新年の初めが元旦・・・これは言葉としてほぼ理解できたのはいつだっただろうか?。
子供の頃は「元旦」と言うものだと思っていたから全く疑問などには思わなかった筈です。
年賀状にも書初めの名前のところにも書く「文字」ですから、文字としては知ってはいる。
「旦」は”一”と”日”を縦に並べた。
午前中と言うか朝だっと記憶している・・・形として水平線か地平線から日が昇って来る形だった筈:中国の文字が始まった頃の文化の中心地の地形を考えたらきっと地平線でしょうね。
そして「元」ですから一年の始まりを意味する。
さてさて、暇な事を考えています。
と言うのも、個人的でしょうが12月30日はどうも中途半端な感じの一日なので、考えることもまとまりが無いような気がします。
一年の始まりが元旦で最後が大晦日。
普段の月初めが月旦(この言葉に出会ったのは”三国志”の曹操についての記述から)で最後がただの晦日・・・大晦日とか言葉できちんと位置づけられた日と違って30日に名札を付けるとすると「大晦日の1日前」という事になりそうです。
本来ならば元旦であれ誕生日であれ生涯の中の1日に過ぎない・・・個人的に何かの区切りとしているか、社会全体で区切りとしているかは別として、いつものように日が昇り、いつものように日が沈む、何の変哲もないタダの1日。
紙と鉛筆で計算するとこれまでに2万数千日繰り返してきた事になる。
平均値ではあと1万日は続くかも・・・無理かもしれないが。
なんとなく暇でブルーな日です。
いつものようにネット碁に接続。
どうもタイミングが悪いようでしかるべき点数の相手がスタンバイしていません。
たまに同じくらいの人が「待ち」登録になっても「サンサン棋院」条件(持ち時間45分+時間を使いきったら1手30秒以内)・・・理由ははっきりしないけれど今日は「早碁」の気分なのです。
一手打つごとに秒読みが始まり・・・「10秒・・・20秒・・・」この緊張感が無いと今日みたいな日は気持ちが高まって行かない感じがするのです。
サンサン条件ですと初めから45分の持ち時間があるので、気持ちがゆったりは良いのですが、今日みたいな日はそれが弛緩に繋がりそうな感じがしてしまう。
マア、それでも規定で1手は最長5分以内に打つことにはなっていますが、それでも熟考と言うより気持ちが沈むような・・・。
対局しないで一時観戦に回りました。
中盤戦からの観戦・・・両者厳しく戦っているようには見えますが、どうも終盤を前に形勢が傾いているように感じます。
隅の占有率、辺、中央の模様は、まずは絵柄的な印象で判断(これは後で数えた結果と比較して印象が正しいかどうかのトレーニングみたいなもの)。
そして確定地と+アルファーの可能性を考察してヨセを考えて行きます。
これらは実際に打っている人とは別の見物人の作業ですから、着手を横目に見ながら数えると言う感じですね。
さて、盤上では半コウ絡みの争いが繰り返されています。
半コウを取って継ぐことが出来れば他に1目出来るので・・・「半コウ取り」・「相手が他に打つ」・「半コウ継ぐ」と言う一連の形ですから取りと継ぎで実際の大きさは2目、それについて自分で2手打つわけですから1手は1目の価値しかない・・・しかも相手が他に打つ手の評価があるので実際には1目以下、ここは一見大きく感じているのかもしれないが小さい場所。
しかし「相手が譲れないからこちらも譲るわけにはいかない」という心理かもしれません・・・こういうのが実戦心理と言うものだろうか?
実際には他に先手1目とか後手2目などいくつか転がっているのに・・・更に言うと「ここがどういう結果になろうと勝敗には影響が無い」のです。
俗に「碁に負けてもコウ負けるな」と言います・・・碁会所ではからかい半分の言葉でしょうが、素人としては気分としては理解できます。
ともかく最後まで打つと言う事で打っているのか
コウ勝った時点で投了する感じなのか
あるいは投了と言う文字は辞書にないのか
いくら暇な見物人としても、最後まで見る気持ちが薄れたところで対局室から離脱。
年末年始6連休は終わって見ればあっけ無いと思う筈ですが、年末と年始を分けてみると前半は「だらだらと過ごし」後半は「瞬く間に終わる」。
29日は「さあ今日から連休始まり」というような感じも有るけれど、30日は「大晦日の前の日」。
結局は「読書」「ネット碁」「TV」の三択の繰り返し・・・これをあと数千日繰り返すかも知れません。
今年最後の更新になりそうです。
今年も1年ありがとうございました。
来年もまた是非お付き合いのほどよろしくお願いします。
子供の頃は「元旦」と言うものだと思っていたから全く疑問などには思わなかった筈です。
年賀状にも書初めの名前のところにも書く「文字」ですから、文字としては知ってはいる。
「旦」は”一”と”日”を縦に並べた。
午前中と言うか朝だっと記憶している・・・形として水平線か地平線から日が昇って来る形だった筈:中国の文字が始まった頃の文化の中心地の地形を考えたらきっと地平線でしょうね。
そして「元」ですから一年の始まりを意味する。
さてさて、暇な事を考えています。
と言うのも、個人的でしょうが12月30日はどうも中途半端な感じの一日なので、考えることもまとまりが無いような気がします。
一年の始まりが元旦で最後が大晦日。
普段の月初めが月旦(この言葉に出会ったのは”三国志”の曹操についての記述から)で最後がただの晦日・・・大晦日とか言葉できちんと位置づけられた日と違って30日に名札を付けるとすると「大晦日の1日前」という事になりそうです。
本来ならば元旦であれ誕生日であれ生涯の中の1日に過ぎない・・・個人的に何かの区切りとしているか、社会全体で区切りとしているかは別として、いつものように日が昇り、いつものように日が沈む、何の変哲もないタダの1日。
紙と鉛筆で計算するとこれまでに2万数千日繰り返してきた事になる。
平均値ではあと1万日は続くかも・・・無理かもしれないが。
なんとなく暇でブルーな日です。
いつものようにネット碁に接続。
どうもタイミングが悪いようでしかるべき点数の相手がスタンバイしていません。
たまに同じくらいの人が「待ち」登録になっても「サンサン棋院」条件(持ち時間45分+時間を使いきったら1手30秒以内)・・・理由ははっきりしないけれど今日は「早碁」の気分なのです。
一手打つごとに秒読みが始まり・・・「10秒・・・20秒・・・」この緊張感が無いと今日みたいな日は気持ちが高まって行かない感じがするのです。
サンサン条件ですと初めから45分の持ち時間があるので、気持ちがゆったりは良いのですが、今日みたいな日はそれが弛緩に繋がりそうな感じがしてしまう。
マア、それでも規定で1手は最長5分以内に打つことにはなっていますが、それでも熟考と言うより気持ちが沈むような・・・。
対局しないで一時観戦に回りました。
中盤戦からの観戦・・・両者厳しく戦っているようには見えますが、どうも終盤を前に形勢が傾いているように感じます。
隅の占有率、辺、中央の模様は、まずは絵柄的な印象で判断(これは後で数えた結果と比較して印象が正しいかどうかのトレーニングみたいなもの)。
そして確定地と+アルファーの可能性を考察してヨセを考えて行きます。
これらは実際に打っている人とは別の見物人の作業ですから、着手を横目に見ながら数えると言う感じですね。
さて、盤上では半コウ絡みの争いが繰り返されています。
半コウを取って継ぐことが出来れば他に1目出来るので・・・「半コウ取り」・「相手が他に打つ」・「半コウ継ぐ」と言う一連の形ですから取りと継ぎで実際の大きさは2目、それについて自分で2手打つわけですから1手は1目の価値しかない・・・しかも相手が他に打つ手の評価があるので実際には1目以下、ここは一見大きく感じているのかもしれないが小さい場所。
しかし「相手が譲れないからこちらも譲るわけにはいかない」という心理かもしれません・・・こういうのが実戦心理と言うものだろうか?
実際には他に先手1目とか後手2目などいくつか転がっているのに・・・更に言うと「ここがどういう結果になろうと勝敗には影響が無い」のです。
俗に「碁に負けてもコウ負けるな」と言います・・・碁会所ではからかい半分の言葉でしょうが、素人としては気分としては理解できます。
ともかく最後まで打つと言う事で打っているのか
コウ勝った時点で投了する感じなのか
あるいは投了と言う文字は辞書にないのか
いくら暇な見物人としても、最後まで見る気持ちが薄れたところで対局室から離脱。
年末年始6連休は終わって見ればあっけ無いと思う筈ですが、年末と年始を分けてみると前半は「だらだらと過ごし」後半は「瞬く間に終わる」。
29日は「さあ今日から連休始まり」というような感じも有るけれど、30日は「大晦日の前の日」。
結局は「読書」「ネット碁」「TV」の三択の繰り返し・・・これをあと数千日繰り返すかも知れません。
今年最後の更新になりそうです。
今年も1年ありがとうございました。
来年もまた是非お付き合いのほどよろしくお願いします。
