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帯とけの拾遺抄
藤原公任『新撰髄脳』の優れた歌の定義「心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」に従って『拾遺抄』の歌を紐解いている。
近世以来の学問的解釈によって見捨てられてしまった歌の「心におかしきところ」が蘇えるだろう。そうすれば、和歌の真髄に触れることができ、この時代の歌論や言語観が内部から見えるようになる。それを簡単に言えば、貫之は「歌の表現様式を知り、言の心を心得る人は、歌が恋しいほどおもしろくなるだろう」と述べ、清少納言は「聞き耳(によって意味の)異なるもの、それが我々の言葉である」と述べ、俊成は「歌の言葉は浮言綺語の戯れに似ているが、その戯れに歌の主旨や趣旨が顕れる。それはいわば煩悩である」と述べたのである。
拾遺抄 巻第四 冬 三十首
冬の月を見侍りてよみ侍りける 恵京法師
百五十四 あまのはらそらさへさえやわたるらん 氷とみゆるふゆのよの月
冬の月を見て詠んだ 恵慶法師
(天の原、大空さえ冷え広がっているのだろうか、氷と見える冬の夜の月……吾女の腹、空しく、さ枝わたるのだろうか、氷門、見ている、冬の夜のつき人をとこ)
言の心と言の戯れ
「あま…天…吾ま…吾女」「はら…原…広々としたところ…腹…心のうち」「そらさへ…大空までも…空冴え…空しく冷たい…空々しいさ枝…空筒のおとこ」「さえやわたるらん…冴え広がるのだろうか…冴え続くのだろうか…さ枝渡るのだろうか」「さえ…冴え…冷え…小枝…我がおとこ」「や…疑いの意を表す…詠嘆の意を表す」「わたる…空間が広がる…長い時間つづく…ゆく…女の許へ行く」「氷…冷たく凝固した水…水の言の心は女」「と…対象を示す…共に…門…言の心はおんな」「みゆる…見える…見ている」「見…覯…媾…まぐあい」「冬の夜の月…歌合の題(歌の素材)になる言葉…寒月…心寒い夜の月人壮子…縮こまったおとこ」
歌の清げな姿は、冬の夜の大空の月。
心におかしきところは、氷の門とあいまみえる心も寒いおとこのありさま。
煩悩断ち法師となった心境又は色事の空しさと聞けば、深い心があるのだろう。
冷泉院の御屏風に 兼盛
百五十五 人しれず春をそこまではらふべき ひとなきやどにふれるしらゆき
冷泉院の御屏風に (平兼盛・冷泉院、花山院親子と同じ時代を生きた皇族)
(人知れず、春の季節をそこまで追い払う必要があるのだろうか、主人なき家に降っている白雪……ひとに知られず、春の情を、そこまで払うべきだろうか、女たちのいない宿に降った白ゆき)
言の心と言の戯れ
「人しれず…自然現象…人々に知られず…ひっそりと」「春…春の季節…春の情」「はらふ…払う…追い払う」「べき…必要があろう(か)…しなければならないだろう(か)…した方がよいのだろう(か)」「ひと…人…お仕えする人…女達」「やど…宿…住まい…家…言の心は女」「しらゆき…白雪…おとこ白ゆき…おとこの情念…おとこの残念…おとこの魂」
歌の清げな姿は、家の周辺に白雪が降り積っている冬景色。
心におかしきところは、この家の主人の情況を詠んだのだろう。払い積った白ゆきは男の情念か残念か。
冷泉天皇は、『大鏡』によれば、誕生の年に東宮にたたれ、元服は御年十四。御年十八にて即位されたが、二年後、弟君の十一歳の円融天皇に譲位された。その事情について、大鏡は「いと聞きにくく、いみじき事どもこそ侍れな、これは、みな人の知ろしめしたる事なれば、話も長し、止め侍りなん」と、語らない。冷泉院は還暦をこえても御健在であられた。花山院の御父である。
白雪が男の残念や情念の比喩とされる歌は、『伊勢物語』にも見られる。弟に皇太子を譲って自らは出家された親王が居られた。前にお仕えしていた人が、雪降る正月に訪ねて詠んだ歌である。
思へども身をしわけねばめかれせぬ 雪の積もるぞ我が心なる
(君を思えども、身は分けられません、目離れしていました、雪の積もっているのは、私の心情でございます……思っても身のおの子は聞き分けなければ、女離れした男の情念が積るのが、わが心である)
宮仕えしていて、日頃は身近にお仕えできない心情を述べるとともに、主人の心情をも代弁した歌である。
『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。歌番もそのまま附した。群書類従に別系統の底本の原文がある、参考とした。