帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの拾遺抄 巻第三 冬 (百三十四)(百三十五)

2015-04-06 00:22:34 | 古典

        

 

                     帯とけの拾遺抄


 

藤原公任『新撰髄脳』の優れた歌の定義「心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」に従って拾遺抄の歌を紐解いている。藤原公任の歌論は、紀貫之・清少納言・藤原俊成らの歌論や言語観と同じ文脈にある。この平安時代の歌論に回帰したのである。

江戸時代以来の和歌の学問的解釈は、「古今伝授」と称する秘伝となって埋もれていた和歌の「鳥の名」や「木の名」に秘密の意味があるというような奇妙に歪んだ秘事などを切り捨てた。同時に平安時代の歌論や言語観をも切り捨てたようである。別の独自の解釈方法を構築した。歌を字義通りに聞き、言の戯れは、序詞、掛詞、縁語などと名付けて、和歌はそのような修辞で巧みに表現されてあるという。そうして解き明かされた和歌の意味は味気も色気もない。「心におかしきところ」のないくだらない歌にしてしまったのである。


 

拾遺抄 巻第四 冬 三十首

 

のこりのもみぢ見侍りて                      僧正遍昭

百三十四 からにしきえだにひとむらのこれるは  あきのかたみをたたぬなりけり

残りの紅葉を見て                        (僧正遍昭・蔵人頭の時、三十五歳で出家した)

(唐錦、枝に一巻残っているのは、秋の形見を、裁たないで・絶やさないのだなあ……空の錦木、身の枝に一むら消え残っているのは、飽きの片身お立たないのだなあ・片や見を断てないのだなあ)

 

歌言葉の言の心と言の戯れ

「からにしき…唐錦織…色彩豊かな織物…空錦木…色情空の男木」「錦木…求婚を示す五色に塗られた木、受け入れられるまで何本も女の家の前に立てたという…木の言の心は男」「えだ…枝…身の枝…おとこ」「むら…疋…巻物にした布を数える語…群…群がってある…斑…ぽつりとある」「のこれる…残っている(もみじ葉)…残っている(飽きの色情)」「あき…秋…飽き満ち足り」「かたみ…形見…遺品…片身…片方の身(立たないおとこ)…片見(不満足なまぐあいの女)」「み…身…見…まぐあい」「を…対象を示す…おとこ」「たたぬ…裁たない…立たない…断たない…絶たない」

 

歌の清げな姿は、もみじ一葉、枝に残る初冬の風景。

 心におかしきところは、色のない錦木となって立たない、片や不満足な見のために色を断てないありさま。

 

 決して妖艶(妖しいまでになまめかしい色艶)ではない。仮名序で貫之のいう、絵に描いた女を見る程度の、ほどよい色香の漂う歌である。

 深い心は、出家時に妻は三人居て二人には打ち明けたが、一人の妻とは情断ち難く、見捨てて逃げ出し、避け続けたのである。その苦悩に関わることだろうか。

 

 

百首歌のなかに                           重之

 百三十五 あしのはにかくれて見えし我がやどの こやもあらはに冬ぞきにける

献上の百首の歌の中に                       (源重之)

(葦の葉に隠れて、わずかに・見えていた我が宿の小家も、葦が枯れ・まる見えになって、冬が来たことよ……脚の端に隠れて見ていた我が夜門の、こ屋も露出したまま、終が来たなあ)

 

歌言葉の言の心と言の戯れ

「あし…葦…脚…肢」「は…葉…端」「見…覯…媾…まぐあい」「やど…宿…住まい…屋門…夜門」「門…と…おんな」「こや…小家…我が家…小屋…おんな」「こ…接頭語…小さい…かわいい」「家…屋…言の心は女」「あらはに…顕わに…まる見えに…露わに…露出して」「冬…四季の終わり…飽きの果て…終」「ける…けり…気付き・詠嘆の意を表す」

 

歌の清げな姿は、枯れ伏す葦に露わになった我が小家の初冬風景。

 心におかしきところは、吾妻のや門の小やも露わになったままの終局。

 

この歌の「心におかしきところ」は、なまめかしい。勅撰の「拾遺集」には相応しくないのか、百首から別の歌が撰ばれたようである。

 

葦の葉に隠れて住みし津の国の こやもあらはに冬はきにけり

葦の葉に隠れて住んだ津の国の昆陽の地も、露わに成って、冬は来たことよ……脚の端に隠れて澄んでいた、津のくにの小やも、露っぽく成って、終は来たなあ)

 

歌言葉の言の心と言の戯れ

「つ…津…国の名」「津…船着き場…言の心は女」「くに…ふるさと…言の心は女」「すみ…住み…澄み…心澄み」「こや…昆陽…津の国の地名(今の伊丹市の昆陽付近、陽あたりのよい葦原の湿地帯だったらしいが、奈良時代の高僧、行基の治水により池が造られ、農業にも住いにも良い土地になったという)…地名は戯れる。児屋、小屋、かわいい女」「あらわに…露わに…(乾いていたところが)露っぽくなって…(澄んでいたところが)少し露に潤んで」「に…変化の結果を示す…と(なる)…に(なる)」「冬…四季の終わり…終…ものの果て」

 

清げな姿は、葦の葉枯れて、津の国の住いの小家があらわになった、初冬の風景。

心におかしきところの「見えし我がやとの小や」と「すみし津の国の小や」とでは艶めかしさの品に微妙な違いがある。


『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。歌番もそのまま附した。群書類従に別系統の底本の原文がある、参考とした。