帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの枕草子〔二百五十〕よろづのことよりも

2011-12-10 00:13:33 | 古典

  



                                             帯とけの枕草子〔二百五十〕よろづのことよりも


 言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける


清少納言枕草子〔二百五十〕よろづのことよりも


 
よろづのことよりも、なさけあることこそ、おとこはさらなり、女もめでたくおぼゆれ。
 
(万の事よりも、情けがあることこそ、男はもちろん、女も愛でたく思える……何よりも先ず、情熱のあることこそ、おとこは言うまでのなく、おんなも、情熱のあるのは・愛でたく思えるものよ)。
 何げない言葉であっても、切実に心に深く入らなくても、いとおしきことをば「いとおし(可哀そう…可愛い)」とも、哀れなことを「げにいかにおもふらん(実際どのような思いをしていらっしゃるでしょうか)」などと言ったのを伝え聞いたのは、さし向かいで言われるよりも嬉しい。何とかしてこの人に、その情け・思い知ったことを、見知ってほしいなあと、常に思われる。
 
必ず思っているにちがいない人、安否など尋ねるに決まっている人は、当然のことだから、とり分けてどうということはない。そうではない人が、そういった対応をも頼もしくしているのは、嬉しい行いである。とっても易しいことだけれど、なかなか言えないことなのだ。

 だいたい、心の善い人が、ほんとうに・言葉などに、かどなからぬは(才が無いのは…角々しく無いのは)、男も女も稀にしかいないでしょう。
 又さる人もおほかるべし。
(また、そのような、気遣いのない・人も多く居るでしょう……股、去る男も、
気遣いのない女には・多く居るでしょう)。

 
言の戯れと言の心
 「
なさけ…情け…他人への心づかい…情念…情熱」「いとおし…いとほし…かわいそう…かわいい…愛おしい」「かどなからぬ…気が利く…角々しくない…如才がない」「かど…才…才能…角…言動に表れるとげとげしさ」「さる人も…そのような人も…情けあっても言葉で言えない人も…去る人も」「も…主語について和らいだ表現をする」「また…又…やはり…そして…股」。


 伝授 清原のおうな

 聞書 かき人知らず (2015・10月、改定しました)


 原文は「枕草子 新日本古典文学大系 岩波書店」による