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帯とけの枕草子〔二百五十八〕御前にて
言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。
清少納言枕草子〔二百五十八〕おまへにて
御前にて、女房たちとも、また、宮が・何かを仰せられるついでなどにも、「世の中が腹立たしく、がまんできず、片時もこの世に在るべき心地もせず、ただどこかへ何処へでも行ってしまいたいと思うときに、ただの紙のとっても白く美しいのに、良い筆、白い色紙、陸奥紙などを得ましたら、こよなく慰められて、それでもこうして、しばし生きていてもいいと思えます。それに、高麗縁の筵の、青く目が細やかで厚手の、縁の紋様のとっても鮮やかで白黒はっきり見えているのを、敷き広げて見れば、何だか、やはりこの世は、決して決して捨てようとは思えないと、命さえ惜しくなります」と申せば、「いみじくはかなきことにもなぐさむなるかな。をばすて山の月は、いかなる人の見けるにか(とってもはかないことに慰められることよ。姨捨山の月は、どのような人が見たのか……たわいもないことで慰められるのね、をば捨て山ばの月人壮士は、どれほど貪欲な女人が見たのかしらね)」とお笑いになられる。お側の人々も、「いみじうやすきそくさいのいのりなゝり(いとも安易な息災の祈りですね…あなたは・とっても簡易な災い除けの祈りなのね)」などと言う。
さて後、時を経て、心から思い乱れる事があって里に居る頃、すばらしい紙二十枚を包んで賜わせられた。仰せこどには「とくまゐれ(すぐに参れ)」などとはおっしゃってなくて、「これは、きこしめしをきたることのありしかばなむ。わろかめれば、寿命経もえ書くまじげにこそ(これは、聞き置いたことがあったのでそれでですよ。気分が悪いようで、寿命経も書写できないようだからこそ……これは、以前聞き置いたことがあったからですよ。気分が悪いようで、寿命経も書写できないようだから・この紙を見て心慰めて命永らえなさい)」と仰せられてある。いみじうをかし(とってもおかしい)。忘れてしまったことを、覚えておられたのは、やはりただの人でもすばらしい、まして、おろそかにできることではないことよ。心は乱れて、申し上げようもなくて、「かけまくもかしこき神のしるしにはつるのよはひとなりぬべきかな。あまりにや(かけまくも畏き神の霊験には、わたくしは鶴の年齢となってしまうでしょう、余分ですかしら……かけまくもかしこき紙を記し尽くすには、鶴の年齢となってしまうでしょう。あんまりな里の永居ですかしら)」と申し上げてくださいと、お返事参らせた。台盤所の雑務の女が御使として来ている、青い綾の単衣など褒美とした。ほんとうにこの紙を冊子に作ってもて囃していると、心苦しいことも紛れる心地して、すばらしいと心の内にも思える。
二日ばかり経って、赤衣を着た男、畳を持って来て、「これ」と言う。「これって、誰から、ぶしつけである」などと、そっけなく言えば、さし置いて帰る。「どこからなの」と問わせても「退いて行った」というので、取り入れると、格別な御座という畳の形で、高麗縁などとっても清らかである。心の内には、贈り主はそうであろうなどと思うが、やはりはっきりしないので、使っている人々を出して、赤衣の男を・探し求めたけれど、消え失せていたのだった。不思議がっていても、使が帰ってはどうしょうもなくて、所違いだったら自分でまた言に来るでしょうと、宮のご周辺に尋ねに参りたいけれど、もしそうでなかったら、いっそうまずいと思うが、やはり、誰が何ということもなくこのような事をするかしら、仰せごとがあってのことでしょうと、いみじうおかし(とっても趣のあることよ)。
二日間ばかり、赤衣の男より・音沙汰ないので、疑い無くて、右京の君(女房)のもとに「このような事がですね、あります、そのようなご様子をご覧になりましたか、忍んで有り様をおっしやってください。そのようなことが見られなければ、こう申していると、なちらし給そ(言いふらさないでください)」と言いに遣ったところ、「たいそうお隠しになられている事です。ゆめゆめわたくしが知らせたと、なくちにも(あなたのお口からも・言いふらさないでね)」とあれば、それでだという思いもはっきりして、をかしうて(おかしくて)、文を書いて、こちらもまた密かに高欄(廊下などの欄干)に置かせたものの、心配していたところ、そのまま誰かがひっかけ落として、階段の下に落ちていたのだった(風雨に晒されたのだった)。
言葉や物の遣り取りのおかしさを知るにも、それに関わる和歌の「心におかしきところ」を知る必要があるでしょう。
古今和歌集 巻第十七 雑歌上、題しらず よみ人しらず
わが心なぐさめかねつさらしなや をばすて山にてる月をみて
(我が心慰め難い、更科だったか姨捨山に照る名月を見ても……わが心は慰められそうもない、言いふらさないでよ、普通のおとこは、見すてる山ばで、照るつき人おとこを見ても)。
「さらしな…更科・更級…所の名…晒しな…世間にさらしな…言いふらすな」「な…するな…禁止の意を表す」「や…所の名を山の名と結び付ける詞…呼びかけの意を表す…よ」「をばすて…姨捨・姑捨…山の名…をは捨て…おとこは見捨てる」「山…山ば…感情の山ば」「月…壮士…おとこ…突き」「見…覯…まぐあい」。
宮は、この世にこのような心の人がいらっしゃるのかと思うほど、逆境にあっても遊び心のあるお方でした。併せて、著者自身の変わり者ぶりが描いてある。
伝授 清原のおうな
聞書 かき人知らず (2015・10月、改定しました)
原文は、岩波書店 新 日本古典文学大系 枕草子による。