東京ステーションギャラリー「川端康成コレクションー伝統とモダニズム」
2016.4.23-6.19
一点出ている渡辺崋山(1793- 1841)の絵が見たくて、行ってきました。
渡辺崋山「桃花山禽双孔雀図」1827画像はこちらから
出光美術館で「??捉魚図(ろじそくぎょず)」を見て以来気になっていましたが、これも薄墨で狂いのない線。やはり理知的な感じがします。
一見、桃の花も美しい孔雀の花鳥図。でも、よくよく見ると、安穏とはしていられない、一部攻撃的というか、少しの残虐性が垣間見た気が。
孔雀は二羽とも、目つきが鋭く、気づくと一羽は捕食中・・(しかも私の嫌いなアイツを・・直視できず)。生々しい描写。弱肉強食の当然のことなのかもしれませんが。
三羽の小鳥も何かを狙っているかのような目つき。松の古木にあいた、とぐろを巻くような穴はややもすると不気味さが。
反対に、桃の花は美しく、薄い緑の葉も端正にすっとひかれていて見惚れます。でもふと、桃の紅色が赤すぎる気もしてきたり。
??捉魚図にも不穏なものが垣間見えましたが、あれは自害する前年。この絵が描かれたのは、その14年前、34歳。この前年に、藩の跡継ぎをめぐる勢力争いに敗れ、自暴自棄で酒浸りだったようですが、この絵にもなにか心情が隠されているんでしょうか。
川端康成は、どうしてこれを買ったんでしょう。この絵には特にコメントは出ていませんでした。
川端のコレクション。「知識も理屈もなく、私はただ見ている」と。絵に関しては一切書かないことにしている、というけれど、わずかに添えられた川端の言葉はとても豊かな感じがしました。
古賀春江も、約10点。親交が厚かったそうです。
「そこに在る」1933は、友人が「気分が明るむ」からと送ってくれたのだそう。
「ほのぼのとむなしい拡がりを感じる(略)」「(略)おさなごころの驚きの鮮麗な夢である」と、川端の言葉。なるほどです。
「菊花園(制作年不詳)」「藁塚のある風景(制作年不詳)」「孔雀1932」は、抽象画ではないのですが、心に残りました。形に遊ぶ、そして新鮮な発見と驚き。そこで菊も藁も孔雀の丸い模様もぺたりと張り付くように、一瞬動きを止めたかのよう。
初めて知った名で、気になった絵が、村上肥出夫の「キャナル・グランデ」1971と「カモメ」1970。
絵の具が丘陵くらいに盛り上がり、うねり。色彩も迫ってくるというか。浅井閑右衛門をちょっと思い出しました。計算や、うまく描かなきゃ、とかいったものとは無縁な感じがしました。
絵を学ぶ機会はなく、路上生活をしたことも。路上で絵を売っていたところが目に留まり、1963年に全国で個展。「放浪の天才画家」と一躍脚光を浴びたそうです。(絵ハガキはありませんでしたが、ほかの画像こちらの方々が紹介されています)
http://enpitsu01.exblog.jp/24989178/ 、
http://www.nagaragawagarou.com/exhibitions/murakami-hideo.html
アトリエと自宅の相次ぐ火災の災難のせいか、精神的に病むことになり、現在も入院中のようです。他の絵も見てどう感じるかわかりませんが、たまに小さな個展もありそうですので、いつかの機会を待ちたいと思います。
川端コレクションの中で一番心に残ったのが、「土偶≪女子≫縄文時代紀元前3-2世紀」 と、「埴輪≪乙女頭部≫古墳時代5-6世紀」。
なんともいえない気持ちに包まれました。後ろや横から見ても、どこから見ても、手で包みたくなるような絶妙さ。丸い形があたたかいというか、宇宙的というか、太古からの悠久というか。大げさな言葉を連ねてしまいましたが、うまく言えず。高山辰夫の卵の静物画を見たときのような感じに似ているかも。後頭部のあたりは、赤ちゃんの頭の小玉スイカみたいなかわいらしさもあります。喜怒哀楽を超越したこの眼にも、心の壁も解けて、その眼の穴の奥に広がるところに入りそうな。
いつも自分が何に感動しているのかその正体をうまく言えず把握できず、言葉を探して四苦八苦してそれでもピタッと言い表せないで何年も抱えていますが、川端の言葉はやっぱりすごい。「いろいろの感情がわいて、尽きることなく(略)」「どの角度から見てもわざとらしさや破たんがない(略)」「調和のまわりにあたたかい拡がりがある」と。そうなんです、コレコレこの感じ。
「いろいろの感情がわいて尽きることなく」という実感は、10点あった黒田辰秋(1904-82)の工芸品でも感じました。
特に「拭漆栗楕円盆1965」の表面は特に、上の埴輪さんと同じくらいにその広がる世界に吸い込まれそう。山水画のような、大きな波のような。宇宙のような太古のような、後はこれも埴輪と同じような言葉になります。
ハガキはなかったですが、同じ拭漆の作品が、一昨年の横浜そごうのチラシに。
お盆とは模様が違いますが、これも見たら、やはり同じような気持ちになりそうです。
近代美術館工芸館では、螺鈿の作品にひきこまれたものです。
黒田辰秋「耀貝螺鈿飾箱」1974
川端康成の言う通り、「いろいろの感情がわいて、尽きることなく」。
他にも「乾漆梅花盆」「拭漆紙刀」「拭漆栃手箱」など。すべて実用のための、そして美しい品々ばかりでした。
他の作家も、ロダン「女の手」、猪熊源一郎「女(仮題)」、岩崎勝平「島娘(式根島にてスケッチ)」、熊谷守一「蟻」、アフガニスタンの仏頭(3-5世紀)、鎌倉時代の「聖徳太子立像」、李朝の「蓮池花鳥図」、尾形光琳「松図」、浦上玉堂「凍雲篩雪図」、草間彌生などが、心に残りました。
コレクションだけでなく、手紙や挿絵、装丁を通して、川端康成の生い立ちからその後の初恋、広い交友関係についても知ることのできる展示でした。
突然別れを告げられて、その後の作品に影響を与えたという伊藤初枝さんからの10通の手紙は、興味深いものがありました。生い立ちやこの恋の経験が川端の女性像に影響しているように感じますので、本を読んでみたくなります。。
川端の本の装丁も、さすがの画家によるものばかりですが、中でも「千羽鶴」の本の挿絵と装丁はすごい。自殺した恋人(父の愛人だった。そしてその娘とも恋人に。)を象徴する、信楽茶碗「志野」の挿絵を杉山寧。装丁と表紙見返しの鶴は小林古径。どちらも多くを控え、淡々とした絵。だからこそいろいろ考えてしまう原画でした。
約10巻の全集、安田靫彦の装丁が素敵でした。
坂口安吾、三島由紀夫、谷崎潤一郎など広い交流をものがたる手紙も展示されていましたが、女性では、岡本かの子、林芙美子、瀬戸内寂聴の手紙が。特に岡本かの子とは親しく交流したようです。どの作家も強くしなやかな女性のイメージですが、これは三歳で母を亡くし、幼い間に父も姉も亡くし、祖父と二人で暮らし、その祖父も15歳の時になくすという、生い立ちも関係するでしょうか。
川端康成は賑やかなタイプではないそうですが、多くの人に愛され慕われていたようです。
コレクションは特定のジャンルもないというけれど、終わってみれば、華美な絵や、激しい絵はなかったようにも感じました。じっと長く見てしまう絵が多かったようにも。東山魁夷の絵も多かったですが、静かに安らいでいたのでしょうか。川端康成にとって絵や工芸品は評論めいたことを書くよりも、作品とともにただ長い時間を共有する、お互い多弁でなくとも語り合う。そんな存在だったのでしょうか。
ではふと自分はなぜ絵を見るのかなと。なんのためでもないのだけれど、たまに、気になる画家と出会い、そうするとほかの絵も見たいと追ってしまう。どうしてこの絵を描いたのか、どんな人だったのかと。「あなたに触れたい」という感じ。なかなかまとめてその画家の絵を見る機会もないので、そうすると何年間もの長い旅のようなことになる。
ストーリーだけではなく、後ろに広がる世界が魅力が尽きなさそうな川端作品。
楽しい展覧会でした。