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帯とけの「古今和歌集」
――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――
「古今和歌集」の歌を、原点に帰って、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成に歌論と言語観を学んで聞き直せば、隠れていた歌の「心におかしきところ」が顕れる。それは言葉では述べ難いことなので、歌から直接心に伝わるよう紐解き明かす。
「古今和歌集」巻第一 春歌上(14)
(寛平御時后宮歌合の歌) 大江千里
うぐひすの谷よりいづる声なくは 春くることを誰かしらまし
(鶯の谷より出る春告げる声が無ければ、春くることを、誰が知るだろうか……をみなのたに間より、いでる声が無ければ、春の情の来ることを、誰が知るだろうか……浮く秘すのたに間より、いでる小枝が無ければ、張るものが暮れることを、誰がしるだろうか)
歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る
「うぐひす…鶯…鳥…鳥の言の心は女…浮く秘す、憂く泌すなどと戯れる」「谷…谷川・谷間…言の心は女…おんな」「声…鶯の声…女の声…谷間の声…小枝…身の枝…おとこの自嘲的表現」「春…春情…張る」「くる…来る…暮る…時が過ぎる…ものが果てる」。
目に見えない季節の春は、何時の間にかやって来る。鶯が谷から里に出て鳴く声が聞こえた時、誰もが春を知る。――歌の清げな姿。
性愛の極致と、その暮れの果て方の体験を表出した。――この歌の「心におかしきところ」は、ひときわ奥深いようである。これが、俊成の言う歌に顕れた「煩悩」である。こうしてそれを歌に詠んだ時、「煩悩」であることの悟りの境地に一歩入っているのだろう。
大江千里は、「古今和歌集」が奏上される十年ほど前、寛平六年(894)に「句題和歌集」(千里の私歌集)を宇多天皇に奏上した。当代の一流歌人である。それに、儒者で博学の人。曽祖父は阿保親王で、祖父は大江本主、この方は在原業平とご兄弟である。
(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本に依る)