日本の100年

2007年03月13日 03時00分30秒 | Weblog
というわけで、先日友人に「何か面白い歴史の本はないかい?」と聞かれたので「ナショナル・ジオグラフィックが見た 日本の百年」という本を紹介しました。

日本のこの100年間の歴史を美しい写真や当時の記事とともに見せてくれるナショナルジオグラフィックの特集記事で、写真を見るだけでも面白いし、文章も当時日本が外国からどう見られていたかが分かって興味深いです。

3年ほど前に買ってみたものの当時はさして感銘も受けず長らく押入れにしまっておいた本ですが、今になって改めて読み返してみるとこれは本当に面白くて良い本です。塾の講師を始めてからというもの、自虐史観に偏った歴史教科書ばかり読んでいたからですかねえ・・・教科書は戦前の日本について悪いことしか書いてませんから。でもそれは歴史の一面でしかないわけで。

20世紀初頭の日本を訪れた外国人記者の記事の一節、「日本人ほど幸せで、日々の暮らしに満足している国民はいない」という言葉を読むと、なんだか胸がキュンとします。

で、今日塾でこの雑誌の記事を何部かコピーして、日本史を勉強している高校生にあげたんですが、凄く喜んでくれたので本当に良かった。これで少しでも歴史に興味を持ってくれるようになれば万々歳です。

最近、小、中、高生から「学校の社会の授業がつまらない」という愚痴を良く聞きます。「歴史なんて勉強して何の意味があんの?」なんて生徒もたまにいます。
こういった話を聞くたびに、学校の社会教師に対して憤りを覚えます。こんな大事な科目をきちんと教えることも出来ないようなひとが教師とは。
歴史を勉強する意義は、そこから教訓を学び取ること。
現在と過去を結び付け、そこから教訓を得るための媒介として歴史を学ぶ、という姿勢が大事だと思うわけで。
単なる暗記目的の世界史や日本史だったら、勉強する意味などあろう筈もないですよね。
それは手段の目的化であって、「性行為そのものよりも脱がすのが好き!」といった所謂フェチズムと何ら変わりません。

本来、歴史教育とは思考力を高めるために、もっとも重要な教育のひとつです。
それが無味乾燥な暗記科目になっているのが、日本の教育現場の現実。
歴史を学ぶ意義も教えられないような教師には、改めて教育が必要だと強く感じてしまう訳です。

愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ、とも言う訳だし。
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