帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの拾遺抄 巻第三 冬(百六十)(百六十一)

2015-04-21 00:33:53 | 古典

          

 

                         帯とけの拾遺抄


 

藤原公任『新撰髄脳』の優れた歌の定義「心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」に従って『拾遺抄』の歌を紐解いている。

近世以来の学問的解釈によって見捨てられてしまった歌の「心におかしきところ」が蘇えるだろう。そうすれば、和歌の真髄に触れることができ、この時代の歌論や言語観が内部から見えるようになる。それを簡単に言えば、貫之は「歌の表現様式を知り、言の心を心得る人は、歌が恋しいほどおもしろくなるだろう」と述べ、清少納言は「聞き耳(によって意味の)異なるもの、それが我々の言葉である」と述べ、俊成は「歌の言葉は浮言綺語の戯れに似ているが、その戯れに歌の主旨や趣旨が顕れる。それはいわば煩悩である」と述べたのである。

 

拾遺抄 巻第四 冬 三十首

 

延喜御時の御屏風に仏名したるかたある所に          貫之

百六十  年の中につもれるつみはかきくらしふるしらゆきとともにきえなん

延喜御時の御屏風に仏名している様子を描いたところに    紀貫之

(年のうちに積もった罪は、かきあつめ果てて、降る白雪と共に消えて欲しい……疾しのうちに、積りつもった罪は、搔き暗し・見えなくし、古いおとこ白ゆきと一緒に、消えて欲しい)

 

「仏名」は十二月の中頃行われる、仏の御名を称えつつ一年間つもった罪障を懺悔し、その消滅を願う仏名会。宮中恒例の儀式となっていたので、その様子を描いた屏風絵に書き入れた歌だろう。

言の心と言の戯れ

「年の中…一年間…疾しのうち…一瞬の快楽」「つもれるつみ…積った罪…あれも罪障の一つなのだろうか、七夕星は一年に一回だけれども、人は数知れず積み重ねる」「かきくらし…かき暮らし…ものの果てとし…かき暗らし…見えなくし」「かき…搔き…接頭語」「ふるしらゆき…降る白雪…ふるおとこ白ゆき…おとこの情念の燃えかす…おとこの邪気…汚れ…古おとこ白ゆき…一年間の白ゆき全て」「きえなん…消えて欲しい…消えてしまうだろう」「なむ…願望を表す」

 

歌の清げな姿は、仏名会で、人々が願うこと。

心におかしきところは、仏名会で、おとこの・願わなければならない・願った方がいい、願うだろう、こと。

 

 

屏風のゑに仏名の朝にむめの木のもとにて導師とあるじとわかれをしみたる

かた有るところに                     大中臣能宣

百六十一 雪ふかき山ぢへなにかかへるらん はるまつ花のかげにとまらで

屏風の絵に、寺で行われた・仏名のあくる朝に、梅の木のもとにて、導師と会を催した人とが、別れ惜しんでいる様子を描いたところに、大中臣能宣

(雪深き山路へ、何しに帰るのだろう・御主人よ、春待つ花の木陰に留まらずに……白ゆき深き山ばの・かよい路に、何で帰るのだろう・主人公よ、春を待つ男花の木のお陰で、踏み止まらずに)

 

言の心と言の戯れ

「山ぢ…山路…山ばの女」「山…ものの山ば」「路…通い路…女」花…梅の花…木の花…男花」「かげ…陰…木陰…陽のあたらない暗きところ…くらしたところ…果てたところ」「かげ…木陰…お蔭…影…影響」「とまらで…泊らないで…留まらないで…止まらないで」

 

歌の清げな姿は、仏名会で罪障を消滅した男、法師と退出の挨拶を交わすところ。

心におかしきところは、情の深い山ばの女の許へ何しに帰るのだ、男よ、春の情待つ、おとこ花の影にせかされるように、寺に留まらず。

 

 

清少納言枕草子(二八三段)に、中宮主催の仏名会が行われ時の情況が描かれてある。

 

十二月二十四日、宮の御仏名の半夜の導師聞きて、出づる人は、夜中ばかりも過ぎにけんかし」と語り始める。

日頃降っていた雪が、今日はやんで、風などはきつく吹いて、水晶のような、つらら(垂氷)が多くできている。(雪の残った道を行くわたしの車の前の車は)下簾も掛けず簾を高くあげてあるので、(灯に中までよく見える)。奥までさし入りたる月に(女車の奥に入り込んだつき人壮子に)、(女の装束乱れている)、薄色、白木、紅梅など、七つ八つばかり着た上に、濃い衣、艶などは月にはえておかしう見ゆる(艶っぽさは、つき人壮子に栄えておかしゅう見える)、傍らの(男の装束の色の描写がある・略)直衣の白い紐解きたれば、脱ぎ垂れて、いみじうこぼれ出でたり。指貫は車の外にはみ出している

月のかげのはしたなさに(月の光が明るく、はしたないので……つき人壮子が、はしたなくて)、後ざまにすべり入る、を(おとこ)、つねにひきよせ、(女は)あらわになされわぶるも、おかし(興味深い…犯し)。「凛々としてこほりしけり(冴えて凛として氷っていることよ……絶倫としてこ掘りしけり)」と、返す返す誦うじておはするは、いみじうおかしうて、夜一夜もありがなほしきに、行く所違うのも口惜し。

 

「月」の言の心を「つき人壮士…壮子…おとこ」と心得えると、「奥までさし入りたる月」が何を意味するかがわかる(二十四日の月は三日月と同じ程度なのに、それほど明るいわけがないなどと悩まなくて済む)。ほかでは「りんリん(凛々…厳しい寒さ)」は絶倫(類が無いほど優れている)の倫だろう。男の言葉も「聞き耳異なるもの」。「こほり…氷…子掘り…まぐあい」。

 

言うまでもなく、相乗り車の男女は仏名会の帰りの牛車の中で、消滅した罪を重ねてしまったこと。それを、清少納言は歌と同じ表現方法で語っている。


 

『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。歌番もそのまま附した。群書類従に別系統の底本の原文がある、参考とした。