の簪。
もしかすると、娼妓たちが、仕事場として、この空いた屋敷を利用しているのではないか。
たしかに、いつ見回り兵が来るかわからない場所で仕事をするよりも、こういった屋敷ならば、安心できるだろう。
客も、そのほうがよろこぶ。

趙雲は、ふたたび斐仁のことを思った。
娼妓をひろって、この屋敷に連れ込んだか、連れ込まれたか。
そうならば、女がまだ残っているはずだ。

「だれか、いるか?」
声をかけたが、返事はない。
しんと静まりかえった屋敷の中は、無人のようである。
が、なにかがおかしい。
この闇は、泥のような重さを持っている。
そして、闇に含まれる、嗅ぎなれた、生臭いにおいは…

音も気配もなかった。

避けられたのは、戦場で研ぎ澄まされた勘ゆえであろう。
流れるような動作で闇から向かってきた剣先を避けると、それまで分厚い壁のように思えていた闇がわずかに揺れ、闇の奥にいる襲撃者が、うろたえたのがわかった。
「何奴!」
誰何しても、答えはない。
ふたたび、闇が動く。
二度目の攻撃。
趙雲は、抜き放った剣で、相手の襲撃を見事に受けとめた。
音と空気の動きで、攻撃を読んだのである。
百戦錬磨の趙雲だからこそできたことであった。

しばらく剣と剣とを激しく撃ち合う。
おそらく、敵も趙雲の姿をはっきりとはとらえておるまい。
それでも、容赦なく火花を散らしながら攻撃をつづけてくる。
狭い室内で剣戟をくりかえしているうち、おそらく周りにあったであろう調度品が、壊れたり、割れたりする音が響くようになった。
この屋敷の持ち主が、さぞかし嘆くだろうなと頭の中でまぜっかえしつつ、趙雲は、一気にカタをつけるべく、受け止めた攻撃を渾身の力で跳ね返した。
闇に慣れた目の向こうで、人影がたたらを踏んだのが見えた。
すかさず、趙雲は空いている片方の手で、襲撃者の顔があるとおぼしき位置に、こぶしを見舞った。
手ごたえがあった。
はじめて、襲撃者が、くぐもった声を出した。
まさか、こぶしが飛んでくるとは思わなかったのだろう。

趙雲は、手を休めず、剣を構えようと動いている相手の腹のあたりに切っ先を突き立てた。
だが、相手は武装していたらしく、剣先はにぶい音をたてて、止まった。
ぬかった、刃こぼれしたかもしれない。
舌打ちすると、襲撃者が身を引いた。
つぎの瞬間、相手は、風を切って、蹴りを飛ばしてきた。
思わぬ横からの衝撃に、趙雲は避けきれず、吹っ飛ばされて、壁にぶつかり、そのまま床にくずれた。

趙雲がぶつかった衝撃で、壁のそばにあった、ちいさな飾り棚がこわれた。
派手にがちゃん、がちゃんと物の割れる音がする。
襲撃者がなおも追いかけて襲ってくる。
趙雲は、剣をつかみなおそうとした。
だが、剣より先に、指先になま暖かいものが触れる。
指先だけではない、手のひらに、べったりと触れている。
ぬめっとして生臭い。
血だ。
自分が怪我をしたのではない。
相手が怪我をしているにしても、手のひらにべったりとつくほどの血を流しているには元気すぎた。
もうひとり、怪我人がいる?
おそるおそるとなりを見ると、カッと目を見開いた女の顔が、闇に慣れた目に見えた。

趙雲は、思わず息を呑んだ。
むわっと、血の臭いが鼻腔をおそう。
女は、ただ刺されただけではなかった。
ひどいありさまであった。
戦場でさえ、これほどにむごい死体には、めったにお目にかかれない。
女は驚愕に目を見開いたまま、息絶えている。
たったいま切り裂かれたのだ。
腹を真二つに割かれたうえに、臓物のほとんどを取り出されてしまっていた。
しかも、衣をまとっていない。

人の仕業ではない。ひどすぎる。
そう思った途端、趙雲ははげしい怒りにとらわれた。
目の前の男が、この女を、こんなむごい目に遭わせたのか。
物盗りにしても、異常だ。
その異常さ、人を思いやる心の欠如に、趙雲は怒りをたぎらせた。

襲撃者がやってくる。
趙雲は、かたわらで崩れた、飾り棚の、足を持った。
そうして、力のまま、それを襲撃者に投げる。
襲撃者は、おどろき、歩みをくずした。
趙雲は、あおむけの姿勢のまま、地面に這うようにして足を伸ばし、襲撃者の足を、おのれの足でからめ取った。
そして襲撃者をころばせる。

転んだ襲撃者は、どこかに頭をぶつけたらしく悲鳴をあげた。
趙雲は俊敏に起きあがると、地面に転ぶ襲撃者の身体に馬乗りになり、胸に隠し持っていた短剣を素早く取り出すと、その刃をかざした。
容赦はしない。
その咽喉元めがけ、刃を振りおろす。
「待て、子龍!」
その声に、趙雲のいっさいが止まった。
聞きおぼえのある声。
ふるえがくるほどのなつかしさがこみあげてくる。
まさか?
「あいかわらず、うまいな、おまえは」
組み敷かれながらも、そういって笑う襲撃者の顔は、公孫瓚にともに仕えていた盟友にして幼馴染み、夏侯蘭のそれであった。

つづく…

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