孔明はほかの弟子たちの冷ややかな視線をものともせず、つんと顎をそらして起き上がると、身体についた泥やら埃やらを悠然とはらって、私塾のそばにながれている小川へいって、腫れつつある顔を冷やしに行く。
といっても、小川の水はきよいが、魔法の水ではないので、腫れをかんぜんには冷やしてくれない。
このまま家にかえれば、孔明の姉はずいぶんびっくりし、また、叱ることだろう。
どうしてそなたは、兄弟子さんたちと仲良くできないのですか。聞けば毎日、なにをしに行っているのやら、書物を読むのはみなさんの半分、あとは窓辺にすわって、外をぼんやりながめては、将来は管仲になるのだ、などと嘯いてばかりいるというではありませぬか。おまえのような怠け者が、傑物になれるとは、わたくしはどうしてもおもえない…こんな調子でえんえんと説教がつづく。
孔明は、この姉にまったく頭があがらないので、知恵を使って、叱られることを回避しようとかんがえる。
そして、結果、家に帰ることをやめ、親友である徐庶の家に怪我がなおるまでしばらく転がり込む。
徐庶は面倒見のよいおとこだったから、この生意気だが、案外、愛嬌もある弟弟子のために、朝晩の飯を用意してやる。
すると孔明は、とたんにおとなしくなって、徐庶の家では真面目に書物を読んだり、徐庶の暗誦の手伝いなどをしたり、あるいは、飼っている鶏にえさをやったり、かやぶき屋根にはえた雑草を引っこ抜いたり、徐庶をしたって遊びにくる子供たちと一緒に遊んだりするのであった。
どうしておまえは、おれの家にいるのと同じように、塾で過ごせないのか、というと、孔明はやはりしれっとして、だって、みんながあんなふうに書物ばかりをありがたがって、物を知ったふうになっているのがちゃんちゃらおかしくって、かれらのしかめっ面を見ていると、ちゃんとした学問の道をおしえてやりたいという気持ちがむくむくともたげてきて、どうしてもあんな口をきいてしまうのだよ、と反省しているような、反省していないようなことを言う。
水鏡先生の門下生のなかでも最年少といってもいい孔明が、学問の道のなんたるかを先輩弟子におしえようとかんがえているということが、徐庶にとってはお笑いだったが、じっさいには笑わなかった。
孔明が真剣にそうかんがえていることが、その真摯な表情でわかったからである。
こいつは先生のやり方が気に入らないのかな、ともちらっとおもったが、先生が抜き打ちでする試験には、孔明はそこそこの成績をのこすので、まったく学問ぎらいとか、先生がきらいというわけではないらしい。
どころか、孔明自身がいうとおり、孔明は、書物にざっと目を通し、大要をつかんでしまうことには長けており、たとえば塾の中で生徒同士の議論がおこっても、これを簡単に論破できるまでの学力は持っているのだ。
それがゆえに、ほかの生徒たちからは、たしかに頭の回転はいいようだと認められている一方で煙たがられているわけだが、ともかく、こいつが本気をだして、おれたちと同じように勉強をはじめたら、きっとほかに類をみないほどの大学者になるのでは、と徐庶はおもっていた。
が、それをいうと孔明が天狗になることはわかっていたので、あえて言っていない。
それに、どれだけ喧嘩になろうとも、孔明が私塾を休んだことはめったにない。流れ者のノッポの案山子、などなど面と向かって悪く言われようと、孔明が私塾を休まないのは、おそらく、なんだかんだと、私塾に愛着があるからだろう。
事実、孔明は、口では悪態をついているが、仲間を見るまなざしには、嫌悪や侮蔑はなく、むしろ優しさといたわりがある。
なのに、なぜ口や態度が素直にならないのかはなぞだが。
つづく…
といっても、小川の水はきよいが、魔法の水ではないので、腫れをかんぜんには冷やしてくれない。
このまま家にかえれば、孔明の姉はずいぶんびっくりし、また、叱ることだろう。
どうしてそなたは、兄弟子さんたちと仲良くできないのですか。聞けば毎日、なにをしに行っているのやら、書物を読むのはみなさんの半分、あとは窓辺にすわって、外をぼんやりながめては、将来は管仲になるのだ、などと嘯いてばかりいるというではありませぬか。おまえのような怠け者が、傑物になれるとは、わたくしはどうしてもおもえない…こんな調子でえんえんと説教がつづく。
孔明は、この姉にまったく頭があがらないので、知恵を使って、叱られることを回避しようとかんがえる。
そして、結果、家に帰ることをやめ、親友である徐庶の家に怪我がなおるまでしばらく転がり込む。
徐庶は面倒見のよいおとこだったから、この生意気だが、案外、愛嬌もある弟弟子のために、朝晩の飯を用意してやる。
すると孔明は、とたんにおとなしくなって、徐庶の家では真面目に書物を読んだり、徐庶の暗誦の手伝いなどをしたり、あるいは、飼っている鶏にえさをやったり、かやぶき屋根にはえた雑草を引っこ抜いたり、徐庶をしたって遊びにくる子供たちと一緒に遊んだりするのであった。
どうしておまえは、おれの家にいるのと同じように、塾で過ごせないのか、というと、孔明はやはりしれっとして、だって、みんながあんなふうに書物ばかりをありがたがって、物を知ったふうになっているのがちゃんちゃらおかしくって、かれらのしかめっ面を見ていると、ちゃんとした学問の道をおしえてやりたいという気持ちがむくむくともたげてきて、どうしてもあんな口をきいてしまうのだよ、と反省しているような、反省していないようなことを言う。
水鏡先生の門下生のなかでも最年少といってもいい孔明が、学問の道のなんたるかを先輩弟子におしえようとかんがえているということが、徐庶にとってはお笑いだったが、じっさいには笑わなかった。
孔明が真剣にそうかんがえていることが、その真摯な表情でわかったからである。
こいつは先生のやり方が気に入らないのかな、ともちらっとおもったが、先生が抜き打ちでする試験には、孔明はそこそこの成績をのこすので、まったく学問ぎらいとか、先生がきらいというわけではないらしい。
どころか、孔明自身がいうとおり、孔明は、書物にざっと目を通し、大要をつかんでしまうことには長けており、たとえば塾の中で生徒同士の議論がおこっても、これを簡単に論破できるまでの学力は持っているのだ。
それがゆえに、ほかの生徒たちからは、たしかに頭の回転はいいようだと認められている一方で煙たがられているわけだが、ともかく、こいつが本気をだして、おれたちと同じように勉強をはじめたら、きっとほかに類をみないほどの大学者になるのでは、と徐庶はおもっていた。
が、それをいうと孔明が天狗になることはわかっていたので、あえて言っていない。
それに、どれだけ喧嘩になろうとも、孔明が私塾を休んだことはめったにない。流れ者のノッポの案山子、などなど面と向かって悪く言われようと、孔明が私塾を休まないのは、おそらく、なんだかんだと、私塾に愛着があるからだろう。
事実、孔明は、口では悪態をついているが、仲間を見るまなざしには、嫌悪や侮蔑はなく、むしろ優しさといたわりがある。
なのに、なぜ口や態度が素直にならないのかはなぞだが。
つづく…