はさみの世界・出張版

三国志(蜀漢中心)の創作小説のブログです。
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地這う龍 一章 その16 襄陽城からの使者

2023年12月19日 09時52分37秒 | 英華伝 地這う龍



関羽は、甲冑姿のままだった。
全身が砂埃《すなぼこり》を浴びたままである。
よほど急いで馬を走らせたらしかった。
いつも血色の良いその顔は、そのときこそは火にくべた炭のように真っ赤になっている。
片手には漆《うるし》の箱を、もう片手には、旅装の男を引きずっていた。
関羽に首根っこをつかまれて引きずられている旅装の男の顔を見て、趙雲はあっとなった。
その男に見覚えがあったのだ。


襄陽《じょうよう》の実質上のあるじとして威張《いば》り散している蔡瑁《さいぼう》のとなりで、いつもお追従《ついしょう》を言っては喜ばせていた男が、その旅装の男だった。
名を宋忠《そうちゅう》といって、いかにも小賢しそうで、人を馬鹿にした目をした男である。
劉備のことも、表立ってはほめあげていたが、裏では用心棒とさげすんでいたことを、趙雲は知っている。
ところが、その宋忠は、関羽以上に砂埃にまみれた格好で、歯をカチカチと鳴らして怯《おび》え切っていた。


「何があったのだ、雲長」
唖然とした様子でたずねる劉備に、関羽は吐き散らすように言った。
「何があったもなにも! これを見てくれ!」


関羽は手にしていた漆の箱を劉備に向かって放り投げた。
上等な象嵌細工《ぞうがんざいく》のほどこされた、派手な漆の箱だった。
劉備はそれを受け取ると、すぐさま封をほどき、なかを開く。
宋忠が、箱を開けるときに、ああっ、と小さく悲鳴をあげたが、だれもそれを無視した。


箱の中には書簡が入っていた。
劉備は書簡をひらき、目を通すが、次第にその手がわなわなと震え出した。
「孔明」
劉備に短く名を呼ばれ、孔明が小走りに近づいていく。
そして、孔明もまた書簡を読むなり、血の気が引いた顔になった。


何が書かれているのか。
息をのんでその様子をうかがっていた趙雲らに、孔明はいちど、唇をしめらせてから、言う。
「みな、落ち着いて聞いてほしい。これは|劉琮《りゅうそう》から曹操にあてた、降伏を願う書簡です」
「降伏だとっ」
張飛が吼《ほ》える。
その大声はびりびりと建具《たてぐ》を揺らすほどであったが、一方で趙雲は愕然とするほかなかった。
蔡瑁に先手を打たれたのか。
曹操に降伏を願うということは、荊州の最前線の新野《しんや》へ派兵を依頼しているということと同等ではないのか?


「わしからも報告せねばならぬ」
孔明が意外なほど落ち着いているのを見て、自分も落ち着かねばと思ったのか、関羽が静かに口をひらく。
「この宋忠は宛《えん》へ向かう途上だったのだ。すでに曹操は宛にまで進軍している」


その場の全員が息をのんだ。
みな、言葉の意味するところの事態のあまりの重大さに愕然として、言葉を発した関羽から目を逸《そ》らせないでいる。
関羽はそれに応じるように、ゆっくり首をたてに動かした。
「まちがいない、ここにいる宋忠がすべて白状した。
曹操はすでに、南陽《なんよう》の宛《えん》にまで来ているのだ」
「宛といったら、ここから目と鼻の先じゃねえか」
張飛がめずらしくうろたえた調子で言う。
関羽は、悲しそうな顔をして、まちがいない、とくりかえした。


曹操軍が、すでに宛にまで進軍してきている。
劉備の細作《さいさく》たちをせん滅し、今秋の曹操軍の南下はないというにせの情報を流して油断させ、じつは荊州に向かっていたのだ。
そして、自分の動きを蔡瑁には知らせていたのだろう。
蔡瑁には曹操に歯向かう気概《きがい》がない。
そのことを曹操もよく承知しているのだ。
そして事実、蔡瑁は曹操の南下を知るや、宋忠を使者にして、降伏を願い出ている……


趙雲は、とつぜん喉元に小刀の切っ先を突きつけられたような感覚をあじわった。
曹操軍が、まさにその小刀だ。
何十万という曹操軍が南陽から新野へせまってくる様子を想像して、ぞっとした。
以前に公孫瓚《こうそんさん》の軍にいたころ、袁紹軍と対峙したことがある。
そのときでも、袁紹軍の圧倒的な数に気おされたものだが、それでも敵の数が百万などいう大所帯ではなかった。
曹操は本気なのだ。
まだその軍が宛にいると知っていても、趙雲の耳には|軍鼓《ぐんこ》の不気味な音が聞こえてくるような気がした。


「これがおまえたちのやり方か!」
劉備は憤怒《ふんぬ》の表情になると、荒々しく立ち上がった。
そして敷物を蹴飛ばし、近くにあった剣を取り上げると、鞘から抜き放った。
鞘の転がるころころという音がするのと、その刃が宋忠の首筋に当てられるのは、ほぼ同時だった。


宋忠は、目玉が飛び出すのではというほど目を向いて、悲鳴をあげた。
「お、お許しを! わたしは、ただ命じられたまま動いただけなのです!」
「蔡瑁に、か」
「そうです! これは蔡将軍の一存で決めたことでして、わ、わたしはなにも!」
劉備はぐっと剣の柄を握り直し、さらに刃を宋忠の頸動脈の上に近づけた。
宋忠は、ぎゅっと強く目をつぶり、早口で叫ぶ。
「慈悲深い劉豫洲《りゅうよしゅう》! 命だけは! 命だけはお助けを!」


双眸から涙をながし、洟《はな》も垂らして命乞いをする宋忠の姿は、あわれの一言に尽きた。
襄陽城では誇り高い士大夫を気取って威張り散らしていたが、いまは誇りより、命のほうが惜しいらしい。
劉備は、荒っぽく舌打ちし、低い声でたずねる。
「さんざんわしらを傭兵あつかいして利用しておきながら、いざとなると切り捨てる……それがおまえたちのやり方なのだな、ええ?」
「も、もうしわけ……もうしわけありませんっ」


趙雲は腰を浮かし、劉備が宋忠を斬るのをとめようとした。
たしかに宋忠には腹が立つ。
だが、かれがただの使者ということも事実なのである。
ここで劉備が宋忠を斬れば、それを理由に蔡瑁が襄陽から兵を進めてくる口実をあたえかねない。


劉備はまなじりを強くして、震える宋忠を見つめていた。
わが君、と趙雲が声をかけるより先に、劉備はふうっと大きく息を吐いた。
そして、宋忠の首筋に突き立てていた剣をしずかに鞘にしまった。
「おまえのようなくだらぬ者を斬ったところで情勢は変わらぬ。
それに、ここでおまえを斬って、世間のそしりを受けるのもばかばかしい」
「は、はひ」
がちがちと歯を鳴らした状態で、宋忠が答える。
「早々にわしのまえから消えろ。雲長、放してやれ」
うながされた関羽は渋い顔をしてる。
「よいのか、兄者」
「よいから。こいつが帰ってこなかったら、蔡瑁は別のやつをまた使者に立てるだけの話だ。
そのたびに全部の使者を切り捨てるわけにもいかんだろう」
「それはそうだ」
劉備に言われ、しぶしぶと関羽は宋忠の首根っこから手を離した。
「あ、ありがとうございまふ」
恐怖でろれつが回らくなった宋忠は、自由になるやいなや、ひいひい言いながら、転がるように逃げて行った。


つづく

※ いつもお付き合いくださっているみなさま、ありがとうございます(^^♪
なぜ孔明たちは、曹操が南陽の宛にくるまで、その動きを知らなかったのか?
その謎を、想像して書いてみました。
細作のネットワークが壊されちゃっていた……というエピソード。
さて、これから戦いになります。
趙雲と孔明の命運や、いかに?

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