ここでいうクオリアとは感覚質そのものを意味します。
例えば、真っ赤に染まる夕日を見たときに感じる感覚そのものです。
”赤い”という言葉ではありません。
このクオリアは、主観的なものであり、かつ、言葉では表現できません。
他にも、甘いとか酸っぱいとかいうときの感覚そのものを言葉で表現することは出来ません。
言葉で表現できないものを言葉で説明することは原理的に不可能です。
これが可能だとするとパラドックスに陥ります。
哲学者はクオリアを説明しようとしていますが、そのときの説明は言葉によるものです。
しかし、先の理由によりクオリアそのものを言葉で説明することは原理的に不可能です。
哲学者はクオリアに関する空しい議論を止めて、もっと生産的なテーマについて議論をすべきです。
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