東京藝術大学大学美術館「いま、被災地からー岩手・宮城・福島の美術と震災復興ー」
第二部は三階から。
震災から五年たった今、知らなかった私に、この展覧会はとても意義の大きいものでした。感想など簡単に書けるものではありませんが、 こんな厚いパンフレットを作って配布してくださったのも、きっと、「多くの人の中にとどめてほしい」という主催者の気持ちなのではと解釈して、写真だけ少し載せます。
・岩手では沿岸部の文化施設に甚大な被害が出た。中でも、陸前高田博物館では二階まで浸水し、六名の職員さん全員が亡くなった。所蔵品の運び出しは7月までできなかったそうです。それから土砂の汚れやカビを落とし、その作業は今も続いているそうです。
陸前高田博物館の二階にあった作品から、修復を終えた猪熊源一郎の作品が展示されていました。
1992年の「顔」のリトグラフ
1952年の「猫と頭」
猪熊源一郎といえば「顔」の絵はよく目にしますが、正直こんなに心に入ってきたのは、この展覧会が初めてです。人ひとりの顔。それぞれの顔。この博物館だけでも六名の亡くなられた職員さんのことが頭に。今回この絵を選んで、ここに持ってこられた学芸員さんたちの顔も。
第一部の展示ですが、伊達市出身の写真家・瀬戸正人の、放射性物質を具象化させた写真が展示されていました。
瀬戸正人(1953-)、上は「セシウム 会津/五色沼」2012 下は「セシウム 福島市」2013
見えない、その気持ち悪さ、空恐ろしさ。
当時、私の住まいも除染対象地域になりました。他の地域の知人の、悪気はない無邪気な言葉にも、複雑な気持ちになったものです。ましてや、この写真や他の展示について、自分の思いすらつかみきれないのです。パンフレットの解説には「震災から五年を経ても福島をめぐる状況は今なお混迷のさなかにある。美術家たちの営みもまた、迷いと戸惑いの途上にあるのだろうか。」と。
三階では、警戒区域に指定された地域の、寺社、学校、資料館に置き去りにされた文化財の救援について、紹介していました。
救出が始まったのは一年以上たってからで、今も個人所有の文化財の救出など続いているそうです。またその救出されたものは一時保管されていますが、今後の取り扱いについてもこれからの議論になるようです。