亀の歩みで

急がず、慌てず、IT文化を楽しめたらいいと思っています。

夫の存在

2006-08-20 11:21:19 | Weblog
今夏 暑中見舞いを出したところ、ご主人と実母を相次いで亡くされたと返事を頂いた友達を電話で話をしました。
彼女は 
定年を迎えて、自治会の会長になって活躍していたご主人は病気になリ、外出が一人でできなくなってしまいました。
生来 前向きな彼女は、自分の仕事や趣味を忙しい時間をやりくりして、花の季節には花を見に、紅葉を見に、ご主人を車に乗せて、出かけていたそうです。
ご主人に加えて、実家の両親も高齢のため、手助けが必要をなり、東京まで車を走らせて通っていました。
初めの内 ご主人は一人で留守番ができていましたが、月日が経つ内に難しくなって、ショートステイを利用して、親の面倒を見に出かけていました。
高速道路を突っ走っても片道2時間を要します。
時折電話で話していましたが、いつも「くよくよしていてもしょうがない」と明るい彼女でした。
このような中、ご主人が治療のため血管拡張の手術を受けたのが昨年11月のこと。体力の回復を待って2回目の手術を春に予定していました。
一方年が明けて母親が肺炎の為に入院することになってしまいました。
そのため父親も施設に入れてもらわなくてならなくなり、慌てて探しましたが、急を要するため彼女の住いの近くには空が無くて、ちょっと離れている場所にたまたま新しくオープンしたばかりの施設に一時的に入れてもらったそうです。

ご主人を車に乗せては入院している母親を見舞うこともシバシバ。
ご主人と一緒に見舞っていたため、母と夫が久しぶりに楽しそうに「ずいぶん年をとった!」と語らっていたとか。
そうこうしている内に急に容態が悪くなった母親が亡くなってしまいました。

葬儀もひと段落着いて、ご主人の体力回復状態の検診に行った病院で、即刻入院と言われたものの、足は動かないため介護を必要としていても、夫婦の会話はいつもの通りだったので、
入院に必要なものもあるので明日来る と帰宅したところ、急変して病院から電話が入り、駆けつけた時には、器械は一本の線になってしまっていたそうです。
それから瞬く間に、母親の新盆、そして夫の新盆を終え、あっと言う間に月日が経っていったとか。
ご主人を亡くされた後は、施設にいる父親を月に数回は在宅介護をしなくてはならないため、東京の親の家に泊まり父の介護を余儀なくされていて、この8月だけでも、症状の違いは有っても診察を受けるため病院に連れていったのが8回もあったそうです。

そんな彼女が最後に語ったことは、
「主人が亡くなって、年金が58%に下がってしまい、固定資産税・新聞・電話・電気・ガスなど生活の殆どの物が2人居る時も1人も変わらず掛かるのに年金はこれだけ下がってしまうと生活が大変になってしまった。
それと、話したくても夫がいないことは辛い。
入院していても夫が生きていてくれることがどんなに良かったか
貴女 ご主人を大切にね!」