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帯とけの拾遺抄
藤原公任『新撰髄脳』の優れた歌の定義「心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」に従って『拾遺抄』の歌を紐解いている。
近世以来の学問的解釈によって見捨てられてしまった歌の「心におかしきところ」が蘇えるだろう。そうすれば、和歌の真髄に触れることができ、この時代の歌論や言語観が内部から見えるようになる。それを簡単に言えば、貫之は「歌の表現様式を知り、言の心を心得る人は、歌が恋しいほどおもしろくなるだろう」と述べ、清少納言は「聞き耳(によって意味の)異なるもの、それが我々の言葉である」と述べ、俊成は「歌の言葉は浮言綺語の戯れに似ているが、その戯れに歌の主旨や趣旨が顕れる。それはいわば煩悩である」と述べたのである。
拾遺抄 巻第四 冬 三十首
しはすのつごもりのよよみ侍りける 兼盛
百六十二 かぞふれば我が身につもるとしつきを おくりむかふとなにいそぐらむ
師走のつごもりの夜に詠んだ 平兼盛
(数えれば、我が身に積もる年月を、送り迎えると、何を急ぐのだろうか……彼ぞ、振れば、女の・わが身につもる疾し突きを・早い尽きなのによ、送リ迎えるとて、何を急ぐのだろうか)
言の心と言の戯れ
「かぞふれば…数えれば…計算すれば…彼ぞ振れば…彼ぞ降れば」「か…彼…あれ…代名詞」「我が身に…男の身に…女の身に」「つもる…積る…溜まる」「としつき…年月…疾し突き…疾し尽き」「を…対象を示す…のに(ので)…詠嘆を表す…男…おとこ」「おくりむかふ…送迎する…見送り迎え入れる…通うの受身の方(女の身)」「いそぐ…準備する・用意する…急ぐ」「らむ…原因理由を疑いをもって推量する…事実を婉曲に表現する(いそいでいるようだ)」
歌の清げな姿は、正月迎える用意をする女達の様子。
心におかしきところ、男と女の夜のありさま。
詠んだ相手や情況によって、意味は多少異なる。『拾遺集』では「斎院の屏風に」とあり、『兼盛集』では「内裏屏風歌」という。
題不知 読人不知
百六十三 ゆきつもるおのがとしをばしらずして 春をばあすときくぞうれしき
題しらず (よみ人しらず・男の歌として聞く)
(雪積る・白髪の、己の歳をばともかくとして、立春をば、明日と聞けば嬉しい……逝きかさねる、己の疾し性をば、ともかくとして、張るおとこをば、満たす門、効くぞ・聞くぞ、嬉しい)
言の心と言の戯れ
「ゆき…雪…逝き…白…白髪」「つもる…ふえる」「とし…歳…疾し…早過ぎ…おとこのさが」「しらず…ともかく…それはさておき」「春を…新年を…立春を…張るおを」「あすと…明日だと…明日もと…あす門…満たす門」「あす…満たす…いつぱいにする…満たし余す」「と…門…身の門」「きく…効く…効果…聞く」「ぞ…強く指示する意を表す」
歌の清げな姿は、歳を重ねるのはともかくとして、新春を迎える喜び。
心におかしきところ、おとこの和合の喜び。
この歌、「拾遺和歌集」では「百首歌の中に 源重之」とある。公任が読人不知にしたのは、匿名にしたためと思われる。歌の色好みな内容が理由であろう。
これにて、拾遺抄 巻第四 冬の歌は終り。
『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。歌番もそのまま附した。群書類従に別系統の底本の原文がある、参考とした。