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帯とけの拾遺抄
藤原公任『新撰髄脳』の優れた歌の定義「心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」に従って『拾遺抄』の歌を紐解いている。
もとより和歌は秘事となるような裏の意味を孕んでいた。鎌倉時代に歌の家に埋も木となって戦国時代を経て秘伝となり江戸時代には朽ち果てていたのだろう。歌言葉の戯れの中に顕れる「心におかしきところ」が蘇えれば、秘事伝授などに関わりなく、和歌の真髄に触れることができる。
拾遺抄 巻第五 賀 五十一首
贈皇后の御うぶやのなぬかに兵部卿致平親王のしろかねのきじたてまつるとて
よませ侍りける 元輔
百六十六 あさまだききりふのをかに立つきじは ちよのひつぎのはじめなりけり
贈皇后の御産屋の七日のお祝いに、義弟にあたられる・兵部卿致平親王が、白銀の雉を奉るということで、詠ませられた歌、(代作は、清原元輔・清少納言の父)
(朝まだき、霧の、桐の生える丘に立つ雉は、千代の日次の貢物の始めであることよ……浅、未だ来、限り夫の、小高い丘に立つ、来じのひとは、千夜の連夜の初めだなあ)
言の心と言の戯れ
「あさまだき…未だ夜の明けないころ…朝未だ来…浅未だ来…浅くて未だ心が明けない」「きりふ…桐生…所の名…名は戯れる。桐の木の生えた、霧が発生する、限が生じる、限り夫」「きり…限り…限度」「をか…岡…丘…高くない山ば」「きじ…雉…鳥の名…来じ…来ないだろう…鳥の言の心は女…限リ来ないだろう女…白銀製の雉の造形物はまさに永遠の女の象徴…果てしない女…次は皇太后になられ、やがて天皇の御祖母となられ、今上は我が玄孫(やしゃご)となられ、先祖となられ千代つづく」「ひつぎ…日次ぎ…毎日・連日の貢物…日嗣…天皇の位…皇位継承者」
歌の清げな姿は、七日の産屋の人を祝う贈物に添えた歌。
心におかしきところは、皇位継承の遠退いた親王の心情を汲んで、皇子を産み続ける藤氏の女たちへのひにくと聞こえるところ。
歌は依頼されたお方の承認を得たであろう。、意向を汲んで、そのお方に成り代わって詠まれてあるにちがいない。さすが、清少納言の父。
ある藤氏のうぶやに
百六十七 ふた葉よりたのもしきかなかすがのの こだかき松のたねとおもへば
或る藤氏の産屋に (拾遺集では、よしのぶ・大中臣能宣)
(新芽は・双葉のときから頼もしいことよ、春日野の小高き松の種と思えば……松葉は・双葉のときから頼もしいなあ、藤氏の庭の小高いお人の胤と思えば)
言の心と言の戯れ
「ふた葉…双葉…幼い葉」「より…起点を示す」「たのもしき…気強い…頼もしい…将来が楽しみである」「かな…感動を表す…詠嘆を表す」「かすがの…春日野…藤氏の氏神の鎮座する所の庭」「こだかき…木の高い…小高い…少し高い…小貴い…少し高貴な」「松…言の心は女…常緑…常磐…変わらぬ」「たね…種…胤…血統…血族」「松の種…生えたばかり幼松…女の幼児…小松が少女であることは、土佐日記をそのつもりになって一読すれば心得られる」
歌の清げな姿は、産屋の女人を言祝ぐ歌。
心におかしきところは、皇女が誕生したのだろう。貴女と同様に今より頼もしいと聞こえるところ。
「拾遺抄」には作者名が無いため、この歌も元輔作のように見えるが、能宣なのだろう。賀の歌といえども皮肉めいたおかしさがある。無ければ歌ではなく、ただの祝辞である。
『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。歌番もそのまま附した。群書類従に別系統の底本の原文がある、参考とした。