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帯とけの枕草子〔二百四十五〕せめておそろしき物
言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。
清少納言枕草子〔二百四十五〕せめておそろしき物
文の清げな姿
きわめて恐ろしいもの、夜鳴る雷。近い隣に盗人が入っている。わが住む所に来たのは、気付かないので何とも感じない・後で恐ろしい。近くの火事、また恐ろしい
原文
せめておそろしき物、よるなる神。ちかきとなりにぬす人のいりたる。わがすむ所にきたるは、ものもおぼえねば、なにともしらず。ちかき火、又おそろし。
心におかしきところ
しいて気遣うもの、夜泣く女、近い隣に寝す人が入っている。わが住むところにきたのは、ものもおぼえず何とも知らず・夢中よ。近くの情熱の火、股、気遣う。
言の戯れと言の心
「せめて…責めて…きわめて…強いて…無理に」「おそろしき…恐ろしい…不安な…心配な…気遣う」「なる…鳴る…鳴く…泣く」「神…雷…かみ…上…女」「ぬす人…盗人…寝す人…夜這い男」「ぬ…寝」「ちかき火…家の近所の火事…内裏の火事…近くの他人の情熱の火」。
『伊勢物語』第十二に、ぬす人(盗人…寝す人)の話があるので、読みましょう。
物語の清げな姿
昔、男がいた。他人の娘を盗んで、武蔵野へつれて行く間に、盗人だったので、国の守に絡められた(お縄となった)のだった。(盗んできた)女をば、草むらの中にすて置いて逃げていたのだった。
道来る人、「この野には、盗人がいるのだ」と、火をつけようとする。(捨て置かれた)女、心細そうに、
武蔵野は今日はなやきそ若草の つまもこもれりわれもこもれり
(武蔵野は、今日は焼かないで、枯れ草ではない・若草の端も籠もっている、わたしも籠もっている……)。
と詠んだのを聞いて、女をば、(道来る人が横)取りして、共に連れだって行った。
原文
むかし、をとこ有りけり。人のむすめをぬすみて、むさしのへゐてゆくほどに、ぬす人なりければ、くにのかみに、からめられにけり。女をば、くさむらのなかにおきて、にげにけり。みちくるひと、この野はぬす人あなりとて、火つけんとす。女わびて、
むさしのはけふはなやきそわかくさの つまもこもれりわれもこもれり
とよみけるをきゝて、女をばとりて、ともにゐていにけり。
心におかしきところ
昔、男がいた。他人の娘を盗んで、武蔵野へつれて行く間に、寝す人(夜這いする男)だったので、(武蔵の)国のかみ(女)に絡められた(虜になった)。(盗んできた)女をば、草むらの中に捨て置いて逃げたのだった。道来る人、「この野は、盗人がいるのだ」と、火をつけようとする。(捨て置かれた)女、心細そうに、
(……武蔵野は、今日は焼かないで、若草の妻も籠もっている、わたしも、み・ごもっている)。
と詠んだのを聞いて、女をば、(道来る人が横)取りして、(腹の子も)共に、つれて行ったことよ。
「ぬす人…盗人…寝す人…人のむすめをぬすむ人」「かみ…守…神…上…女」「つま…褄…端…妻」「こもれり…籠もれり…子盛れり…みごもれり」。
『枕草子』は、このような『伊勢物語』と同じ文脈に在る。多重の意味を孕んでいて、ときには遇意を含む。それを、言の戯れも知らず「言の心」を心得ず、平板な文として読み過ごされては、作者(在原業平自身かもしれない)は何んとも言いようがないほどわびしいでしょうよ。
伝授 清原のおうな
聞書 かき人知らず (2015・10月、改定しました)
原文は、岩波書店 新日本古典文学大系 枕草子による。