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帯とけの拾遺抄
藤原公任『新撰髄脳』の優れた歌の定義「心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」に従って『拾遺抄』の歌を紐解いている。
もとより和歌は秘事となるような裏の意味を孕んでいた。鎌倉時代に歌の家に埋も木となって戦国時代を経て秘伝となり江戸時代には朽ちていたのだろう。秘伝の端切れから秘事の解明は不能である。
歌言葉の戯れの中に顕れる「心におかしきところ」が蘇えれば、秘事伝授などに関わりなく、和歌の真髄に触れることができる。
拾遺抄 巻第五 賀 五十一首
おなじがに竹のつゑのかたをつくりて侍りけるに 大中臣頼基
百七十四 ひとふしにちよをこめたる杖なれば つくともつきじ君がよはひは
同じ中宮の賀に竹の杖の形を作ってあったので (大中臣頼基・能宣の父・貫之や身恒の後輩)
(一節に千世を込めた杖なので突いても、尽きないでしょう貴女の寿命は……一夫肢に千夜の情を込めた杖なので、突いても尽きないでしょうあなたの夜這いは)
言の心と言の戯れ
「ひとふし…一節…節の多い品種の竹の一節…一夫肢…おとこ」「ちよ…千世…千夜」「杖…歩行を助ける物…一夫肢をささえるもの」「つくともつきじ…突くとも尽きないだろう…本来の夫肢ははかなくて一突きで尽きるもの」「きみ…君…貴身…貴見」「見…覯…媾…まぐあい」「よはひ…年齢…寿命…夜這い…(竹取物語にある言葉)求愛・求婚・まぐあい」
歌の清げな姿は、杖は突いても尽きない貴女の寿命。
心におかしきところは、この竹の杖ならば、尽きないでしょう、貴女に合わせて。
小野宮大臣の五十賀しはべりける時の屏風に 元輔
百七十五 きみがよをなににたとへんさざれ石の いはほとならん程もあかねば
小野宮大臣(公任の祖父)の五十の賀をした時の屏風に (清原元輔・清少納言の父)
(貴君の世を何に喩えようか、細石の巌岩とならむ程と・喩えがあるが貴君の寿命の・程はそれでも、飽き足りないのだから……貴身の夜を何に喩えようか、なよなよした女が巌の女に成る程でも、貴身は飽き足りないのだから)
言の心と言の戯れ
「きみ…君…貴身…おとこ…貴見…貴覯…貴君の媾」「よ…代…世…夜」「さざれ石のいはほとならん程…限りなき時間の比喩…古今集の歌で君が世の比喩だったが同時に既に裏の意味も孕んでいた」「石…言の心は女」「岩…言の心は女」「あかねば…飽きないので…満足しないので…(見れど)飽きないので(このような意味が鎌倉時代に歌の家に埋もれたまま近世には消えたのである)」
歌の清げな姿は、君の寿命は千年八千年でも飽き満ち足りそうにない。
心におかしきところは、貴身の夜は限りなくて喩えようもない程見れど飽かないのだから。
『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。歌番もそのまま附した。群書類従に別系統の底本の原文がある、参考とした。