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帯とけの「古今和歌集」
――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――
「古今和歌集」の歌を、原点に帰って、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成に歌論と言語観を学んで聞き直せば、隠れていた歌の「心におかしきところ」が顕れる。それは、言葉では述べ難いことなので、歌から直接心に伝わるよう紐解き明かす。
「古今和歌集」巻第一 春歌上(20)
(題しらず) (よみ人しらず)
梓弓をして春雨けふゝりぬ あすさへふらば若菜つみてん
(梓弓おして・この辺り一面、春雨が今日降った、明日もふるならば、若菜摘みできるだろう……あの弓張の、おをして、春のおとこ雨、京に降った、あすも降るならば、必ず若菜摘もう・きっとわか汝娶ろう)
歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る
「梓…弓材にする木…枕詞…をし・おしにかかる…美称」「弓…つわもの(武具)…弓張…言の心はおとこ」「をして…おして…全体に…おしなべて…おをして…おとこして」「はるさめ…春雨…春情のおとこ雨」「けふ…今日…京…絶頂」「ぬ…完了したことを表す…(降って)しまった」「「若菜…若い女…若汝…吾女」「つみてん…摘めるだろう…摘むつもりだ」「つむ…摘む…採取する…ひきぬく…めとる(娶る)」「てん…てむ…強く推量する意を表す…強い意志を表す」。
春雨降る毎に成長する若菜を摘む日を待つ人の心。――歌の清げな姿。
若菜摘む日に逢い合った若い女を、明日も春雨降らせれば、吾が汝よ、きっと娶ろう。――心におかしきところ。
めでたし、めでたし、若い男の決心を述べた民謡風の歌である。
囃し言葉など入れば催馬楽になるだろう。「梅が枝に」倣って、謡ってみよう。言の心と言の戯れの意味は変わらない。
梓弓、おして、春雨や、はれ、春雨や、けふ降りぬ、明日さへ降ればや、あはれ、そこよしや、若菜つみてん
(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本に依る)