はなな

二度目の冬眠から覚めました。投稿も復活します。
日本画、水墨画、本、散歩、旅行など自分用の乱文備忘録です。

●東博に初詣2 渡辺省亭・干支ルーム 

2017-01-07 | Art

新年の東博。今年の干支ルームは「祝いの鳥」。鳥とりトリ。

 

去年東博で展示されていた「赤坂離宮花鳥図屏風」の続編(去年の日記はこちらとこちら)があった。

1909年建設の迎賓館の大食堂の七宝焼きの下絵。

今回も渡辺省亭の透明感ある色と、よどみない自由自在な美しい線に見惚れることしきり。

そして構成の妙。鳥だけ、または鳥と草、ひとつか二つの少ない要素に、最大限に効果的な仕事をさせている、というか。

七宝は湊川惣介が製作。

渡辺省亭「千鳥」

楕円のむこうに広がる広い空。斜め上へのベクトル。省亭の構成は、明晰でおしゃれ。

 

渡辺省亭「麦に雀」

こちらは動きが四方八方へ。世界が画面の外にも広がっていた。

 

今回も、この赤坂離宮のコンペには選ばれなかった荒木寛畝も展示されていた。

省亭は外へ広がる感じだけれど、寛畝の絵は、中にぎゅっと納まっている感じ。鳥の風格ゆえかな。寛畝の鳥への入れ込み方は半端ない。

そして省亭は鳥も草も主従なくみんな大事でみんなで作り上げているのだけど、寛畝は鳥が主役。存在感が凄い。

荒木寛畝「鶏」

二羽の視線は画面の中央で交差していた。主役じゃないけど、後ろの草もきれいに描かれていた。

 

荒木寛畝「鴫」 かわいい形だけれど、まなざし強く、自立した人格?を放っている鳥たち。

 

荒木寛畝「鴨」

妖しいほどの細密ぶり。青緑の首元は、宇宙的なほど。

寛畝の鳥の凄さには、省亭とはまた別の感嘆。

 

省亭も寛畝も、迎賓館だからきれいな絵なら間違いないだろみたいなところがない。外国人をお迎えする空間。日本の美意識にプライド持ってる感じ。

 

干支ルームの他の鳥たち。おおむね祝いのモチーフとして描かれていた。

岡本 秋暉「孔雀図」

シャープに高雅。高く跳ね上がる尾は弧を描いて登っていく。これを掛けたら、戦意高揚しそう。

気付くと、二羽いる。羽根も牡丹も妖しい域。

 

「打掛 紅綸子松竹梅鶴亀模様」 紅江戸~明治

豪華さに圧倒。縫い絞め絞り、鹿の子絞りで白く染め抜いてから、紅に染めていると。武家の婚礼衣装の様式だけれど、江戸末期には豪商も許されたとか。

金糸の刺繍の細やかさ。蓑ガメの顔がツボ。

 

海北友雪「花鳥図屏風」

昨年は禅画展で、父海北友松のダイナミックな屏風に驚いたけれど、子は雅び。春日局の推薦で家光に取り立てられた。花鳥図は珍しいのだそう。

 

最強の聖鳥、ガルーダと鳳凰も羽ばたいていた。

鳳凰は長い尾のところにうっとり。

狩衣の鳳凰は、紫地に金。雄雌(たぶん)の鳳凰がかわいいなあ。

 

「桐鳳凰漆絵硯箱」奥村文次郎 明治時代 漆が美しい。

桐の木の上空に鳳凰。鳳凰は桐の木に住み、竹の実を食べるのだとか。

 

ガルーダも登場していたのは面白い。スマトラ東南部のジャンビのバティック。

マハーバーラタに出てくる、ヴィシュヌ神が乗っている鳥。蛇神ナーガを退治するところから、毒蛇を食らう聖鳥であるという。


去年のお正月はこのお部屋は猿尽くしだったので、祈りの対象とか吉兆とかいう感じではなかったけれど、鳥には人間は古来から様々な思いをこめた。猿は、猿コミュニティーとか親子とか、「関わり」的な作品が多かったと記憶している。対して、鳥は個体の美しさ、神聖さに思いをのせる。

表現方法も傾向が違う。猿はもふもふだったり牧谿ざるだったり、水墨に向くのかな。鳥は水墨にも、極彩色にも、画にも衣にも、多彩。

 

来年はイヌ。アレが出るかな、なにが出るかな、と楽しみ。

 

 


●東博に初詣1 埴輪猿・松林図・李迪・仁清

2017-01-07 | Art

この日の東博の常設。 

三が日のイベントは終わってしまったけれど、まだお正月モード。

 

ひゅうと不思議な「埴輪猿」に捕まる。古墳時代6世紀 茨城県行方市置洲大日塚古墳

なんて邪気のない顔。両手と背中に?離痕があり、もとは子供を背負っていたらしい。背中を見遣るようなひねりはそのせい。子供、どこに行っちゃったんだろうね。どこかで出土してないんだろうか。

 

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長谷川等伯「松林図」は、昨年も観たのに同じ絵かと思うほど。揺さぶられる。

右隻の、激しい筆致は叫びのよう。去年もこんなに激しかっただろうか。等伯も亡き妻や息子を思っていたかもしれない。けっきょく絵は、どんな有名作でも、もうこの世のひとではない誰かが描いた痕跡。と無常感にさいなまれ始め、心を立て直したり。

横から強い風にはげしく押される。

そして大きな空白。風がぬけていく、大きな心の空白のよう。

それから上へ巻き上げられる。

意識が上へ飛んでいく。


左隻に移ると、遠くに山が見え、静かに木々が遠くから近くに。満ちていく大気の中で、意識が着陸していく。風が幾分収まったのかもしれない。大気の流れが右隻と少し違っている。

空間にも、木々の重なりが薄く。

足元にも余白の大気のところにも、うすく墨をひいていた。根元の方にも横に薄くひいていた。ここに等伯はどれだけいたんだろう。

左隻の松も筆致は荒いけれど、次第になびくように静かに。また満ちてくる大気、感情。

諦観、諦め、流され。失ったり去ったりしたあとに見える景色のように思えて、少し悲しくなった今年の松林図。

樹の根元に目が行ったのは、今年が初めてかもしれない。根を張るところもしっかり描いていた。等伯もここに足をつけて立っていた。

来年は、また違ったふうに感じるんだろう。と思ったら、来年のお正月は国宝ルームには展示されないらしい。

 

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二週間ほどの限定公開の、李迪の国宝へ直行。

15室 歴史の記録の部屋

 李迪「紅白芙蓉図」南宋時代 慶元3年(1197)

 
南宋「院体画」は、御舟も一時はまっていた。折に触れ日本の画家に影響したその本家本元。
 
朝のうちは白く、午後から色づき始める酔芙蓉。
左幅の白い芙蓉は少し青みがかって。朝のしんとした空気まで伝えてくる。
 
右幅は一輪は薄く色づき、もう一輪はより色を増して、昼すぎから夕方へのあいまいな時間の経過まで一枚に。
 
写実的で細密でありながら、ゆらめく気配を漂わせて、神秘的。
 
横にいた年配のグループの方々が、これ昔は東洋館にあったわよね、昔はもっと黒っぽくてよくわからなかったけど修復したのね、とおしゃべりしてたのを小耳にする。修復された方々の技術に感動。
 
 
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小川一馬Wikipedia)の静謐な写真。

「興福寺東金堂破損仏」1888

「金剛峯寺金堂内部」1888

明治15年に渡米し、ボストンの写真館で住み込みで学んだ技術。明治21年からは、九鬼伯爵らによる古美術文化財調査に加わり、文化財の調査撮影を行った。その写真自体が、いまや文化財になっている。

大政奉還後の廃仏毀釈で荒れた寺社。ひび割れ、摩耗した柱。無造作に立てかけられた仏像。静かに伝えてくる。

夏目漱石の肖像写真も小川一馬だったとは。

 

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仁清が数点。中学校の教科書で授業中にきれいだなあと見ていた仁清。実物に出会える幸せ。

野々村仁清「色絵月梅図茶壷」17世紀

後ろに回ってみると、月が。

ぐるっと一周歩く。

黒い梅の花。この情景が夜の闇の中であることに気付く。月は夜空と黒く反転し、雲が月光に照らされている。

一方の写真ではみえなかったところに、こんな月夜の世界が広がっていたとは。いまさらの発見、壺って360度の世界なのですね。

 

「錆絵山水図水差」仁清

逆さ三日月。仁清は水墨画風のさび絵(鉄絵)も腕が立つそう。ひび割れは関東大震災で破損したもの。なんと修復したのは六角紫水

 

「色絵梅花文茶碗」仁清 17世紀

なんてかわいい。金と赤と墨色の三色で。制限された中で、こんなに馥郁とした情感。お茶碗のほっくりとしたかたち、梅の花もつぼみもまるくてふっくら。心楽しくなるお茶椀。

 

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他にこの日の、鎌倉や室町の水墨や書で好きなものを置いておきましょう。

この時代のものは、気迫や内なる精神性のようなものが、筆にそのまま表出。

 

鎌倉末期では黙庵「白衣観音」 黙庵さんの顔はゆるくていいなあ。ほどける~。

 

 

一休さん、すごい。一筆で書き切る気迫

 

「山水図屏風」「秀峰」印 16世紀 は、名前もしらないけれど、しばらくこの屏風の中に漂う。

(クラーナハ画集を持った方が写りこんでしまった(すみません)。こうして見ると、山水とユディトの素敵な邂逅。)

 ふわりとした、モノクロの世界。墨がやわらかい。

 右隻

 もくもくとした雲と、どことなくかわいい村人にほっこり。

 ふわりとした中に、いくつかの濃い焦点。線だけで表現する山や岩の険しさ。微細な線も、ダイナミックで荒々しい線も見惚れてしまう、謎の「秀峰」さん。

右隻の最後は、湿った大気が充ち、スコールのような雨。

左隻は趣が一変。右隻は横の水平ラインなら、左隻は縦の垂直ライン。

薄日が差してきたところから始まる。

そして激しく切り立った山。筆を上から掃き下ろしたような、現実の形を超えた潔さが心地よい。ひとすじ塗り残した滝は、素直に重力に従う。

まるでナイアガラの滝のように、地球の核に収束。

 そしてそびえる雪山との合間に満ちてくる大気。

 この雄大な情景を見渡す高士に、私が見たものが凝集されるように移入して、収束。すばらしい体験だった。

この画家の中では、山も大気も岩も、形というより、「意」。

縦/横。ふんわりした筆/激しい筆。満ちるやわらかな大気/硬く澄んだ岩山。対比が面白い世界でもありました。

「秀峰」の名は不詳とのこと。"うねりと動きのある構図、猫背の人物は、雪村に近いが、雪村の号として「秀峰」は確認できない”と、思わせぶりな解説。今年は雪村展もあるので、心にとどめておいて確かめてみよう。


江戸絵画は次回に。