はさみの世界・出張版

三国志(蜀漢中心)の創作小説のブログです。
牧知花&はさみのなかま名義の作品、たっぷりあります(^^♪

臥龍的陣 雨の章 その8 歌声

2022年03月16日 12時40分35秒 | 英華伝 臥龍的陣 雨の章



折れそうな三日月が、空につくねんとあった。
雨が降ったり止んだりの天気がつづいているために、夜になっても、まといつくような湿気が、そこかしこに残っている。
市場も、ぽつぽつと店じまいする者があらわれて、野菜や魚が売れ残っている店では、安くするからといって客を引き止めていた。

趙雲は、竹細工の店へ寄り、竹の花籠と、おもちゃを買った。
明日になったら、陳到の屋敷へ見舞いにいくつもりだった。
陳到の長女の銀輪が、風邪で寝込んでいる、その見舞いである。
花籠は、陳到の妻に、おもちゃは、銀輪に。
独り身の趙雲にとっては、たまに招かれて口にする陳到の妻の手料理は、ちまたの露店ではなかなか味わえないぬくもりのあるごちそうであった。
新野城にも、もちろん腕の良い料理人がいる。
しかし、孔明の警護、劉備の警護、そして兵士の調練と、忙しいために、ゆっくりと味わっている余裕がない。
よその女房の手料理を喜んでいないで、自分でだれか料理の上手な女をみつけて娶ればいいのであるが、趙雲はその気になれないでいる。

それはともかく、店じまいのすすむ夕方の市場のなかで、にぎやかになるのは酒家だ。
つとめを終えた兵士たちや行商人などが、あつまって干し肉などをついばみながら、談笑している。
その動きにあわせるようにして、闇が濃くなるにつれ、周囲に、怪しげな人影がうごめきはじめる。
娼妓たちであった。

孔明が、新野の警備を厳重にしたあたりから、娼妓の数は減っていた。
だが、新野にもいくつかある妓楼ですら働くことのできない、いわば、加齢や病、そのほかの理由で妓楼からあぶれた女たちは、例外である。
女たちは、生きるため、食べるために、単独で、警邏の兵卒の見回りを避けるようにして、町のそこかしこにある闇から、男たちに声をかけていた。
中原から、戦火に追われるようにしてこの地にたどり着き、家族とも死に別れ、ほかに頼る者もなく、再婚話もまとまらなかった女たち。
生きるためには、身を落として、身体を売るしかない。

それでも、女たちが若いうちは、まだいい。
あわれなのは、年老いた女たちだ。
捕まれば、牢屋につながれるとわかっていて、それでも街に立つことを止めないのは、ほかに食べていく手立てがないからだ。
このところ、そういった哀れな女たちを狙っての殺人が立て続けに起こっている。
それでもなお、女たちは街に立つのをやめない。
やめられないのだろう。
そこには、女の数だけの多くの悲劇がある。

天からふりそそぐ銀の月光を避けるように、女たちは被り物をして、その歳月にいためけられた肌を隠すようにして、闇にうずくまっている。
兵卒たちもいい加減なもので、夜回りの当番であれば、女たちを捕まえて牢屋に連れて行くのだが、非番の場合は、声をかけられるまま、連れ立って、さらに濃い闇の向こうへと消えていく。
こうした女たちのことは、表立ってはだれも存在を口にすらしない。
しかし現実に、女たちが春をひさぐこの光景は、新野にかぎらず、どこでも当たり前に目にすることができるものであった。




その夜、趙雲に、覇気がなかったわけではない。
じつは、趙雲は常日頃から娼妓に甘かった。
捕らえたところで、女たちは牢から解放されれば、まぶしい陽光に目を細めつつ、ふたたび通りの暗がりに戻っていく。
そして、夜になるとまた同じことを繰り返すのだ。
もしもこの国が、未曾有の大乱に巻き込まれることがなかったら、女たちは貞淑な妻であったかもしれない。
そう考えると、哀れであった。
娼妓たちとのいたちごっこに倦んだ、というだけではなく、娼妓たちへの深い同情が、趙雲に取り締まりをためらわせていた。

趙雲の脳裏には、それなりの家に生まれ、教養も美貌もありながら、金がないというその一点だけで、若いというのに、まるで売られるように、年老いた父に嫁がねばならなかったのだという、母のことがある。
趙雲の母は、財産家で好色でも知られていた父に、家のために売られたのだ。
娼妓とどこがちがうのかと、いつかぼやいていたことがある。
たった一度のその言葉は、きっと子供に聞かせるつもりのものではなかったかもしれない。
しかし、趙雲の耳には、そのことばは消えることなく、ずっと耳に残りつづけた。
母とおなじように、女たちもまた、乱世の犠牲者なのである。
母もすべてあきらめた、暗い目をしていた。
娼妓たちも同じ、光のない目をしている。

物思いにふけりつつ、夜の新野の街をひとりで巡邏して歩いていると、ふと、風に乗って、歌が聞こえた。
思わず趙雲は、足を止めて、歌の聞こえた方向へ頭を向けた。
妓楼のそば、というならば、どこぞの遊び人が、妓女たちとドンちゃん騒ぎをしている可能性はある。
しかし、趙雲が通りかかったのは、妓楼の立ち並ぶ一角からだいぶ離れた、ふつうの人家のならぶ市街地であった。

妙な予感がした。

歌の聞こえてきたのは、しんとした一角のなかでも、特に人の気配のない、大きな屋敷からであった。
曹操の南下の気配があるという知らせが荊州をかけめぐって以来、金に余裕のある者は、家財道具をいっさい持って、安全な地へと疎開している。
この静かな屋敷の一家もそうであるらしい。
闇夜に屋敷の輪郭が浮かんでいるが、そのところどころに、手入れがされていない証拠の雑草が、顔をのぞかせていた。
このところの雨で、一気に成長したらしい。

歌だ。
まちがいない。
また、聞こえた。

趙雲は緊張した。
歌声が異常だったからではない。
その歌に、聞き覚えがあったのだ。
荊州の者が歌うそれとは、あきらかにちがう節回し。
素朴で、荒っぽい、それでいて親しみやすい旋律である。
幽州の、ひなびた漁村で生を受けた、潘季鵬が好んで歌っていた。

まさか、と思いつつ、趙雲が屋敷に足を踏み入れようとすると、ちょうど門扉から、人影が飛び出してきた。
ほかならぬ、趙雲の部将のひとりの、斐仁であった。
闇夜なので、顔色はわからない。
しかし、そのなで肩と、片足を引きずった姿は見間違いようがない。

「斐仁!」

声をかけたが、斐仁らしきその姿は、一度も趙雲のほうを見ずに、そのまま闇へ消えてしまった。
趙雲は、斐仁が飛び出してきた門扉のほうを見た。
開け放たれたままの門扉は、わずかに揺れている。
その門扉の隙間から、生暖かい風に、針のような葉をつけた雑草が、さわさわと揺れている音が聞こえた。
まるで、中へ入れと誘っているようである。

歌はもう、聞こえない。

つづく

臥龍的陣 雨の章 その7 昔のはなし

2022年03月12日 10時58分16秒 | 英華伝 臥龍的陣 雨の章


趙雲は、父親の姿というものを、おぼろげにしか憶えていない。
父親には複数の妻がおり、趙雲は、最後の夫人から生まれた子であった。
父親は老いており、子どもたちすべての面倒を見る体力も気力も、もうなかった。
病床にあって、ただ呼吸をしているというだけの、老いてしぼんだ肉。それが父である。
いちばん上の兄が出来た人物で、けんめいに家を守ろうと働いた。
そのおかげで、末っ子の趙雲も満足な教育を受けることができたが、いかんせん忙しすぎた。
父親の代わりにはなってくれたが、愛情を十分に与えてくれたかとなると、怪しい。
いつもどこかに、押し殺した寂しさがあった。
母も愛してくれてはいたが、しかし、やはり父親から認めてほしいという気持ちをかなえられないのは、寂しいことであった。

そんな環境に育った趙雲にとって、潘季鵬は、父に代わる存在であった。
潘季鵬が、初めて白馬義従という、安心できる居場所をつくってくれた。
だからこそ、趙雲は潘季鵬を慕った。
それなのに、ひさしぶりに会った男は、無情にも、趙雲を否定し、この場を去れ、という。
突き放された瞬間に、戦場においてもなお残っていた、少年らしい素直さ、そして純粋に人を信じる気持ち、そういった、人間らしいあたたかさが、しぼんでしまった。
荒野に吹きすさぶような、冷たく厳しい風が胸のなかにある。
それは開いたばかりの傷口に、容赦なく吹き付けてきた。

もうだれに頼りすぎてもいけない。
頼ること事態がばかげている。
成果を認めてもらえたとしても、それはごく一部。
相手の意にかなったところだけを認めてもらえるのであって、自分は狂っているのだから、そもそも理解などしてはもらえない。
趙雲は、そう信じたのであった。


しかしそれでも趙雲は、ほかにもう行き場所がなかったから、潘季鵬のことばに逆らい、公孫瓚のもとを去ることはなかった。
ただ、弓を射ることができなくなった。
狙いを定めると、潘季鵬の声がよぎるのである。
おまえは殺しが巧すぎる。殺しを楽しんでいるのだ、と。
そうではない。そんなことはない。
否定するたびに、目の前に積み重なり、増えていく遺体を見るに付け、趙雲は笑う。
それは、潘季鵬が言ったような、哄笑などでは決してない。
潘季鵬がおそれた、おのれの本性とやらが、言葉どおりなのを、自信で知覚して、おかしくて笑ってしまうのだ。
ひどく乾いた笑いであったが、どうしようもなかった。




「そういえば、あなたが弓を射ているところを、あまり見たことがなかったな」
完全に筆をとめて、孔明がこちらを見ているのがわかった。
あまりに心の中を打ち明けすぎたので、失敗したかなと思っていたが、孔明はやさしさを見せて、踏み込んだ心のうちの話は、書くことをやめたようだ。
趙雲は、こういう、孔明のささやかな気遣いが好きである。
「糜芳どのがどうしてあなたを嫌うのかは、叔至から聞いたことがある。弓では勝っているのに、槍ではかなわない。だから嫉妬しているのだと」
「あのおしゃべり」
趙雲は、そこにはいない陳到の、特徴のうすい顔を思いうかべて、悪態をついた。
自分を嫌うものの心のうちを暴かれるのは、自分の弱点をさらされるような心地がするのだ。
そんな趙雲に気をつかってか、孔明は言った。
「麋一族は、弓馬にかけては、右に出るものがいない。昔からそうだ」
意外な言葉に、趙雲は、寝台の真横にいる孔明に顔を向けた。
「知っているのか」
「おなじ徐州だからな」
「では、新野に来るまえに、麋一族と面識があったのでは?」
「ないな。でも、もしかしたら、父や叔父はあったかもしれない」
そのあとに、孔明はぽつりとちいさく、いまは確かめようがないけれど、とつぶやいた。
趙雲は、それはどういう意味か、と詮議しようとして、やめた。
いつもあきれるほどに明るいその横顔が、そのときだけは、暗く重たいものに見えたからだ。
部屋の翳が落ちていただけではあるまい。
 
しばしの沈黙。

趙雲は、気を遣って黙っていたのだが、孔明は、彼方を見やるような目を、ふっと笑わせて、言った。
「ここで、どういうことだと聞かないところが、あなたの良いところでもある。しかし、すこし味気ないな」
「家のことは、あまり話したくなかろうと思ったのだが」
孔明は、おや、と意外そうな顔をして、それからつづけた。
「それはたぶん、あなたが、自分の家のことを触れられるのが、嫌だからではないのか。たしかに、わたしもあまり詮索されるのは好きではないけれど、話してもいい」
「では話せ」
「わたしの父は泰山郡の丞であったが、わたしが十二の年に病で死んだ。父と叔父はたいへん仲が良かった。父が病で寝たきりになる前は、よく叔父がきて、父と一緒に旅に出ていたのを覚えている。
たぶん、そのときに麋家のだれかと親交ができていても、おかしくないかな」
「だから、麋子仲殿は、おまえを贔屓しているのかな」
「わたしもそうかと思って、父か叔父を知っているのかと尋ねたのだが、どちらも知らないと言われた」
「そうなのか。おまえへの世話の焼き方を見ていると、自分の息子を構っているようにさえ見えるが」
「わたしのほかにも、若い者にはああいう態度を取る方ではないのか」
「ちがう。おまえにだけだ。だから不思議なのだ。おなじ徐州の、琅邪の諸葛家ということで、絆を感じるのかもしれないな」
「そうかな。あのまま、徐州に留まっていたなら、もしかしたら、もっと早くにお会いすることもあったかもしれない。
けれど、父が死ぬと、出戻りの長姉と義母のあいだでいさかいが起こってね。長姉は弟のわたしがいうのもなんだが、たいそうな美人だ。しかし、気が強すぎる。義母も幼子を抱えていて、どうしたらよいかわからないでいた。見かねた叔父と兄が相談して、姉たちとわたしと弟の均を叔父が引きとり、義母とその一族を兄が江東へ連れていくことで話を付けた。
叔父は、かねてから親交のあった劉表どのの伝手で、豫章の太守となって、わたしたちもそこで暮らしたのさ」

「豫章というと、楊州だろう。なぜそこから荊州に住むことになった」
「任地争いだよ。叔父は劉表どのから任命された太守だったが、漢王朝…というより、曹操から任命されたべつの太守があらわれてね、孫策や劉表どのの争いのことも背景にあったのだが、そこで戦になってしまった。
叔父はかなり粘って籠城戦をしたのだが、結局、兵糧が切れてしまった。そして、これ以上、領民を戦禍に巻き込みたくないといって、任地を明け渡したのだ。新しい太守の朱皓という男は、まったく残酷な男というわけではなかった。わたしたちはうまく逃げ道を作ってもらって、命からがら逃げだした。
ところが、叔父とわたしたちに賞金首がかかっているという流言が広がってね。とたんに、有象無象が追いかけてきて、わたしたちを襲ってきた。徐州から揚州へたどり着くまでの道中より、そのときのほうが、よほど恐ろしかったな。
出来ることなら、東へは、もう行きたくない。父を殺されたとかで怒りに任せて、民を虐殺した曹操の気持ちが、そのときなんとなくだが、理解できた気がしたよ」
孔明はそう言って、苦く笑う。
だが、ふっと我に返ったような顔になった。
どうしておのれがいままで一度も足を踏み入れたことのない、自分の主騎の部屋にいるのかを思い出したらしい。
「わたしのことはよいのだ」
だれに言うでもなく言い訳して、気まずそうに、趙雲のほうに顔を向けた。
「すまぬ、勝手にぺらぺらと。あなたの話に戻ろう。弓が苦手なことと、斐仁とが、どういう関係があるのだ」
「それはこれからだ」
趙雲は、軽く息を吐くと、ふたたび語りはじめた。

つづく

サイトのウェブ拍手を押してくださった方、当ブログに来訪してくださっている方、ありがとうございます!
なかなか心を浮上させることが難しいげんざい、みなさまいかがお過ごしでしょうか?
近況をちょっぴり申し上げますと、創作がまったくうまくいきません;
戦争が始まって以来、異様な雰囲気に我が家も包まれています。
ニュースの見過ぎかしらん。
ともかく、なんとかしなくちゃといま方策を練っているところです。
こちらでの連載はしばらく続きますので、温かく見守っていただけたなら、さいわいです。
サイトのほうは、もうちょっとお時間ください、すみません…

臥龍的陣 雨の章 その6 呪詛

2022年03月09日 13時38分41秒 | 英華伝 臥龍的陣 雨の章


「子龍、おまえ、あやういぞ」
開口一番に、潘季鵬は言った。
趙雲は、言葉の意味をつかみかね、戸惑った。
潘季鵬は、まわりくどい言い方をする男ではある。
だが、まず、ことばの意味がわからない。
あやういといわれなければならない部分は、自分のどこにもないように思われた。

公孫瓚のもとに集まった若者のなかでは、趙雲は抜きんでていた。
それは自他ともに認めるところだ。
怪訝そうにしていると、潘季鵬はつづけて言った。
「おまえは殺しが巧(うま)すぎる。殺しが巧いのと、立派な武人であることはちがうぞ」
「殺しがうまい?」
趙雲が鸚鵡返しにすると、潘季鵬は、大きくうなずいて、そのほそくするどい双眸で、射抜くように趙雲を見すえた。
「おまえは弓で人をあやめるときに、あきらかにたのしんでいる。敵に勝つことではなく、敵をほふる、その行為自体を楽しんでいるのだ」

そういわれて、背中がぞくりとした。
戦場では大義名分があるからこそ、人を殺すという行為を平気でこなすことができる。
敵を多く殺すことができ来るものは、すなわち正義を守る者なのだ。
乱れた天下を正し、平安をもたらす。
少年の趙雲はそのための尖兵として戦っているつもりであったから、大義名分を忘れて、殺しを楽しんでいるのだ、と指摘されて、納得できなかった。

「そんなことはない。俺はいつだって、殺す数が少ないほうがよいと思っているし、こんな世の中は、早く終わればいいと思っている」
趙雲が抗弁すると、潘季鵬は、きびしい眼差しのまま、つよく否定してきた。
「おのれの本性をいつわるな。おまえは殺しが楽しいのだ。先の戦、俺も参加していたのだ。気づかなかったであろう?  戦場でのおまえは、まるで笑いながら、馬を駆っているようであったぞ。
おまえは、自分のはなつ矢で、ひとが倒れるたびに笑っていた。まるで悪鬼のごとくにな」

戦場で戦うということは、物を右から左へとならべるような、整然とした作業ではない。
混乱と恐怖のなかでの命がけの仕事となる。
そんななかで、笑いながら人を殺していたとしたら、それは狂人だ。
たとえ命の恩人が相手だとしても、狂人だと指摘されては、趙雲は黙ってはいられなかった。

「それは嘘だ。俺は笑ってなどいない。おなじ場所にいたのなら、俺がどれだけ、敵をまえに」
と、ここで趙雲は周囲をみまわし、言いよどんだ。
そして、だれもいない、だれも聞いていないことをたしかめてから、潘季鵬に向きなおって、言った。
「俺は怯えていのが、見えていたはずだ」
しかし、潘季鵬は、きっぱりと冷たく、少年のことばをはねつけた。
「いいや。見えなかったな」
「それは、あの乱戦で、あんたが俺を見失っていたか、でなければ見間違えていたからじゃないのか。俺がどんなにこわくても戦うのは、負けたら死ぬからだ。
俺だけじゃない。仲間も死ぬ。だから、敵を倒すのだ。俺は必死でやっている。笑ってもないし、楽しいからでもない」
「いいや、子龍。たしかにおまえは、始めは怯えていたかもしれぬ。しかし、おまえは弓を敵に向けつづけているうちに、恐怖を忘れ、高揚感を感じていたはずだ。戦場でのおのれの為したことを、すべて思い出すことができるか? 
おまえは夢中になって殺していた。じつに見事であった。だが、あれは武人の振る舞いではない。おまえは確かに笑っていたとも。
なにが楽しかった? 敵を殺めることか? それとも、おのれの才能に自惚れたか」

それは、たしかに一部は、真実をふくんだ言葉であった。
極限状態のなかにあれば、記憶は、一時的にでも、吹き飛ぶ。
高揚した戦場の最前線で、笑っていたこととて、あったかもしれない。

趙雲は、ふたたび、ぞっとした。
花が一夜にしてしおれるように、自分に自信がなくなってしまったのである。
もし、その記憶が空白になっている、夢中になっていたそのときに、潘季鵬の指摘したような状況であったら、どうだろうと。
それでも、必死に、しかしちいさく、趙雲は抗弁した。
潘季鵬に逆らうことは、実の父親に逆らうことよりもきびしいことであった。
「ちがう。嘘だ」
言うと、潘季鵬は、虎のように吼えた。
「黙れ! この俺に逆らうのか!」
一喝され、白馬義従の若き勇士は、子どものように身をすくませ、沈黙した。

潘季鵬もまた、優秀な武人である。
趙雲は、常山真定で師匠を得られずに、独自に武芸の才を磨いていたが、それを洗練したものに変えてくれたのは、潘季鵬だった。
師に逆らうのかと問われて、そうだと肯定できるほど、趙雲の自我は、まだはっきりと固まっていなかった。
はげしく渦巻くような胸の不満を押し殺し、うなだれた。
「もうしわけございませぬ」
潘季鵬は、納得したらしく、ちいさく息をついて、言う。
「おまえをここに連れてきたのは、俺のまちがいであったかもしれん。早々に薊から離れ、常山真定へ戻るのだ。それがおまえのためだ」

趙雲は、混乱した。
自分がいままで必死で築いてきたものが、狂人の振る舞いと、なんら変わらぬと否定されてしまったのだ。
それも、心の支えのように思っていた、恩人の潘季鵬に否定されたのだから、たまらない。
それに、いまさら故郷に帰れというのか。
そのことも、趙雲の心を追いつめた。


つづく


サイトのウェブ拍手を押してくださった方、同人誌をご購入くださった方、ありがとうございました(^^♪
ちょっとまだ頭が混乱している状況で、なかなか順調に行っていませんが、なんとか道を探していきたいところ。
お話のほうはまだまだ続きます。
これからもどうぞ当ブログ&サイトをごひいきに!

臥龍的陣 雨の章 その5 趙雲の過去

2022年03月05日 13時04分04秒 | 英華伝 臥龍的陣 雨の章


常山真定で義勇軍の募集がおこなわれたとき、趙雲は家を飛び出すようにしてこれに参加した。
当時の気風にのって、大恩のある漢王朝をおたすけするのだと義憤に燃えていた。
おなじく義勇軍に参加した少年たちのなかには、幼なじみもおおくいた。
だれもが熱い気持ちで燃えていた。
と同時に、小さな町から、大きな世界を見に行けるという期待もあったことは否めない。
だれもが、まだ町の外でくりひろげられる凄惨な現実を知らなかった。

常山真定のなかでも、趙家は名家のほうであった。
そのため、少年の多い義勇軍のなかでも、趙雲はかしらのようになっていた。
義勇軍は、なんの疑いもなく、冀州の英雄で名家袁氏の軍門に連なった。
だれもが袁紹に味方をするのはあたりまえで、劉氏に代わって袁紹が天下を取る可能性すらあると思い込んでいたのだ。
また、そういう雰囲気が河北を中心にできていた。
情報の乏しいなかで、趙雲も雰囲気に押されるように袁紹のもとへ行った。
それほどの名家のもとであれば、功名を立てられる機会も多かろうという、単純な理由からである。

しかし、義勇兵への古参兵による態度は、あからさまに冷たく侮蔑に満ちたものだった。
食事がちがう、寝る場所もちがう、名前では呼ばれない、などというのは当たり前。
調練をするという名目での、しごきもあった。
いや、しごきというには苛烈すぎた。
あれは一種の私刑であったと、趙雲はいまも恨みに思っている。
なかには、あまりにむごく扱われすぎて、戦場に出る前から命を落とした者さえいたほどであった。
世間知らずの少年たちは、軍というものは、そういうものなのだろうかと疑問に思いつつも、ただ従うしかなかった。
袁家の軍があまりに巨大すぎるため、末端では、袁紹の直属の将兵の目がいきとどいていなかった。
そのために一部の思いちがいをした兵が、上級将校の目のとどかないことをよいことに、好き放題していたのだ。
その状況に巻き込まれてしまったのだと、田舎から出てきたばかりの少年たちにはわからなかったのである。

状況は好転しなかった。
戦場に赴くまえから、ろくに食事も与えられないことから、病に倒れ、つぎつぎと脱落していく同年代の少年たちを目の当たりにした。
たしかに、このままでは死ぬかもしれないと、趙雲は危機感をおぼえはじめていた。
自分の身体を見ればわかる。
鍛えられているどころか、痩せ細っているではないか。
このまま戦場に出たら、なにもできないまま、敵に殺されてしまうにちがいない。

そんなとき、潘季鵬と出会った。
潘季鵬は、公孫瓚の意をうけて、中原に埋もれた人材をさがす旅をくりかえしている男だと名乗った。
痩せぎすで、しっかり鍛えられた体つきをしており、ていねいに手入れのされた泥鰌髯をたくわえている。
潘季鵬は、うまく少年たちをまとめている趙雲に可能性を見出し、自分とともに、北で名を馳せている公孫瓚のもとで働かないかと誘ってきた。

趙雲は考えた。
このまま、袁紹のもとに留まっていても、意味のない暴力に日々耐えるばかりで、芽が出ることはない。
公孫瓚は袁家ほどの名族ではない。
しかし、それでも自分たちを買ってくれるのであれば、そちらへ行ったほうが、いまよりマシではないのか。
そう判断した趙雲は、仲間たちと相談し、賛同してくれた者たちとともに、公孫瓚のもとへと向かった。

あとは順調であったと思う。
趙雲は、その容姿のよさで公孫瓚によろこばれ、弱冠十五で、公孫瓚の虎の子部隊である白馬義従の一員に抜擢された。
白馬義従とは、公孫瓚の自慢の部隊であり、はえぬきの精鋭ばかりをあつめた突撃騎兵隊である。
部隊の者は、全員が純白の衣裳をまとい、白い駿馬にまたがり、敵を襲う。
敵とは、もっぱら北の夷たちである。
血風の吹きすさぶ戦場を駆けぬけ、蛮族をしりぞける白い集団は、たちまち天下の噂となり、だれの口からも、公孫瓚といえば、白馬義従という名がすんなりと出てくるほど、有名になった。

この白馬義従のなかで、趙雲が得意とする攻撃が、弓での攻撃であった。
趙雲は、むかしは、弓は嫌いではなかったのだ。
むしろ、得意であったと言っていい。
狙いを定めて、弓を引き、射る。
風を振るわせる、大きな蜂の羽音のような音がして、敵は倒れる。
ひとり、またひとりと、おもしろいほどに、ばたばたと人が倒れていく。

とくに、馬上から放たれる趙雲の矢は、百発百中というので、異民族はとくに趙雲をおそれるようになった。
やがて、趙雲が姿を見せただけで、かれらは背中をむけて逃げ出すようになった。
趙雲は、その背中にも、容赦をしなかった。
弓をつがえ、ぴんとはった弦に矢をつがえる。
狙いをさだめて、射る。
趙雲が出る戦は、負けることがない、というので、仲間たちの評価も上がっていった。

上からは評価され、下からは慕われる。
順風満帆であった。
なにも問題はなかった。
戦場はいい。
自分の実力が、目に見えるかたちではっきりとする。
戦場は、趙雲にとっては、居心地のよい場所であった。
袁紹の軍で味わった屈辱の日々も、自分の手できずいた栄光に打ち消され、昔の悪夢のひとつにすぎなくなった。
恐れるものはなにもない。

そんなとき、趙雲の耳に、公孫瓚の命令で情報収集のため放浪しちえた潘季鵬が、戻ってきたというしらせが入った。
趙雲にとっては、潘季鵬は、命の恩人だ。
もしも潘季鵬に拾われていなかったら、趙雲はだれにも名前を知られることなく、干からびるようにして死んでいたかもしれない。
潘季鵬が姿をあらわしたとき、まるで幼子が父に駆け寄るように、慕わしさを満面にうかべて、趙雲は潘季鵬に駆け寄った。
潘季鵬は、いまの自分をどう見てくれるだろうか。
武将として、認められるようになった、自分の姿をみてほしい。

故郷の常山真定では、老齢の父は、趙雲に愛情をしめすことがなかった。
すでに痴呆の症状がつよく出ており、末っ子であった趙雲が、自分の子であることすら知覚できないほどになっていた。
それだけに、趙雲にとっては、命の恩人であり、道を示してくれた潘季鵬は、父親にもひとしい存在だったのである。
白馬義従として、みじかいあいだに名声をえていた趙雲は、少年らしく、自分を誇りに思っていた。
潘季鵬も、これを喜んでくれるにちがいない。
そう思った趙雲であるが、ひさしぶりに対面した潘季鵬の顔は、固かった。

つづく

サイトのウェブ拍手押してくださった方、ありがとうございました!
かなり厳しい世界情勢にションボリ気味の現在。
じわじわと日本にも影響が出てきていますねー。
不安をためてはいけないと思うのですが、なかなか難しい;
落ち着いたら、サイトの更新やります。
ブログなどは動かし続けますので、これからもどうぞごひいきに('ω')ノ

臥龍的陣 雨の章 その4 ことのはじまり

2022年03月03日 13時54分39秒 | 英華伝 臥龍的陣 雨の章
おまえは、ひとごろしがうますぎる。

そのひと言ですべてが始まったようでもあり、終わったようでもある。

話は、二日まえにさかのぼる。

各部隊で対抗して、模擬戦がおこなわれた。
しかし模擬戦の結果はさんざんであった。
趙雲の部隊のなかでは、もっとも弓馬にたけた副将の陳到が、長女の銀輪の病のために早退したこともあり、趙雲の部隊は糜芳の部隊にボロ負けをしたのであった。
もともと、糜芳と趙雲は仲がわるく、当然、その下についている部将たちの仲もよいものではなかった。

「いまなら、おまえを針ねずみにできるかもな」
ろくに弓のあたらなかった趙雲に対し、糜芳は言ったが、機会さえあったなら、実際にそうしたかもしれない。
妙に鋭い視線が肌に痛い。
顔は笑っていても、目が本気なのである。

そもそも、糜芳とは、はじめから仲がわるかったわけではない。
むしろ、はじめは良かったのだ。
それがどうしてこうなってしまったか、趙雲には思い当たるフシがまるでないのだから、解決のしようがない。
趙雲のほうとしても、一方的にきらってくる糜芳をよく思えるはずもない。
それに、糜芳の向けてくる怒り、いや、嫉妬の目線を見返していると、なぜだかふしぎと刺激される記憶があるのだ。
かつて、公孫瓚のもとにいた際に、自分をつめたく突き放した男。
その男を、なぜだか思い出す。

「おまえはひとごろしはうまいだけの男だ。だからこそ、わが君に重用されているにすぎぬ」
糜芳はそう嘲笑して去って行ったが、趙雲はそれにひとこともかえせなかった。
むかし、やはりそんなことをいわれたことがある。
ひとごろしがうまい。
そのことに反駁するつもりは無い。
実際にうまいのだろう。
趙雲が暗く冷たい記憶に苛まされているあいだに、麋芳は趙雲を言い返せない意気地なしと判断したか、鼻を鳴らして去っていった。
たとえどんなに心に波が立とうと、それを懸命にこらえて、やりすごしてしまうのが趙雲のやり方なのである。

悔しいのに、口が、体が動かない。
そんならしくもない状態に置かれているとき、部将のひとりが呼び止めてきた。
「今宵は、叔至が夜警の当番ですが、交代は如何いたしますか?」
呼び止めてきた部将も、どこかしら態度がつんけんしている。
模擬試合での趙雲の不様さ、そして、そのあとに、糜芳がなにを言っても沈黙をまもって応じようとしなかった態度が不満なのだろう。
「俺が代わる」
みじかく趙雲が答えると、部将は、皆に伝えます、といって辞去しようとした。
その背中に、趙雲は声をかける。
「ついでに、みなに、すまぬ、と伝えてくれ。俺は、どうしても弓というものと相性がわるいのだ。手抜きをしたわけでも、手の内を隠したわけでもないのだぞ」
趙雲がさびしげに笑ってみせると、部将は、たちまち剣呑な表情をひっこめて、むしろ悲しそうに言った。
「だれしも得手不得手がございます。弓以外の子龍さまの腕のすばらしさは、みなも知っております」
「すまぬな。みなに、おれを悪い手本として、調練にはげめ、と伝えてくれ」
部将は、もう一度、礼を取ると、場を辞した。

空を見上げれば、いまにも泣きそうな曇天が、のしかかるようにある。
厚い雲に覆われて、いまにも降り出しそうな気配を見せていた。
俺が見上げる空は、いつもこんなふうに暗く閉ざされている。
故郷で見上げた空もそうであったし、易京で潘季鵬を助けようとした日に見た空も、こんなふうに重く、暗かった。




「潘季鵬とは、さきほど、うなされて口にしていた名前だな」
孔明が竹簡に文字をしるしながら、さりげなく言ったので、趙雲は、寝台に寝そべった姿勢のまま、孔明のほうを向いた。
「俺は、うなされていたのか」
「潘季鵬がどうとか、助けねばならぬとかなんとか。すまぬな。聞かれたくないことであったのか」
孔明は、律儀に筆を止め、すでに綴っていたらしい、潘季鵬の名をしるした部分を、竹簡から消そうと手を動かしている。
しかし、趙雲は頭をよわよわしく振った。
「わざわざ消すこともない。潘季鵬の名ならば、わが君もご存知だし、いまさら隠すようなものでもないのだ。そうだな。潘季鵬のことから話したほうがわかりやすいか」
独り言のようにつぶやいて、趙雲は先をつづけた。


つづく

※ 明日(3月4日)から、更新日が変わります。
「なろう」「カクヨム」に合わせて、水曜日と土曜日の更新となります。
なので、次回更新は、3月5日の土曜日です。
これからもどうぞよろしくお願いします(^^♪

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