帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの拾遺抄 巻第三 冬(百六十二)(百六十三)

2015-04-22 00:17:46 | 古典

          


 

                         帯とけの拾遺抄


 

藤原公任『新撰髄脳』の優れた歌の定義「心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」に従って『拾遺抄』の歌を紐解いている。

近世以来の学問的解釈によって見捨てられてしまった歌の「心におかしきところ」が蘇えるだろう。そうすれば、和歌の真髄に触れることができ、この時代の歌論や言語観が内部から見えるようになる。それを簡単に言えば、貫之は「歌の表現様式を知り、言の心を心得る人は、歌が恋しいほどおもしろくなるだろう」と述べ、清少納言は「聞き耳(によって意味の)異なるもの、それが我々の言葉である」と述べ、俊成は「歌の言葉は浮言綺語の戯れに似ているが、その戯れに歌の主旨や趣旨が顕れる。それはいわば煩悩である」と述べたのである。

 

拾遺抄 巻第四 冬 三十首

 

しはすのつごもりのよよみ侍りける                 兼盛

百六十二 かぞふれば我が身につもるとしつきを  おくりむかふとなにいそぐらむ

師走のつごもりの夜に詠んだ                   平兼盛

(数えれば、我が身に積もる年月を、送り迎えると、何を急ぐのだろうか……彼ぞ、振れば、女の・わが身につもる疾し突きを・早い尽きなのによ、送リ迎えるとて、何を急ぐのだろうか)

 

言の心と言の戯れ

「かぞふれば…数えれば…計算すれば…彼ぞ振れば…彼ぞ降れば」「か…彼…あれ…代名詞」「我が身に…男の身に…女の身に」「つもる…積る…溜まる」「としつき…年月…疾し突き…疾し尽き」「を…対象を示す…のに(ので)…詠嘆を表す…男…おとこ」「おくりむかふ…送迎する…見送り迎え入れる…通うの受身の方(女の身)」「いそぐ…準備する・用意する…急ぐ」「らむ…原因理由を疑いをもって推量する…事実を婉曲に表現する(いそいでいるようだ)」

 

歌の清げな姿は、正月迎える用意をする女達の様子。

心におかしきところ、男と女の夜のありさま。

 

詠んだ相手や情況によって、意味は多少異なる。『拾遺集』では「斎院の屏風に」とあり、『兼盛集』では「内裏屏風歌」という。

 

 

題不知                          読人不知

百六十三 ゆきつもるおのがとしをばしらずして  春をばあすときくぞうれしき

題しらず                        (よみ人しらず・男の歌として聞く)

(雪積る・白髪の、己の歳をばともかくとして、立春をば、明日と聞けば嬉しい……逝きかさねる、己の疾し性をば、ともかくとして、張るおとこをば、満たす門、効くぞ・聞くぞ、嬉しい)

 

 

言の心と言の戯れ

「ゆき…雪…逝き…白…白髪」「つもる…ふえる」「とし…歳…疾し…早過ぎ…おとこのさが」「しらず…ともかく…それはさておき」「春を…新年を…立春を…張るおを」「あすと…明日だと…明日もと…あす門…満たす門」「あす…満たす…いつぱいにする…満たし余す」「と…門…身の門」「きく…効く…効果…聞く」「ぞ…強く指示する意を表す」

 

歌の清げな姿は、歳を重ねるのはともかくとして、新春を迎える喜び。

心におかしきところ、おとこの和合の喜び。

 

この歌、「拾遺和歌集」では「百首歌の中に 源重之」とある。公任が読人不知にしたのは、匿名にしたためと思われる。歌の色好みな内容が理由であろう。

これにて、拾遺抄 巻第四 冬の歌は終り。


 

『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。歌番もそのまま附した。群書類従に別系統の底本の原文がある、参考とした。