帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの枕草子〔二百六十二〕指貫は

2011-12-26 00:43:36 | 古典

  



                                             帯とけの枕草子〔二百六十二〕指貫は



 言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。



 清少納言枕草子〔二百六十二〕さしぬきは


 文の清げな姿

 指貫は、紫の濃い色、萌黄。夏は二藍、とっても暑いころ、夏虫の色しているのも涼しそうである。


 原文

 さしぬきは、むらさきのこき、もゑぎ、なつはふたあひ、いとあつきころ、なつむしのいろしたるもすゞしげなり。


 心におかしきところ

 さし抜きは、群咲きの濃い、燃え気。夏は二合い、とっても熱いころ、なづむ士の気色しているのも、心に吹く風涼しげである。


 言の戯れと言の心。

 「さしぬき…指貫…袴の一種…差し抜き…ものの行為」「むらさき…紫…斑咲き…群咲き」「咲く…おとこ花さく」「もえぎ…萌黄(うすみどり色)…燃え木…燃え気」「ふたあひ…ふたあゐ…二藍(紅と藍の紫色)…二合い(暑いときは心寒いがこれくらい)」「合…和合(三和は良し)」「あつき…暑き…熱き…情熱のもえ盛り」「なつむし…夏虫…(夏虫は色々いるが)蛍…ほたる…ほ垂る…なづむし…なずむ士…停滞する男…泥む子…ゆきわずらう子の君」「ほ…お…ぬきんでたもの…おとこ」「すずしげ…涼しそう…涼しい風が心に吹く気分」。



 言の戯れを知りましょう。すべて言は多様な意味がある。それをこれかと心得るのは「聞き耳」。古歌や古文のおかしさは、作者とほぼ「聞き耳」を同じくする人にだけわかる。

 「としのうちに春はきにけり」や「春はあけぼの」の春を季節の春と決めつけ、凝り固められたときから、古今和歌集も枕草子も「心におかしきところ」が聞こえなくなった。「はる」は、季節の春、晴る、青春、春情、張るもの、……、かもしれないものを


 伝授 清原のおうな

 聞書 かき人知らず (2015・10月、改定しました)

 
原文は、岩波書店 新 日本古典文学大系 枕草子による。


帯とけの枕草子〔二百六十一〕歌は風俗

2011-12-24 00:02:17 | 古典

  



                                          帯とけの枕草子〔二百六十一〕歌は風俗



 言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。



 清少納言枕草子〔二百六十一〕うたはふぞく


 文の清げな姿

 歌は、風俗歌、中でも「杉立てる門」。神楽歌もおもしろい。今様歌は長くて癖がある。


 原文

 うたは、ふぞく。中にも、すぎたてるかど。かぐらうたもおかし。いまやううたは、ながうてくせづいたり。


 心におかしきところ

 歌は風俗、中でも「好きたてる門」。神楽歌もおもしろい。今様歌は長くて癖がある。



 風俗歌の「心におかしきところ」を聞きましょう。

 『梁塵秘抄』 巻第二(日本古典文学全集 小学館)に収められてある歌より。

 こいしくは とうとうおはせ わがやどは やまとなる みわのやまもと すぎたてるかど

 (恋しくば、はやくはやくいらっしゃい、わが宿は、大和なる三輪の山もと、杉立っている門……乞いし求めくるならば、はやくはやく感極まらせて、わがや門は大いなる和らぎの途、三和の山ばのふもと、好きはじめている門よ)。


 「おはせ…いらっしゃい…追わせ…老わせ…負わせ…極まらせ…感極まらせ」「やど…宿…や門…女」「やまと…大和…大いなる和らぎ…山ばの途中」「みわ…三輪…三和…三度の和合」「すぎたてる…杉が立っている…好きたてる…好きになり始めている…好きが高まっている」「かど…と…門…おんな」。

 ついでに、もう一首、

 わが恋は おととひみえず きのふこず けふおとづれなくば あすのつれづれ いかにせん

 (わが恋は、一昨日見えず、昨日も来ず、君、今日訪れなければ、明日のつれづれなる間、如何すればいいの……わが恋よ、あゝ、お門、訪い見えず、きの夫来ず、京おとずれなくては、明くる日のつれづれ、どうすりゃいいのさ)。


 「恋…こひ…乞い…願い望む…求む」「は…特に取り立てていう意を表す…感嘆・詠嘆の意を表す」「お…男…おとこ」「と…門…女」「み…身…見…覯…まぐあい」「き…木…男木」「けふ…今日…京…山の頂上…山ばの極み」「つれづれ…徒然…心満たされず、することもない」。


 風俗歌も、「およそ歌は、心深く姿清げに心におかしきところあるを優れたりというべし」という藤原公任に学び、歌の言葉は「浮言綺語の戯れには似たれども、ことの深き旨も顕れる」という藤原俊成に学べば、このように聞こえる。
 歌が「おかし」という清少納言に同感できるでしょう


 伝授 清原のおうな

 聞書 かき人知らず (2015・10月、改定しました)

 
 原文は、岩波書店 新 日本古典文学大系 枕草子による。


帯とけの枕草子〔二百六十〕尊きこと

2011-12-23 00:03:39 | 古典

  



                    帯とけの枕草子〔二百六十〕尊きこと


 言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。


 
 清少納言枕草子〔二百六十〕たうときこと


 文の清げな姿

 尊き言、九条の錫杖経、念仏の回向文。


 原文

 たうときこと、九でうのさく杖、念仏のゑかう。


 心におかしきところ

 多太きこと、九情の咲く杖、接取不捨。

 (男の尊き事、多太きこと、九情の咲く枝、接して見捨て給わぬ)。

 
 言の戯れと言の心。

 「たうとき…たふとき…尊き…優れて価値ある…多太き」「こと…言…事」「九でうのさく杖…九条の錫杖…錫杖鳴らして唱える九条からなる経文…九情の咲く情…九情の咲く杖」「九…八(多い)余り一…十分ではないが多い数」「さく…咲く…おとこ花さく」「杖…じゃう…情…つえ…頼る…頼む…身の枝…おとこ」「念仏のゑかう…観無量寿経の回向文、その末は『摂取不捨』…聞き耳異なると、接して見捨てない」「摂…仏が衆生を救いおさめ給う…接…まじわる…交接…接合」。


 第三章の「同じ言なれども、聞き耳異なるもの、法師の言葉、男の言葉、女の言葉」とは、それぞれ一つの言葉に多様な意味があるということ。

 枕草子は、それを心得るている、おとなの女の読物。
 

 伝授 清原のおうな

 聞書 かき人知らず (2015・10月、改定しました)


 原文は、岩波書店 新 日本古典文学大系 枕草子による。


帯とけの枕草子〔二百五十九〕関白殿(その三)

2011-12-22 00:08:33 | 古典

  

                                              帯とけの枕草子
〔二百五十九〕関白殿その三



  言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。



 清少納言枕草子〔二百五十九〕関白どのその三


 宮が積善寺に・お着きになられたところ、大門のもとで、高麗、唐土の音楽がして、獅子、狛犬が踊り舞い、乱声(笛)の音、鼓の音にほうぜんとして、これは生きて仏の国にでも来たのでしょうか、身も音も・空に響きあがるように思える。

門内に入ると、色々の錦の幕を張った屋に、御簾を青く掛け渡し、数々の幔幕を引いてあるのなど、すべてすべて、とてもこの世と思えない。車を・桟敷にさし寄せると、また、この殿(伊周、隆家)たちがお立ちになられて、「とうおりよ(すみやかに降りよ)」とおっしゃる。乗った所でもそうだったが、いますこしあかう、けそうなるに(今はもう少し明るくはっきり見えるので…今は少し赤みて怪相なので)、つくろひそへたりつるかみ(繕い添えてある髪…取り繕い添えた付髪)も唐衣の中で、ふくだみ(ぼさぼさとなって)、変になっているだろう、色の黒さ衣の赤さとさえ見わけられないほどなのが、とってもわびしかったので、すぐに降りることができない。「まづ、しりなるこそは(先ず、後のお方を…先に、お尻の方をば)」と言うときに、それ(後の車に乗っている女房…憎んでいる女)も同じ心でしょうか、「しぞかせ給へ、かたじけなし(退いてくださいませ、介添えはもったいないですわ…その女退かせてください、片地毛無し)」などと言う。「はぢ給か(恥ずかしがっていらっしゃるのかな…恥を賜っているのか)」などと笑って、私が・やっとのことで、おりぬれば(車を降りたので…争いをおりたので)、お二人が寄って来られて、「むねたかなどにみせで、かくしておろせと、宮のおほせらるればきたるに、思ひくまなく(少納言を・胸張ったふうに見せないで、隠して降ろせと宮が仰せられたので来たのに、ひとの気も知らず)」と言って、ひきおろしてゐてまゐり給(引きずり降ろして率きつれて参られる)。いとかたじけなし(そのようにおっしゃっていただいたとは・ほんとうにもったいない…まさに片地毛無し)。参ったところ、初めに降りた人、もの見えない端に八人ばかり居たことよ。

宮は一尺余り二尺ばかりの長押の上におられる。「こゝに、たちかくしてゐてまゐりたり(ここに、立ち隠して率きつれて参りました)」と申されると、「いづら(どちら…出るわ)」といって、御几帳のこちら側にお出でになられた。まだ御裳、唐の御衣をお召しになっておられる。とってもすばらしい、紅の御衣の良ろしさよ。中に唐綾の柳の御衣、えび染の五重襲の織物に赤色の唐の御衣、地摺の唐の薄物に、象眼重ねてある御裳などをお召しになられて、その色などは、並のものに似ているはずもない。「我をばいかゞみる(我をば何だと思ってるのか…わが衣をどう見る)」と仰せられる。「いみじうなんさぶらひつる(おそれおおいとです、お仕えいたしております…とってもすばらしゅうございます)」などというのも、ことにいでては世のつねにのみこそ(言葉に出てはただ普通のことなのだ・お叱りを賜っていると聞こえるでしょう)。「ひさしゅうやありつる。それは、大夫の院の御ともにきて、人に見えぬるおなじしたがさねながらあらば、ひとわろしと思ひなんとて、ことしたがさねぬはせ給ひけるほどに、をそきなりけり。いとすきたまへりな(久しぶりではないか・十日あまり会ってない。久しいのは、道長が女院の御供をしたときに着ていて人々が見た同じ下襲がそのままであれば、人が悪いと思うであろうということで、今日の為に別の下襲を縫わせたときに、仕上がるのが遅かったの・女たちには嫌われているらしいよ。彼は・そなたも・とっても風流・好き者でいらっしゃるよ)」といって、わらはせ給ふ(お笑いになられる)。いとあきらかにはれたる所は、いますこしぞけざやかにめでたき(たいそう明るく、晴れがましい所では一段と際立って愛でたい……とっても聡明で、表向きにはさらによりはっきりしていらっしやって愛でたい・お方)。御額の髪をお上げになられている飾りかんざしに、分け目の御髪がいささか寄って目立って見えておられる様子さえよ。きこえんかたなき(申し上げようもない・お姿よ)。

 三尺の御几帳一双を差し違えて、こちらの隔てにして、その後ろに畳一ひらを長いままに縁を端にして、長押の上に敷いて、「中納言の君」というのは殿(道隆)の御叔父の右兵衛の督忠君と申し上げる方の御娘。「宰相の君」は富の小路の右の大臣の御孫。その二人が上に居て、宮のお世話をしておられる。ご覧になられて、「宰相はあなたにいきて、人どものゐたるところにてみよ(宰相はあちらに行って、女房たちの居る所で見なさい)」と仰せになられると、心得て宰相の君、「こゝにて、三人はいとよく見侍りぬべし(少納言が・ここですと、お三人はたいそうよく見えるでございましょう…宮の両脇に問題児二人、よく見えましょう)」と申されると、「さば、いれ(それでは入れ・少納言)」と召し上げられるのを、下に居る人々(女房たち)は、「殿上ゆるさるゝうどねりなめり(殿上許される内舎人なんでしょう…あの女・殿上ゆるされた雑役夫でしょう)」と笑うと、「こは、わらはせむと思給つるか(これは、笑わせようと思われたのでございましょうか…これは、笑奉仕でしょうか)」と言えば、「むまさゑのほどこそ(馬の鼻引く男の程度ですよ…馬の才の程度だからよ)」などと言っているが、ここに上って居て見るのは、いとおもだゝし(とっても晴れがましい)。

このようなことを自ら言うのは、吹き語り(ほら吹き)であり、それに君(宮)の御為にも軽々しゅう聞こえる、この程度の、わたくし如き・人を、このようにお思いになっただろうかなど、たまたま物事を知り世の中を批判したりする人には、気にくわないでしょうよ。立派な御事に関わってもったいないけれど、事実で有ることはさてどうでしょうか、まことに身の程に過ぎたことが、あったにちがいないでしょう。

 

女院の御桟敷、所々の御桟敷を見わたしている、愛でたい。殿の御前(道隆)、居られる御前より女院の御桟敷に参られて、しばしあって、ここに参られた。大納言お二人(伊周と山の井)、三位の中将は陣の任務についておられるままに調度(弓矢入れなど)背負ってたいそうお似合いで、すばらしくていらっしゃる。殿上人、四位、五位もことごとしく連なって、御供として並んでいらっしゃる。

殿が・こちらにお入りになられてご覧になられるときに、みな御裳、御唐衣、御匣殿までも着ておられる。殿の上(道隆妻、高内侍)は裳の上に小袿(女官たちの装束)を着ておられる。「ゑにかいたるやうなる御さまどもかな。いま一まえは、けふは人々しかめるは(絵に描いたようなご様子かな、いま一人・わが妻は、今日は女官、女房のようなようすだなあ)」と申される。

 「三位の君、宮の御もぬがせ給へ。この中のすくんには、わが君こそおはしませ、御さじきの前にぢん屋すゑさせ給へる、おぼろげのことかは(三位の内侍よ・我妻よ、宮の御裳を脱がせ給え、この中の主君はわが宮でこそいらっしゃいます。女院の御桟敷の前に陣屋据えさせ給える、並のことか、これが)」といって、泣きだされる。もっともなことと見えて、みな人が涙ぐむときに、わが赤色の桜の五つ重ねの衣をご覧になって、「ほうふくの一つたらざりつるを、にはかにまどひしつるに、これをこそかり申べかりけれ。さらずはもし、又さようの物をとりしめれたるか(法服が一つ足らなかったのを、にわかなことでと惑うていたのに、それを、借りるべきだったな。それとも、さようなものを取りあつめ、ひとり占めにしているのか)」とおっしゃるので、大納言殿(伊周)、少し引き下がっておられたが、お聞きになって、「せいそうづのにやあらん(弟の清僧都の・清原僧都の、法服ではありませんか)」とおっしゃる。一言として愛でたくない言葉はないことよ。

僧都の君、赤色の薄物の御衣、紫の袈裟、たいそう薄色の御衣と指貫を着ておられて、頭が青く美しく、地蔵菩薩のようで、女房たちに交じりあっておられるのも、いとをかし(とってもおかしい)。「僧綱の中に威儀を正してしていらっしらないで、見苦しう女房の中に」などと、わらふ(笑う)。

大納言殿の御桟敷より、松君(三歳ぐらい)をお連れして来る。えび染の織物の直衣、濃い綾の光沢を出してある紅梅の織物など着ておられる。御供に例の四位、五位、たいそう多くいる。女房の中に抱き入れてさしあげたところ、何事が誤りなのか、泣きわめいておられるのさえ、いとはえばえし(たいそうあざやか…とってもおみごとよ)。


 「いま一まえ…道隆の妻高内侍…まことしき文者にて、御前の作文には漢文を奉られしはとよ、少々の男には優りてこそきこえ侍しか、と『大鏡』は言う。男勝りの風変わりなお方」「法服…わが赤い衣…妻を皮肉った返す刀で、衣を法服とは、そなたは何を着ても法服にしか見えないということ。いずれも人々をどきりと緊張させる、さるがう言のあざけりわざ。緩和されない気まずい場に、大納言が即座に用意したのは、若年の弟の僧都の君と無邪気な孫、たぶん道隆が無条件で愛するもの。僧都の様子に人々の目を向けさせ、松君の泣きののしりは、思惑とは違ったかもしれないが、その場の雰囲気を一変させた」「はえばえし…はなやかで見栄えがする…お見事…してやったり」。

 

 事始まって、一切経を蓮の花の赤い一花筒に入れて、僧俗、上達部、殿上人、地下、六位も、だれもが持って続いている。たいそう尊い。導師、参って講が始まり、舞など一日中見ているので目もだるく苦しい。

御使に五位の蔵人が参っている。御桟敷の前に胡床(腰掛)を立てて座っている様子など、たいそう愛でたい。

夜になるころ、式部の丞の則理が参った。「やがて夜になれば、宮は内裏に・お入りになられるだろう、供として仕えよとの、主上の・仰せごとをいただきまして」といって、帰りもしない。宮は「まず、帰っていただいてね」とおっしゃるけれど、また、蔵人の弁が参って、殿にもお便りがあるので、ただただ仰せごとによって内裏にお入りになられようとする。

女院の御桟敷より、「ちかのしほかま(千賀の塩釜…近くに居ながら辛いのは親しい人に会えないことよ)」などと言うお便りが参り通う。すばらしい物など交換されるのも愛でたい。こと果てて、女院、お帰りになられる。院司、上達部など、この度は一部の方だけお供としてお仕えになられたのだった。
 
宮は内裏に参られたのも知らず、女房の従者どもは、宮は二条宮にいらっしやったのだろうと、そちらへ皆が行って、待てども待てども(従者たちの姿が)見えないうちに、夜がたいそう更けた。内裏でも宿直用の物を持って来るだろうと待っているのに、とうとう見えなかった。あざやかな衣など身にも付かないのを着て、寒いまま、何か言っては腹立てるけれど言うかいもない。明くる朝来たのを、「どうして、そう気が利かないのよ」などと言っても、のぶる事もいはれたり(述べることももっともだ…まのびした言葉がかえってくる)。

 次の日、(涙雨…おとこ雨)が降っているのを、殿は、「これになん、をのがすくせはみえ侍りぬる。いかゞ御らんずる(これにですね、おのれの宿世は見えました。宮は・いかがご覧になられるか)」と申しあげておられる。御心おごりもことわりなり(御心のご慢心も、絶頂に極まり至ったので・もっともである)。けれども、そのとき愛でたしと拝見した御事の数々も、殿亡き・今の世の御事どもを拝見して比べますと、すべてひとつに申すべきにもあらねば、ものうくて、おほかりしことゞもゝ、みなとゞめつ(すべて同一に愛でたしと申すべきでもないので、何だかつらくて、多くあった事も・言も、みなまで、記すのは・止めました)。


 古歌みちのくのちかのしほかまちかながら からきは人にあはぬなりけり(陸奥の千賀の塩釜、近という名ながら、辛いのは人に近く出会わないことよ……道の奥の千賀の、しほ・男、かま・女、近いのに、つらいのは人に合わないことよ)。
 この歌が引用されると、歌にもとよりある「心にをかしきところ」が伝わる。「あはぬ…出会わない…逢わない…合わない…和合しない…気が合わない」、どのように聞こえるでしょう。女院は国の母、宮にとっては、叔母で姑、強力な味方のはずが、ではなかった。実弟の道長の御味方であられた。
 
「おのがすくせは見え侍りぬる…わが生涯の絶頂のおとこ涙の雨が降ったのだと、わが宿命は見えました」「雨…男雨…涙雨…山ばの絶頂でのおとこの別れの涙」。

積善寺法会の描写を通じて書き残そうとしたのは、行事よりも、人々が交わした言葉に包まれてある人の心。                 
殿はこの法会の一年数カ月後、絶頂期に亡くなった。享年四十三。以降の、宮の御不幸は敢えて書かない。これは、「心ばせ(才覚ある気遣い)」。
この章は、中関白家の道隆も定子皇后も亡くなられた後に記した追憶。追悼文とすれば読みよいでしょう。


伝授 清原のおうな

   聞書 かき人知らず (2015・10月、改定しました)
   
   原文は、岩波書店 新 日本古典文学大系 枕草子による。


帯とけの枕草子〔二百五十九〕関白殿(その二)

2011-12-21 00:15:28 | 古典

  



                                            帯とけの枕草子〔二百五十九〕関白殿その二



  言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。


 清少納言枕草子〔二百五十九〕関白どの


 そうして、二月・八、九日ごろに里へ退出するのを、「いま少し当日に近くなってからにね」などと仰せられるけれど退出した。数日経て、とっても、いつもよりも、のどかに日の照っている昼ごろ、「花の心ひらけざるや、いかに、いかに(花の心は開きませんか、どうですか、どうですか…草花の心とけて・お花の心は開きませんか、開きましたか、どうですか)」と、おっしやっているというので、「秋はまだしく侍れど、よにここのたびのぼる心ちなんし侍(秋はまだ・期はまだ熟しておりませんが、世に九度、御前に参上する心地がですね、いたしております…まだ飽き満ち足りませんが、お花は心開き、夜に九度、山ばの頂きへ・のぼる心地がですね、いたしております)」と、使者に伝えて・お聞かせした。


  白氏文集十二、「九月西風興、月冷霜華凝、思君秋夜長、一夜魂九升。二月東風来、草拆花心開、思君春日遅、一日腸九廻(九月、西風興る、月冷え霜華凝固、君を思い秋の夜長し、一夜に魂九度昇る。二月、東風来り、草ほころびて花心開く、君を思い春の日遅々、一日腹わた九たびめぐる……ながつき、飽き風おこる、月人おとこ冷え霜のお花凝縮、君を思い秋の夜長し、一夜魂九たびのぼる。きさらぎ、心に春風吹けば、女とけて、おとこ花心を開く、君を思い春の日ゆるゆる、一日はらわた九たびものの山ばをめぐる)」。男の言葉も聞き耳異なるもの。「月…壮士…おとこ」「草…女」「花…木の花…おとこ花」「花の心…男(夫)  の心」「升…昇…浮天に昇る…山ばに登る」「九…十分ではないが多い回数」「腸…心…はらわた…心の底」「廻…めぐる…くりかえす」。

 
 二条宮に宮が・退出された夜(二月一日の事)、車の順序もなく、先に先にと女房たちの乗り騒ぐのが気にいらないので、同じ思いの人と、やはり、この車に乗る様子がたいそう騒がしく祭りの斎宮御かえりの日のように、先を争って倒れてしまいそうに惑う様子がたいそう見苦しいので、ただそれなら、乗るべき車が無くて参ることができなければ、おのずからお聞きになられて、車を賜わせもされるでしょうと言い合わせて立っている。その前より押し合いへしあいして惑い出て、女房たち乗り果てて、「かうこ(こうして来い…これで最後)」というので、「まだし、ここに(まだよ、此処に・残って居る)」と言ったものだから、宮の司が寄って来て、「たれたれおはするぞ(誰々がいらっしゃるのか……だらだらしていらっしやるよ)」と、とひきゝて(詰問して)、「まったく不審なことですよ、今はみな乗り終えておられるだろうとですね思っていました。これはどうしてこのようにお遅れになられたのです。今は、得選(選ばれた女官)を乗せようとしていたのに、珍しいことですな」などと驚いて、車を寄せるので、「それなら先に、その御心ざしあらんを(そのお心に思うのを…その思いおありらしい人を)ですね、お乗せなさいませ。私共は次ぎに」と言う声を聞いて、「変にひどく意地悪くていらっしることよ」などと言うので、その車に乗った。次ぎに来る車はまさに御厨子所(宮中の食事を司る所)の車だったので、灯火もたいそう暗いのを笑って、二条の宮に参り着いたのだった。

 御輿は早くに入っておられて、調度など整えさせていらっしゃった。「(少納言を)ここに呼べ」とおっしゃったそうで、「どこ、どこ」と右京、小左近ら若い女房たちが待っていて、参る人々ごとに見たけれども居なかったのだ。降りるにしたがって、四人づつ御前に参り集って控えているときに、「怪しい、いないのか、どうしたの」とおっしやっていたのも知らず、ある限り降り果てて、かろうじて見つけられて、「こんなに仰せになっておられますのに、遅いのは」と言って私どもを引き連れて参るときに見れば、いつの間に、このように数年もおられるお住まいのようにして、すでにいらっしゃるのだろうと、をかし(すばらしい…おかしい)。

 「どうしてこう、居ないのかと尋ねるまでに、姿見せなかったの」と仰せられるのに、あれこれでと私は申さないので、共に乗って来た人「まったくどうしょうにも、最果ての車に乗ってございます人は、どうして早く参れるでしょう、それも、御厨子(女官)が哀れだと思って、譲ってくれたのでございます。暗かったし、わびしかったです」と詫び詫び申し上げると、「行事するものゝいとあしきなり。又などかは、心しらざらん人こそはつつまめ、右衛門などいはむかし(行事の次第を手配する者が悪いのです。それにどうして、事情を知らない人は包み隠すでしょうが、右衛門などは・不手際があれば、言うものでしょう・どうして言わないの)」と仰せられる。右衛門「されど、いかでかははしりさいだち侍らん(そうですが。この人たち・どうして走って真っ先に参ろうとしないのでしょう)」などと言う。傍らに居る人は私どもを憎いと思って聞いているようだ。宮「さまあしうて、たかうのりたりとも、かしこかるべきことかは。さだめたらんさまのやむごとなからんこそよからめ(様子醜く、高貴に・違えて、乗ったとしても、賢いはずがあろうか。定めてある様式の貴いのが良いことでしょう)」とおっしやって、そうしたげにお思いになっている。

 「おりはべるほどのいとまちどをに、くるしければにや(先を争うのは・降りるときが待ち遠しくて苦しいからでごさいましょうか…くるまが後ですと・お降りになる間が待ちどうしくて、女は・苦しいからでしょうか)」とは、私が・申し直す。

 
 
お経の事で、明日、積善寺御堂に・お渡りになられるということで、今宵、里より・参上した。南の院の北面で、覗いたところ、数ある高坏に火を灯して、二人、三人、三、四人と思いを同じくする人が、屏風を引き立てているのもあり、几帳などで隔てているのもある。また、そうせずに、集まって居て、衣など綴じ重ね、裳の腰(飾り紐)さし、化粧するさまはいまさらいうまでもない。かみなどいふもの(髪など結う者…髪などと言う物)、明日より後はこの世に在り難いのだろかと見える扱いぶりである。とらの時になんわたらせ給べかなる。などか、いままでまゐり給はざりつる。あふぎもたせて、もとめきこえつる人ありつ(午前四時ごろにですね、宮は・お渡りになられるようですよ。どうして今まで参られなかったの。扇・逢う気、を持って、何か求めておっしゃっている男がいました)」と告げる。そして、まことに寅の時かと装束整えていると、夜も明け果て日もさし出た。(嘘ごとだった。やはり憎まれているらしい)。

 西の対の唐廂にさし寄せて、車に乗るべしということで、渡殿へ女房全員行く間に、まだ初々しい今参りなどは慎ましい様子をしているときに、西の対に殿がお住まいになっておられるので宮もそこに居られて、先ず女房たちを車に乗せられるのをご覧になられるということで、御簾の内に、宮、淑景舎、三、四の君、殿の上、その御弟三人、立ち並んでおられる。車の左右に、大納言殿(伊周)と三位の中将(隆家)、お二人で簾をうちあげ、下簾をひきあけて女房たちを乗せられる。うち群れてさえ居れば、少しは隠れ所もあるのに、四人づつ書き立てたものに従って、「それ、それ」と呼びだして乗せられるので、歩み出す心地よ、まことに情けなくて、「あらわである」というのは世の常のことで・それどころではない。御簾の内に、その数ある御目の中に、宮が見苦しいとご覧になられるほど、それより情けないことはない。汗がでてくるので、つくろひたてたるかみなども、みなあがりやしたらんとおぼゆ(繕いたてた髪なども皆、ばらばらに離れるのではないかと思える)。かろうじて過ぎて行くと、車のもとで気後れするほどすばらしい御様子で、ほほ笑んで見ておられるのも現実ではない。それでも、倒れないでそこまで行ったのは、かしこきかおもなきか思ひたどらるれ(しっかりしているのか厚かましいのか思いはめぐる…賢い行いだったか臆面もなかったかと反省している)。


 「かうこ…斯う来…このように来い(命令形)…斯う期…かくして期」「こ…ご…期…期限…末期…最後」「車…しゃ…者…もの…おとこ…くる間」「(髪が)あがる…上がる…あかる…ばらばらになる…離れる…付け髪がはずれる」「思ひたどらるれ…思いはめぐる…反省している…様式を定め、名を呼ばれて乗ることになったのは、先を争って乗ったことをばらしてしまった結果で、おおかたの女房には憎まれ、たいへんなことになったと反省している」。

 
 みな乗り果てたので、ひき出して、二条の大路で、車の長柄を・しぢ(台)に掛けて、祭り見物する車のように並んで駐車している。いとおかし(とってもおかしい)。人もそのように見るだろうと、心ときめきせらる(心がわくわくしてくる)。四位、五位、六位の人々たいそう多く出入りし、車のもとに来て、取り繕いものなど言っている中に、明順の朝臣(宮の伯父)の心地は空を仰ぎ胸を反らしている(手順、次第は、宮のご意向とこの方の考えでしょう)。


 先ず、女院のお迎えに、殿をはじめたてまつりて、殿上人、地下の人などもみな参った。それ(女院ご一行)がお移りなられて後に、宮はお出になられるだろうということなので、たいそう待ち遠しいと思っている間に、日がさし昇ってからいらっしゃる。御車(女院)と共に十四、五台は尼の車。一の御車は唐車である、それにつづく尼の車の後ろ口より水晶の数珠、薄墨の裳、袈裟、衣、とってもすばらしくて、簾はあげず、下簾も薄色の裾が少し濃い。次に女院つき女房の車十台、桜の唐衣、薄色の裳、濃い衣、香染、薄色の表衣など、いみじうなまめかし(たいそう鮮やかである)。日はとってもうららかだけれど、空は緑にかすんでいるときに、女房の装束が艶めきあって、たいそうな織物、色とりどりの唐衣などにより、艶かしく趣のあること限りなし。
関白殿、その次々の殿たち、いらっしゃる限り、かしずいて、女院ご一行をお渡ししてさしあげられるご様子、とっても愛でたい。これをまず拝見させていただき、愛でさわぐ。われらが・この車二十台が並べてあるのも、またをかしと見るらんかし(またすばらしいと、人々は・見るでしょうよ)。

 宮は・いつお出になられるのだろうと、お待ち申しあげているのに、とっても久しい。どうなっているのだろうと、じれったく思っていると、やっと、采女八人を馬に乗せて、ひき出てくる。青裾濃の裳、裙帯、領布などが風に吹きやられている、いとをかし(とっても趣がある)。「ふせ」という采女は、典薬の頭の重雅が情けを交わしている人であった。えび染めの織物(禁色の織物)の指貫をはいていたので、「重雅は色ゆるされにけり(禁色を許されたことよ…色事許されたのだな)」など、山の井の大納言(伊周らの異母兄弟)が、わらひ給ふ(お笑いになられる)。
 女房たちみな乗り、連なって駐車しているときに、今ぞ、御輿がお出ましになる。愛でたいと拝見していた、女院の・御有様には、これはやはり、比べるべきではないことよ。朝日がすっかり昇るときに、なぎの花(御輿の金属製の飾り)がたいそう際立って輝いて、御輿の帷子(絹製の布)の色艶の清らかささえ、いみじき(たいそう・すばらしい)。御綱を張っておでましになる。御輿の帷子が揺れているところは、まことに御輿の頭の毛などと人が言う、決してそら言ではない。さてのちはかみあしからん人もかこちつべし(そして見た後は、私のような・髪の悪い人が愚痴り嘆くのでしょう)。御輿は驚くほど威厳に満ちて、やはりどうして、このような御方に馴れ馴れしくお仕えしているのだろうかと、我が身も立派に思えてくる。御輿が過ぎて行かれる間に、女房の車のしち(長柄台)を一斉に外して(礼して)、また牛どもにそれをただ掛けに掛けて、御輿の尻に続いていく心地、愛でたく趣ある様子、いふかたもなし(言いようも無い)。


 原文は、岩波書店 新 日本古典文学大系 枕草子による。