■■■■■
帯とけの枕草子〔二百五十〕よろづのことよりも
言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける
清少納言枕草子〔二百五十〕よろづのことよりも
よろづのことよりも、なさけあることこそ、おとこはさらなり、女もめでたくおぼゆれ。
(万の事よりも、情けがあることこそ、男はもちろん、女も愛でたく思える……何よりも先ず、情熱のあることこそ、おとこは言うまでのなく、おんなも、情熱のあるのは・愛でたく思えるものよ)。
何げない言葉であっても、切実に心に深く入らなくても、いとおしきことをば「いとおし(可哀そう…可愛い)」とも、哀れなことを「げにいかにおもふらん(実際どのような思いをしていらっしゃるでしょうか)」などと言ったのを伝え聞いたのは、さし向かいで言われるよりも嬉しい。何とかしてこの人に、その情け・思い知ったことを、見知ってほしいなあと、常に思われる。
必ず思っているにちがいない人、安否など尋ねるに決まっている人は、当然のことだから、とり分けてどうということはない。そうではない人が、そういった対応をも頼もしくしているのは、嬉しい行いである。とっても易しいことだけれど、なかなか言えないことなのだ。
だいたい、心の善い人が、ほんとうに・言葉などに、かどなからぬは(才が無いのは…角々しく無いのは)、男も女も稀にしかいないでしょう。
又さる人もおほかるべし。
(また、そのような、気遣いのない・人も多く居るでしょう……股、去る男も、気遣いのない女には・多く居るでしょう)。
言の戯れと言の心
「なさけ…情け…他人への心づかい…情念…情熱」「いとおし…いとほし…かわいそう…かわいい…愛おしい」「かどなからぬ…気が利く…角々しくない…如才がない」「かど…才…才能…角…言動に表れるとげとげしさ」「さる人も…そのような人も…情けあっても言葉で言えない人も…去る人も」「も…主語について和らいだ表現をする」「また…又…やはり…そして…股」。
伝授 清原のおうな
聞書 かき人知らず (2015・10月、改定しました)
原文は「枕草子 新日本古典文学大系 岩波書店」による