皆さんこんばんは。ご無沙汰していますが元気にしていますか?
報告が遅くなってしまいましたが、お陰さまで手術も無事終わり、先日退院してきました。
温泉施設と見まごうばかりの快適な患者用大浴場があったり、待合室に「美味しんぼ」が全巻揃っていたり、スタッフも親切で、居心地が良過ぎて何だか退院したくなくなるくらい良い病院でした。
皆さんにはご心配お掛けしました。
また日記にコメント下さった方、本当にありがとうございました。
という訳で、今日は皆さんに別の報告もあります。
普段会えない人への近況報告の意味もありますし、ここからは長くなりますので興味のある方だけ読んでもらえれば結構です。
今回、8年間挑戦してきた司法試験受験を一旦凍結し、来月から地元の会社に就職する事に決めました。
どんな会社かというと、外房のいくつかの水産会社が連合して新しく立ち上げた外国人労働者の雇用・派遣をする為の会社で(要は外国人研修生の一次受け入れ機関ですね)、僕はそこで現地からの外国人の雇い入れや教育、各種労働法を基に彼らの労務管理を行う仕事をする事になりました。
現在、千葉県各地の漁港では働き手が不足しており、各漁港や水産会社ではその労働力の多くを中国人・フィリピン人等の外国人労働者に頼っている状況です。実際街を歩いていても非常に多くの外国人労働者を見かけます。若い働き手が減り、また日本の若者が汚れ仕事をやりたがらなくなっている中で、漁港に限らず肉体労働の現場においては、今後好むと好まざるとを問わず外国人労働力の需要は伸びていくんだろうと思います。
一方で、外国人労働者の紹介や派遣に当たって手数料や紹介料を吊り上げ、彼ら外国人労働者の人権や人格を無視して過酷な条件で外国人を働かせて利益を得ている違法紛いの一次受入機関も多いと聞きます。また実際現場でも、仕事の辛さや賃金の安さから職場から逃げ出してしまう外国人研修生も少なからず居ると聞きます。
そうした状況の中で、理想と正義感を持って新しい外国人受け入れ機関を立ち上げていく、というこの仕事には、非常に大きな意味があると思います。衰退しつつある日本の第一次産業に良質な労働力を提供し、また外国人労働者の教育や仕事を通じて彼らの誇りや文化を尊重し、彼らに日本で気持ち良く働いて貰う事も大事になってくるでしょう。そこから生まれてくる文化的な交流もあると思います。
いずれにせよ、まっさらな状態から仕事を作り上げていく事の出来るこの新しい会社で働く機会を得たことは、本当に大きなチャンスだと思いますし、今までの経験や知識も活かせる、非常に遣り甲斐のある仕事だと思います。
今回のこのお話は、いつもお世話になっている恩師の方から紹介して頂きました。
今まで自分がやってきた司法試験受験という、ともすれば非常に扱い辛い経歴を持つ自分を、こんなにも高く評価して頂き、またこんなにも遣り甲斐のある仕事を、そして責任のある仕事を任せて頂いたと言う事が、仕事をするにあたってどれだけ有難い事か、自分を紹介してくださった恩師と、自分と自分の過去の経歴を評価して頂いた会社には、本当にいくら感謝しても仕切れません。
そしてそれは、自分の仕事を通じて恩返ししていかなければならないのだと考えています。
こう書いてみると、もう最初から仕事やる気満々で、司法試験なんぞあっというまに綺麗サッパリ諦めたんかい、と言う感じに見えるかも知れませんが、決心をするまでには大分時間がかかりました。年明けに「こういう仕事があるんだが、働いてみないか」というお話を頂いてから、本当に死ぬ気で悩みました。
最初は一週間の猶予期間を頂き、それでも決心が付かず、十日間寝ずに悩んで考えて、文字通り食事も喉を通らず、ようやく出した結論です。
実を言うと、このお話を頂く前にも今後どうするかずっと悩んでいて、色々迷ってもう少し受験を頑張ろう、と言う決心をして、受験料や予備校資金、生活費を稼ぐ為に、塾講師の仕事の他に新たに新聞配達の仕事を始めたりもしていたのです。夕方から朝までは働いて、昼間は勉強時間にあて、親や彼女には本当に迷惑をかけることになるけれども、死ぬ気でもう少しだけ頑張ってみよう、と。
そんな決心をした後で頂いた話なので、これは本当に悩みました。
保守的な田舎で、まともに職に付かず受験勉強を続ける事に対する周囲からの重圧はキツイものがありました。どんなに高い理想があっても、どんなに両親や恋人を大切にしその理解を得ていても、ただ「定職に付いていない」というだけで蔑まれ、所詮アルバイトなんだから責任ある仕事はしていないのだろう、と何も知らない筈の赤の他人に罵られ、心が折れそうになる事もありました。受験仲間にしか解らないであろう、突然の試験制度変更の厚い壁に押しのけられそうにもなりました。
しかしその一方で、誰に愧ずべきものでもない自分の実現したい夢、実現したい仕事があり、その為に人知れず地道に続けてきた8年間の努力がありました。その努力を認めてくれた親友たち、いつも応援してくれた幾人もの友人、両親の想いや期待、陰に日向に、辛い時にいつでも笑顔で支えてくれた彼女の気持ち、今受験を止めてしまえば、それらを裏切る事になるのではないかと・・・。
今回、夢に一旦見切りをつけ、働く事にした詳しい経緯は、とてもここに書ききれるものではありません。
しかし、仕事をすると決めた以上、これに全力を尽くす覚悟は出来ました。
労務管理をするならば当然その資格を取らなければならないでしょうし、外国人の方々を相手にするならば語学もマスターしなければならない。中途半端な仕事をするつもりはありません。期待に応える為にも全力で事に当りたいと思います。
一方で、夢を諦めるつもりもありません。大学院進学は不可能になったとしても、今後始まる予備試験を受け、どんなに遠回りになっても、自分のやりたいある「仕事」だけは必ず実現させたいと思っています。
自分は糖尿病�型患者だし、どうせ人よりは長く生きられない。だからこそ、悔いのない人生を送りたい。後ろを振り向かなくても済むような人生を送る為にも、これからも日々全力で頑張って行きたいと思います。
これまで応援してくれた皆さん、これまで本当に有難う。
受験のたびに何かと気遣い世話をしてくれたタツユキ君。本当に感謝をしています。
こんな状態の自分に、大学院費用として大金を貸してくれるとまでいってくれ、「夢を諦めるな」と言ってくれたてらっちょさん、亀ちゃん。2人のその言葉だけでも、本当にどれだけ救われた事か。本当に本当に有難う。
優しく、時には厳しい言葉で叱咤激励してくれた大学写真部のみんな、田舎に引っ込んでしまいなかなか飲み会に参加出来ないというのに、いつもめげずに誘ってくれて有難う。
辛い時でも前向きにやってこられたのはみんなのお陰です。
僕が愚痴日記を書くたびにコメントで励ましてくれたマイミクの皆さん。ありがとう。
そして何より、傍でずっと支えてくれたむっちゃん。俺が笑顔を失わずに今までやってこられたのは、むっちゃんのお陰です。
皆さん、これまで応援してくれて有難うございました。
期待に応えられず本当に情けない限りです。ごめんなさい。
・・・しかし、夢に見切りをつける、と言う事が、一人の人間からこれほど気力や体力を奪うものだとは、自分自身想像も付きませんでした・・・
いつも一緒に居てくれた彼女には、本当に心配をかけてしまいました。
いつもありがとね。
これまでもそうでしたが、自分はもう今後、絶対に他人の夢を馬鹿にしたり、その努力を貶したりはしません。それをされると本当に辛いんだと言う事をこの8年間で身に染みて理解したから。
報告が遅くなってしまいましたが、お陰さまで手術も無事終わり、先日退院してきました。
温泉施設と見まごうばかりの快適な患者用大浴場があったり、待合室に「美味しんぼ」が全巻揃っていたり、スタッフも親切で、居心地が良過ぎて何だか退院したくなくなるくらい良い病院でした。
皆さんにはご心配お掛けしました。
また日記にコメント下さった方、本当にありがとうございました。
という訳で、今日は皆さんに別の報告もあります。
普段会えない人への近況報告の意味もありますし、ここからは長くなりますので興味のある方だけ読んでもらえれば結構です。
今回、8年間挑戦してきた司法試験受験を一旦凍結し、来月から地元の会社に就職する事に決めました。
どんな会社かというと、外房のいくつかの水産会社が連合して新しく立ち上げた外国人労働者の雇用・派遣をする為の会社で(要は外国人研修生の一次受け入れ機関ですね)、僕はそこで現地からの外国人の雇い入れや教育、各種労働法を基に彼らの労務管理を行う仕事をする事になりました。
現在、千葉県各地の漁港では働き手が不足しており、各漁港や水産会社ではその労働力の多くを中国人・フィリピン人等の外国人労働者に頼っている状況です。実際街を歩いていても非常に多くの外国人労働者を見かけます。若い働き手が減り、また日本の若者が汚れ仕事をやりたがらなくなっている中で、漁港に限らず肉体労働の現場においては、今後好むと好まざるとを問わず外国人労働力の需要は伸びていくんだろうと思います。
一方で、外国人労働者の紹介や派遣に当たって手数料や紹介料を吊り上げ、彼ら外国人労働者の人権や人格を無視して過酷な条件で外国人を働かせて利益を得ている違法紛いの一次受入機関も多いと聞きます。また実際現場でも、仕事の辛さや賃金の安さから職場から逃げ出してしまう外国人研修生も少なからず居ると聞きます。
そうした状況の中で、理想と正義感を持って新しい外国人受け入れ機関を立ち上げていく、というこの仕事には、非常に大きな意味があると思います。衰退しつつある日本の第一次産業に良質な労働力を提供し、また外国人労働者の教育や仕事を通じて彼らの誇りや文化を尊重し、彼らに日本で気持ち良く働いて貰う事も大事になってくるでしょう。そこから生まれてくる文化的な交流もあると思います。
いずれにせよ、まっさらな状態から仕事を作り上げていく事の出来るこの新しい会社で働く機会を得たことは、本当に大きなチャンスだと思いますし、今までの経験や知識も活かせる、非常に遣り甲斐のある仕事だと思います。
今回のこのお話は、いつもお世話になっている恩師の方から紹介して頂きました。
今まで自分がやってきた司法試験受験という、ともすれば非常に扱い辛い経歴を持つ自分を、こんなにも高く評価して頂き、またこんなにも遣り甲斐のある仕事を、そして責任のある仕事を任せて頂いたと言う事が、仕事をするにあたってどれだけ有難い事か、自分を紹介してくださった恩師と、自分と自分の過去の経歴を評価して頂いた会社には、本当にいくら感謝しても仕切れません。
そしてそれは、自分の仕事を通じて恩返ししていかなければならないのだと考えています。
こう書いてみると、もう最初から仕事やる気満々で、司法試験なんぞあっというまに綺麗サッパリ諦めたんかい、と言う感じに見えるかも知れませんが、決心をするまでには大分時間がかかりました。年明けに「こういう仕事があるんだが、働いてみないか」というお話を頂いてから、本当に死ぬ気で悩みました。
最初は一週間の猶予期間を頂き、それでも決心が付かず、十日間寝ずに悩んで考えて、文字通り食事も喉を通らず、ようやく出した結論です。
実を言うと、このお話を頂く前にも今後どうするかずっと悩んでいて、色々迷ってもう少し受験を頑張ろう、と言う決心をして、受験料や予備校資金、生活費を稼ぐ為に、塾講師の仕事の他に新たに新聞配達の仕事を始めたりもしていたのです。夕方から朝までは働いて、昼間は勉強時間にあて、親や彼女には本当に迷惑をかけることになるけれども、死ぬ気でもう少しだけ頑張ってみよう、と。
そんな決心をした後で頂いた話なので、これは本当に悩みました。
保守的な田舎で、まともに職に付かず受験勉強を続ける事に対する周囲からの重圧はキツイものがありました。どんなに高い理想があっても、どんなに両親や恋人を大切にしその理解を得ていても、ただ「定職に付いていない」というだけで蔑まれ、所詮アルバイトなんだから責任ある仕事はしていないのだろう、と何も知らない筈の赤の他人に罵られ、心が折れそうになる事もありました。受験仲間にしか解らないであろう、突然の試験制度変更の厚い壁に押しのけられそうにもなりました。
しかしその一方で、誰に愧ずべきものでもない自分の実現したい夢、実現したい仕事があり、その為に人知れず地道に続けてきた8年間の努力がありました。その努力を認めてくれた親友たち、いつも応援してくれた幾人もの友人、両親の想いや期待、陰に日向に、辛い時にいつでも笑顔で支えてくれた彼女の気持ち、今受験を止めてしまえば、それらを裏切る事になるのではないかと・・・。
今回、夢に一旦見切りをつけ、働く事にした詳しい経緯は、とてもここに書ききれるものではありません。
しかし、仕事をすると決めた以上、これに全力を尽くす覚悟は出来ました。
労務管理をするならば当然その資格を取らなければならないでしょうし、外国人の方々を相手にするならば語学もマスターしなければならない。中途半端な仕事をするつもりはありません。期待に応える為にも全力で事に当りたいと思います。
一方で、夢を諦めるつもりもありません。大学院進学は不可能になったとしても、今後始まる予備試験を受け、どんなに遠回りになっても、自分のやりたいある「仕事」だけは必ず実現させたいと思っています。
自分は糖尿病�型患者だし、どうせ人よりは長く生きられない。だからこそ、悔いのない人生を送りたい。後ろを振り向かなくても済むような人生を送る為にも、これからも日々全力で頑張って行きたいと思います。
これまで応援してくれた皆さん、これまで本当に有難う。
受験のたびに何かと気遣い世話をしてくれたタツユキ君。本当に感謝をしています。
こんな状態の自分に、大学院費用として大金を貸してくれるとまでいってくれ、「夢を諦めるな」と言ってくれたてらっちょさん、亀ちゃん。2人のその言葉だけでも、本当にどれだけ救われた事か。本当に本当に有難う。
優しく、時には厳しい言葉で叱咤激励してくれた大学写真部のみんな、田舎に引っ込んでしまいなかなか飲み会に参加出来ないというのに、いつもめげずに誘ってくれて有難う。
辛い時でも前向きにやってこられたのはみんなのお陰です。
僕が愚痴日記を書くたびにコメントで励ましてくれたマイミクの皆さん。ありがとう。
そして何より、傍でずっと支えてくれたむっちゃん。俺が笑顔を失わずに今までやってこられたのは、むっちゃんのお陰です。
皆さん、これまで応援してくれて有難うございました。
期待に応えられず本当に情けない限りです。ごめんなさい。
・・・しかし、夢に見切りをつける、と言う事が、一人の人間からこれほど気力や体力を奪うものだとは、自分自身想像も付きませんでした・・・
いつも一緒に居てくれた彼女には、本当に心配をかけてしまいました。
いつもありがとね。
これまでもそうでしたが、自分はもう今後、絶対に他人の夢を馬鹿にしたり、その努力を貶したりはしません。それをされると本当に辛いんだと言う事をこの8年間で身に染みて理解したから。
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