帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの拾遺抄 巻第三 冬 (百五十四)(百五十五)

2015-04-16 23:51:52 | 古典

          


 

                         帯とけの拾遺抄


 

藤原公任『新撰髄脳』の優れた歌の定義「心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」に従って『拾遺抄』の歌を紐解いている。

近世以来の学問的解釈によって見捨てられてしまった歌の「心におかしきところ」が蘇えるだろう。そうすれば、和歌の真髄に触れることができ、この時代の歌論や言語観が内部から見えるようになる。それを簡単に言えば、貫之は「歌の表現様式を知り、言の心を心得る人は、歌が恋しいほどおもしろくなるだろう」と述べ、清少納言は「聞き耳(によって意味の)異なるもの、それが我々の言葉である」と述べ、俊成は「歌の言葉は浮言綺語の戯れに似ているが、その戯れに歌の主旨や趣旨が顕れる。それはいわば煩悩である」と述べたのである。


 

拾遺抄 巻第四 冬 三十首

 

冬の月を見侍りてよみ侍りける              恵京法師

百五十四 あまのはらそらさへさえやわたるらん  氷とみゆるふゆのよの月

冬の月を見て詠んだ                   恵慶法師

(天の原、大空さえ冷え広がっているのだろうか、氷と見える冬の夜の月……吾女の腹、空しく、さ枝わたるのだろうか、氷門、見ている、冬の夜のつき人をとこ)

 

言の心と言の戯れ

「あま…天…吾ま…吾女」「はら…原…広々としたところ…腹…心のうち」「そらさへ…大空までも…空冴え…空しく冷たい…空々しいさ枝…空筒のおとこ」「さえやわたるらん…冴え広がるのだろうか…冴え続くのだろうか…さ枝渡るのだろうか」「さえ…冴え…冷え…小枝…我がおとこ」「や…疑いの意を表す…詠嘆の意を表す」「わたる…空間が広がる…長い時間つづく…ゆく…女の許へ行く」「氷…冷たく凝固した水…水の言の心は女」「と…対象を示す…共に…門…言の心はおんな」「みゆる…見える…見ている」「見…覯…媾…まぐあい」「冬の夜の月…歌合の題(歌の素材)になる言葉…寒月…心寒い夜の月人壮子…縮こまったおとこ」

 

歌の清げな姿は、冬の夜の大空の月。

心におかしきところは、氷の門とあいまみえる心も寒いおとこのありさま。

 

煩悩断ち法師となった心境又は色事の空しさと聞けば、深い心があるのだろう。

 

 

冷泉院の御屏風に                    兼盛

百五十五 人しれず春をそこまではらふべき  ひとなきやどにふれるしらゆき

冷泉院の御屏風に                    (平兼盛・冷泉院、花山院親子と同じ時代を生きた皇族)

(人知れず、春の季節をそこまで追い払う必要があるのだろうか、主人なき家に降っている白雪……ひとに知られず、春の情を、そこまで払うべきだろうか、女たちのいない宿に降った白ゆき)

 

言の心と言の戯れ

「人しれず…自然現象…人々に知られず…ひっそりと」「春…春の季節…春の情」「はらふ…払う…追い払う」「べき…必要があろう(か)…しなければならないだろう(か)…した方がよいのだろう(か)」「ひと…人…お仕えする人…女達」「やど…宿…住まい…家…言の心は女」「しらゆき…白雪…おとこ白ゆき…おとこの情念…おとこの残念…おとこの魂」

 

歌の清げな姿は、家の周辺に白雪が降り積っている冬景色。

心におかしきところは、この家の主人の情況を詠んだのだろう。払い積った白ゆきは男の情念か残念か。

 

冷泉天皇は、『大鏡』によれば、誕生の年に東宮にたたれ、元服は御年十四。御年十八にて即位されたが、二年後、弟君の十一歳の円融天皇に譲位された。その事情について、大鏡は「いと聞きにくく、いみじき事どもこそ侍れな、これは、みな人の知ろしめしたる事なれば、話も長し、止め侍りなん」と、語らない。冷泉院は還暦をこえても御健在であられた。花山院の御父である。

 

 

白雪が男の残念や情念の比喩とされる歌は、『伊勢物語』にも見られる。弟に皇太子を譲って自らは出家された親王が居られた。前にお仕えしていた人が、雪降る正月に訪ねて詠んだ歌である。

思へども身をしわけねばめかれせぬ 雪の積もるぞ我が心なる

(君を思えども、身は分けられません、目離れしていました、雪の積もっているのは、私の心情でございます……思っても身のおの子は聞き分けなければ、女離れした男の情念が積るのが、わが心である)


 宮仕えしていて、日頃は身近にお仕えできない心情を述べるとともに、主人の心情をも代弁した歌である。

 

 

『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。歌番もそのまま附した。群書類従に別系統の底本の原文がある、参考とした。


帯とけの拾遺抄 巻第三 冬 (百五十二)(百五十三)

2015-04-16 00:17:31 | 古典

          


 

                         帯とけの拾遺抄


 

藤原公任『新撰髄脳』の優れた歌の定義「心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」に従って『拾遺抄』の歌を紐解いている。

近世以来の学問的解釈によって見捨てられてしまった歌の「心におかしきところ」が蘇えるだろう。そうすれば、和歌の真髄に触れることができ、この時代の歌論や言語観が内部から見えるようになる。それを簡単に言えば、貫之は「歌の表現様式を知り、言の心を心得る人は、歌が恋しいほどおもしろくなるだろう」と述べ、清少納言は「聞き耳(によって意味の)異なるもの、それが我々の言葉である」と述べ、俊成は「歌の言葉は浮言綺語の戯れに似ているが、その戯れに歌の主旨や趣旨が顕れる。それはいわば煩悩である」と述べたのである。


 

拾遺抄 巻第四 冬 三十首

 

(題不知)                       右衛門督公任

百五十二 しもおかぬ袖だにさゆる冬のよは かものうはげをおもひこそやれ

(題しらず)                     (右衛門督公任・この歌を詠んだ時の官職だろう)

(霜のおりない袖さえも、冷える冬の夜は、鴨の上毛を、さぞ寒いだろうと・同情している……白魂、降らない身の端までも冷たく澄む冬の夜は、女の羽毛を、さぞ暖かいだろうと・想像して憂いを晴らす)

 

言の心と言の戯れ

「しも…霜…白いもの…下」「袖…衣の袖…端…身の端…おとこ」「だに…さえも…までも」「さゆる…冴える…冷える…(水・空気が)冷たく澄む…(心が)澄む…(ものがちじかむ)その気にならない」「冬…四季の終わり…もののはて」「よ…夜…男女の仲」「かも…鴨…鳥の名…鳥の言の心は女」「うはげ…上毛…下の毛ではない…羽毛…下の毛かもしれない」「おもひこそやれ…思いこそ遣る…推し量って(寒さに)同情する…想像して(寒さを)しのぐ…思いを晴らす…憂いを晴らす」

 

歌の清げな姿は、衣の袖さえ冷える冬の夜は、鴨の上毛を推し量って同情している。これが、今定着している学問的解釈に近いだろう。ほんとうに、今の人々は、これだけの歌と思って疑わないのだろうか。「心におかしきところ」はどこだろうか。「ことの心」とは何だったのか。歌の言葉は浮言綺語のように戯れているのではないのか。これらを無視して、薄っぺらな同情心を詠んだ、子供の発想のような一義な歌に貶めてしまっている。

 

心におかしきところは、身の端も凍てつく、ものの果てかと思える夜は、かもの上毛(女の下毛かも)を思い、憂いを晴らすさま。

題不知は、知っていて書かないだけ。公任にも、心も身も憂き日々があったのだろう。

 

 

(題不知)                           読人不知

百五十三 冬のいけのうへはこほりにとぢたるを  いかでか月のそこに見ゆらむ

(題しらず)                         (よみ人しらず・女の歌として聞く)

(冬の池の上は氷で閉じているのに、どうして月が底に見えているのでしょうか……心寒い逝けの女は、こほりに閉じているものを、どうして、つき人をとこが、其処にて、見えるのでしょうか)

 

言の心と言の戯れ

「冬の…寒い…心に飽き風どころか寒風吹く」「いけ…池…言の心は女…逝け…行け…去れ」「うへ…上…水面…女の敬称」「こほり…氷…冷やか…こ掘り…井掘りなどと共に、まぐあい」「を…のに・詠嘆を表す…相手を示す…おとこ」「月…月人壮子(万葉集の表記)、別名は、ささらえをとこ」「そこ…底…其処」「見ゆ…目に映る…見える…会う…合う…合わせる」「見…覯…媾…まぐあい」「らむ…疑問を以て理由などを推量する意を表す…(君の所為で心も身も閉ざしているものを)どうしておとこが其処に合えると思うのでしょうか」

 

歌の清げな姿は、池の氷に映る寒月。

心におかしきところは、心に寒風吹く女、身も閉じているものを、どうして壮子が合えるでしょうか。

 

凍てつく女の心の冬の理由はわからない、詠んだ状況も不知ながら、壮士を門前払いする歌。このときの女の心は、聞き手に以心伝心する。そのように表現するのが歌の方法である。


 

『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。歌番もそのまま附した。群書類従に別系統の底本の原文がある、参考とした。