シャノンが定義した情報はビットで表現されるものです。
その情報に意味はありません。
一方、測定器が創発する測定値という情報には意味があります。
測定値情報は、入力量と基準量の比を意味するからです。
著名な哲学者チャーマーズは大著『意識する心ー脳と精神の根本理論を求めて』の中で一貫してシャノン流の情報を扱っています。
チャーマーズは、無意味な情報から意識が生じると考えています。
彼は、ミミズにも意識があると考えてもおかしくないとまで言います。
しかし、同著の27頁では意識しているとはクオリアを持つと同義であるとしています。
クオリアは感覚野が関係しているので、感覚野のないミミズに意識があってもおかしくないというのは矛盾しています。
シャノン流の意味のないビット情報がすべてであると考えるのは、情報概念に対してあまりにも狭い考え方に囚われることになります。
動物などの生命現象においては、意味のある情報が本質的な役割を果たしています。
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