■■■■■
帯とけの拾遺抄
藤原公任『新撰髄脳』の優れた歌の定義「心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」に従って『拾遺抄』の歌を紐解いている。
近世以来の学問的解釈によって見捨てられてしまった歌の「心におかしきところ」が蘇えるだろう。そうすれば、和歌の真髄に触れることができ、この時代の歌論や言語観が内部から見えるようになる。それを簡単に言えば、貫之は「歌の表現様式を知り、言の心を心得る人は、歌が恋しいほどおもしろくなるだろう」と言いい、清少納言は「聞き耳(によって意味の)異なるもの、それが我々の言葉である」と述べ、俊成は「歌の言葉は浮言綺語の戯れに似ているが、その戯れに歌の主旨や趣旨が顕れる。それはいわば煩悩である」と述べているのである。
拾遺抄 巻第四 冬 三十首
入道摂政の家の屏風に 兼盛
百四十八 見わたせば松の葉しろきよしの山 いくよつもれる雪にか有るらむ
入道摂政(藤原兼家)の家の屏風に 平兼盛
(見渡せば、松の葉白き吉野山、幾世、積もった雪であろうか……見つづければ、女の身の端白き、好しのの山ば、幾夜積った白ゆきであろうか)
言の心と言の戯れ
「見…見物…眺める事…目を見合すこと…覯…媾…まぐあい」「わたせば…渡せば…広がらせれば…またがれば…つづければ」「松の葉…女の端…女の身の端」「松…言の心は女」「は…葉…端」「しろ…白…色の果て…色情の果て…おとこのものの色」「よしの…吉野…山の名…名は戯れる。良しの、好しの」「山…ものの山ば」「よ…世…男女の仲…夜」「雪…白…おとこ白ゆき…逝き…おとこの情念…男の煩悩」
歌の清げな姿は、吉野山の雪景色。
心におかしきところは、まつのはの、白ゆきの山は、積年の君の情念(煩悩)でありましょうか。
屏風絵と歌を御覧になられた兼家入道は、たぶん、笑ってこの歌の趣旨を受け入れられただろう。
扱い方によっては、兼家を揶揄する歌となりかねない。花山法皇は入道兼家とは因縁浅からぬ仲であった。「拾遺集」には、この歌はない。
屏風のゑにこしの白山のかたをかきて侍りける所に 藤原佐忠朝臣
百四十九 我ひとりこしのこしじをこしかども 雪ふりにけるあとをだに見れ
屏風の絵に越の白山の姿を描いてあった所に (藤原佐忠朝臣・藤原輔尹朝臣とも)
(我一人、越の国の越路を越したことがあったけれども、雪の降った後・他人の足跡だけは見る……我独り・妻を残して、白ゆきの越路を越したことがあったけれども、白ゆき降った後までも・我は見る)
言の心と言の戯れ
「我ひとり…我一人…(妻より先に)我独り」「こしのこしじ…越の越路…雪深い路…白い山ば越す妻」「越…越前・越後の北陸の国…山を越し…追い越し」「路…通い路…女」「雪…白ゆき…おとこの情念」「あと…後…跡…足跡…(山ば越した)後」「だに…だけは…強調を表す…までも…追加を表す」「見れ…見る…(妻を)見捨てない」「見…覯…媾…まぐあい」
歌の清げな姿は、雪の山路を人の足跡を辿って越えて行く一人の旅人の風景。
心におかしきところは、白き山ば越した後も我は見つづけるという男の主張。
枕草子には、「雪」についての記述は多いが、そのすべてで、雪の「言の心」を心得ているかいないかで「をかし」さが異なる。そのひとつ、(一七五段)を読む。
村上の前帝の御時に、雪が大層降ったのを、容器に盛らせて、梅の花を挿して、月のとっても明るい時に、「これについて、歌を詠め、如何言うべきだろうか」と仰せになられて、兵衛という女蔵人に給わされたので、「ゆき月花の時」と申し上げたところ、たいそうお褒めになられた。「歌など詠むのは世の常である。このように、折りに合ったことは言い難い」と仰せになられた。
公任の『和漢朗詠集』にもある、詩句「雪月花時最憶君」の引用であることは知識でわかる。女ながら、その知識のあることを愛でられたのではないことは確かである。短い言葉に和歌と同じように、「女の奥深い心」と「清げな姿」と「心におかしきところ」があるからである。
ゆき月花の時
(雪月花の時……白ゆき、つき人おとこ、お花さくとき)、(最憶君……もっとも、おもう、君を)。
言の心を心得ると、このように聞こえる。清少納言も同じように聞いたに違いない。興味深いからこそ、この言葉を紹介したのである。
『枕草子』の原文は、新 日本古典文学大系による。
『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。歌番もそのまま附した。群書類従に別系統の底本の原文がある、参考とした。