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帯とけの枕草子〔二百五十二〕人のかほに
言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。
清少納言枕草子〔二百五十二〕人のかほに
文の清げな姿
人の顔でとりわけ良しと見えるところは、度々見ていても、ああ愛嬌がある、愛でたいと思える。絵などは数多く見れば注目しなくなる。近くに立てた屏風の絵などは、とっても愛でたいけれど、見入ることはない。生きた・人の容姿はおもしろいものである。
気に入らない顔の・調度の中にも、一つ良い所がじっと見つめられることよ。醜いものも、そう(一つぐらいは好い所がある)だろうと思うのは、侘びしいことよ。
原文
人のかほに、とりわきてよしと見ゆる所は、たびごとにみれども、あなおかし、めづらしとこそおぼゆれ。ゑなど、あまたゝびみればめもたゝずかし。ちかうたてたる屏風のゑなどは、いとめでたけれども、見もいられず。人のかたちはおかしうこそあれ。にくげなるてうどの中にも、ひとつよき所のまもらるゝよ。見にくきもさこそはあらめと思ふこそ、わびしけれ。
心におかしきところ
男の彼おで、とりわけて好しと見えるところは、その・度毎に見れども、あゝご立派、愛でたいと思えることよ。身の枝の・絵など、あまた度見れば、目立たないよ、近くに立てた屏風の絵などは、とっても愛でたいけれども、見入ることはない。男のかたちは、おかしなものよ。にくらしそうなものの具の中にあっても、一つの好い所が見出され世話しているよ。われ如き・醜きも、そういうことかと思うと、わびしいことよ。
言の戯れと言の心
「人…女…男」「かほ…顔…彼お…おとこ」「見ゆ…見える…思える」「見…覯…媾…まぐあい」「あな…ああ…感嘆詞…穴…女」「ゑ…絵…枝…身の枝…おとこ」「め…目…女」「てうど…調度…日常使う手回りの品、家具類…顔の調度目鼻口など…日ごろ使うものの具…おとこ」「まもらるる…守ってしまっている…世話している」「見にくき…出来が悪い…見苦しい…醜い」「わびし…侘びしい…つらい…やりきれない」。
わが容貌は、『枕草子』をよく読めばわかることだけれど、ちぢれ髪である(かつらを着けている)。藤原行成の言うには「首がほっそりと見える(顎がしっかりしているためか)、声が好ましくよく通る。口もとに愛嬌がある」と。自らは「暗い鏡の方が良い、色白ではない(色はあかくろい)、豊満ではなく細身」と思う。これで容姿はおおよそ察しがつくでしょう。
『枕草子』は、おとなの女たちが共感できる、心におかしと思うことが書いてある。
伝授 清原のおうな
聞書 かき人知らず (2015・10月、改定しました)
原文は、岩波書店 新 日本古典文学大系 枕草子による。