帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの拾遺抄 巻第五 賀 (百七十二)(百七十三)

2015-04-28 00:02:47 | 古典

          

 


                         帯とけの拾遺抄


 

藤原公任『新撰髄脳』の優れた歌の定義「心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」に従って『拾遺抄』の歌を紐解いている。

もとより和歌は秘事となるような裏の意味を孕んでいた。鎌倉時代に歌の家に埋も木となって戦国時代を経て秘伝となり江戸時代には朽ち果てていたのだろう。歌言葉の戯れの中に顕れる「心におかしきところ」が蘇えれば、秘事伝授などに関わりなく、和歌の真髄に触れることができる。


 

拾遺抄 巻第五 賀 五十一首

 
            
(作者は前の歌と同じ兼盛かと見えるが、拾遺集では仲算法師)

百七十二 声たててみかさの山ぞよばふなる  あめのしたこそたのしかるらし

(先の兼盛の歌と同じ時の葦手書の歌だろう)

(声たてて三笠の山が呼びかけているようだ・生き物たちの声、天の下、民も・楽しいに違いない……小枝立てて、三重なる山ばぞ、夜這うなる、吾めの下こそ、きっと楽しいだろう)

 

言の心と言の戯れ

「声たてて…山鳴りか…山の生物たちの声か…小枝立てて…身の枝立てて」「みかさの山…御笠山…山の名…名は戯れる。三重なる山ば、見重なる山ば、身重なる山ば」「山…山ば」「よばふ…呼びかける…(み重なることを)呼び求める…夜這う…まぐあう」「なる…なり…推定…聞こえるようだ」「あめのした…天の下…天下の自然と民…吾女の下…世の妻達の身の下」「たのしかるらし…楽しいだろう…精神的・肉体的に満ち足りて快らしい」「らし…確信ある推定の意を表す」

 

歌の清げな姿は、帝の賀を言祝ぐ即ち天下国家を言祝ぐ心。

心におかしきところは、再三重なる山ばを求めて呼んでいる、吾めの下、楽しいに違いないな。

 

「拾遺集」では、「声たてて」が「声高く」となっている。「心におかしきところ」が更に「玄の玄」なるものとなる。

 

 

承平四年中宮の賀し侍りける時の屏風に            斎宮内侍

百七十三 いろかへぬ松とたけとのすゑのよを  いづれひさしと君のみぞ見む

承平四年(934)、中宮の賀をされた時の屏風に        (斎宮内侍・斎宮だった内親王にお仕えした人)

(常しえに・色変えない松と竹との末の世を、どちらが久しいかと、きみだけが見届けられるでしょう……常磐なる色情の女君と、猛き男君との末の夜を、どちらが久しく保つかと、きみの身ぞ、見るでしょう)

 

言の心と言の戯れ

「いろ…色…色彩…色情」「松…常緑…長寿…待つ…言の心は女」「たけ…竹…君…言の心は男」「すゑのよ…末の世…果ての夜」「のみ…だけ…限定の意を表す…の身…の見」「ぞ…強く指示する意を表す」「見…覯…媾…まぐあう」

 

歌の清げな姿は、中宮の四十か五十歳の賀の言祝ぎ。

心におかしきところは、年経ても色香も色情も失せぬひとを愛であげるところ。

 

前斎宮の内親王の立場(下世話に言えば小姑の立場)で詠まれた歌だろう。四十、五十歳の中宮に対して遠慮は無い。


 

さて、「竹」に男君という意味があったとは、今の「古語辞典」に載っていないので、学問的には埋もれたまま未発掘か。清少納言は知っていたので訊ねる。枕草子(一三〇段)は、「竹」が男君でおとこであるとの前提で読めば、今の人々も「をかし」に付いていけるだろう。

「五月ばかり、月もなういと暗き」ときに、行成とその仲間の男たちが、庭の呉竹を切って、此の竹を題に歌でも詠もうということで、悪戯に、「女房達は居るか」と、局の簾に、そよろと差し入れたのである。清少納言の応対は男どもの期待以上であった。「おいこの君にこそ」と応えた。この言葉で、すべて言い尽くされてしまって、「をかし」くて、呉竹の歌を詠むまでもなくなったのだろうか。話題ができたと帰ってしまった。

「おいこの君にこそ」

(はい、此の君なのね・誰かと思えば……感極まった小の貴身なのね・短くなよなよのものは)


 「おい…はい…返事の言葉…老い…暮れ…よれよれ…追い…ものの極み…感の極み」「この君…此君(竹)…子の君…小の貴身…おとこ」「くれたけ…呉竹…淡竹…節間の短い竹」「こそ…特に強く指示する意を表す…(この君の裏の意味を)強く示した」。このように、言葉は「聞き耳(によって意味の)異なるもの」である。

 


 『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。歌番もそのまま附した。群書類従に別系統の底本の原文がある、参考とした。