帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの拾遺抄 巻第三 冬 (百四十八)(百四十九)

2015-04-14 00:06:55 | 古典

          

 


                         帯とけの拾遺抄



 藤原公任『新撰髄脳』の優れた歌の定義「心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」に従って『拾遺抄』の歌を紐解いている。

近世以来の学問的解釈によって見捨てられてしまった歌の「心におかしきところ」が蘇えるだろう。そうすれば、和歌の真髄に触れることができ、この時代の歌論や言語観が内部から見えるようになる。それを簡単に言えば、貫之は「歌の表現様式を知り、言の心を心得る人は、歌が恋しいほどおもしろくなるだろう」と言いい、清少納言は「聞き耳(によって意味の)異なるもの、それが我々の言葉である」と述べ、俊成は「歌の言葉は浮言綺語の戯れに似ているが、その戯れに歌の主旨や趣旨が顕れる。それはいわば煩悩である」と述べているのである。

 


 拾遺抄 巻第四 冬
 三十首

 

入道摂政の家の屏風に                     兼盛

百四十八 見わたせば松の葉しろきよしの山 いくよつもれる雪にか有るらむ

入道摂政(藤原兼家)の家の屏風に                平兼盛

(見渡せば、松の葉白き吉野山、幾世、積もった雪であろうか……見つづければ、女の身の端白き、好しのの山ば、幾夜積った白ゆきであろうか)

 

言の心と言の戯れ

「見…見物…眺める事…目を見合すこと…覯…媾…まぐあい」「わたせば…渡せば…広がらせれば…またがれば…つづければ」「松の葉…女の端…女の身の端」「松…言の心は女」「は…葉…端」「しろ…白…色の果て…色情の果て…おとこのものの色」「よしの…吉野…山の名…名は戯れる。良しの、好しの」「山…ものの山ば」「よ…世…男女の仲…夜」「雪…白…おとこ白ゆき…逝き…おとこの情念…男の煩悩」

 

歌の清げな姿は、吉野山の雪景色。

心におかしきところは、まつのはの、白ゆきの山は、積年の君の情念(煩悩)でありましょうか。

 

屏風絵と歌を御覧になられた兼家入道は、たぶん、笑ってこの歌の趣旨を受け入れられただろう。

扱い方によっては、兼家を揶揄する歌となりかねない。花山法皇は入道兼家とは因縁浅からぬ仲であった。「拾遺集」には、この歌はない。

 

 

屏風のゑにこしの白山のかたをかきて侍りける所に    藤原佐忠朝臣

百四十九 我ひとりこしのこしじをこしかども 雪ふりにけるあとをだに見れ

屏風の絵に越の白山の姿を描いてあった所に       (藤原佐忠朝臣・藤原輔尹朝臣とも)

(我一人、越の国の越路を越したことがあったけれども、雪の降った後・他人の足跡だけは見る……我独り・妻を残して、白ゆきの越路を越したことがあったけれども、白ゆき降った後までも・我は見る)

 

言の心と言の戯れ

「我ひとり…我一人…(妻より先に)我独り」「こしのこしじ…越の越路…雪深い路…白い山ば越す妻」「越…越前・越後の北陸の国…山を越し…追い越し」「路…通い路…女」「雪…白ゆき…おとこの情念」「あと…後…跡…足跡…(山ば越した)後」「だに…だけは…強調を表す…までも…追加を表す」「見れ…見る…(妻を)見捨てない」「見…覯…媾…まぐあい」

 

歌の清げな姿は、雪の山路を人の足跡を辿って越えて行く一人の旅人の風景。

心におかしきところは、白き山ば越した後も我は見つづけるという男の主張。


 

枕草子には、「雪」についての記述は多いが、そのすべてで、雪の「言の心」を心得ているかいないかで「をかし」さが異なる。そのひとつ、(一七五段)を読む。

村上の前帝の御時に、雪が大層降ったのを、容器に盛らせて、梅の花を挿して、月のとっても明るい時に、「これについて、歌を詠め、如何言うべきだろうか」と仰せになられて、兵衛という女蔵人に給わされたので、「ゆき月花の時」と申し上げたところ、たいそうお褒めになられた。「歌など詠むのは世の常である。このように、折りに合ったことは言い難い」と仰せになられた。

 

公任の『和漢朗詠集』にもある、詩句「雪月花時最憶君」の引用であることは知識でわかる。女ながら、その知識のあることを愛でられたのではないことは確かである。短い言葉に和歌と同じように、「女の奥深い心」と「清げな姿」と「心におかしきところ」があるからである。

ゆき月花の時

(雪月花の時……白ゆき、つき人おとこ、お花さくとき)、(最憶君……もっとも、おもう、君を)。

 

言の心を心得ると、このように聞こえる。清少納言も同じように聞いたに違いない。興味深いからこそ、この言葉を紹介したのである。

 


 『枕草子』の原文は、新 日本古典文学大系による。

『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。歌番もそのまま附した。群書類従に別系統の底本の原文がある、参考とした。