帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの「古今和歌集」 巻第一 春歌上(22)春日野の若菜つみにや白妙の

2016-09-18 18:52:09 | 古典

               


                            帯とけの「古今和歌集」

                   ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――


  
「古今和歌集」の歌を、原点に帰って、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成に歌論と言語観を学んで聞き直せば、隠れていた歌の「心におかしきところ」が顕れる。それは、言葉では述べ難いことなので、歌から直接心に伝わるよう紐解き明かす。


 「古今和歌集」巻第一 春歌上
22

 

歌たてまつれと仰せられし時、よみて奉れる   貫 之

かすが野のわかなつみにや白たへの  袖ふりはへて人の行くらん

     醍醐天皇「貫之よ、春のよき日を題に・歌を詠め」と仰せられた時、詠んで奉った歌

 (春日野の若菜摘みにかな、白妙の袖振り、栄えて・映えて、人が行くのだろう・今頃……春の微かなひら野のせいかな、白絶えの身の端、振り、延えて、男が逝くのだろう)

 

 

歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る

「かすがの…春日野…若い男女が若菜摘みに集う所…年頃となった男女の、言わば野外婚活パーティーの場…微かの…山ばのないひら野」「わかなつみ…若菜摘み…若女娶り…若汝摘み」「にや…でかな…にやあらむ…であろうか」「白たへ…白栲…白妙…白絶え…おとこの果て」「袖…端…衣のそで…心の端…身の端」「衣…言の心は心身」「ふり…振り…降り」「はへ…栄え…映え…延え…のびて」「人…人々…男」「行く…ゆく…逝く」「らん…今、見えていない所のことを推量する意を表す…原因・理由を推量する意を表す」

 

喜び勇んでことさら袖振りながら、春日野へ行く若者たちの様子を想像した。――歌の清げな姿。

若い男の、初めて逢い合うありさまを推量した。おとこのどうしょうもないさが、おとこの本性。――歌の心におかしきところ。

 

貫之が批判した文屋康秀の春の日の光にあたる我なれど かしらのゆきとなるぞわびしきという歌と、何処がどのように違うのだろうか、「心におかしきところ」が聞こえれば、比較検討できるだろう。あえて、やってしまおう。康秀の歌は、初老の男の風情につけた、おとろえたおとこの白絶えのありさまの独白。片や、貫之の歌は、若者たちの喜び勇んで行く想像的風情につけた、若きおとこの、最初の白絶えのありさまの想像的客観的描写。


 (古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本に依る)