今日(8月31日)は防災訓練で”初動職員”の訓練デー
いつもですと9月1日なんだけれど、今年はカレンダーの都合で一日繰り上がり
マアしかし大きな声ではいえないけれどたいしたことはやらない。
いや当たり前のことが出来ればいいのだからそれでヨシか
たとえば大きな地震があったとして、指定されえている職員は自宅から最寄の事務所に出勤して次の体勢に入る・・・”出勤訓練”だがこれとて経験しておかなくてはいけないのでしょう。
訓練のおかげで、いや、余波でいつものFさんとの昼休み碁はお流れ
Kさんは忙しそうだし・・・なので、前日にFさんと打った碁のある場面再現
彼は昨日の対局、安心していた隅に白からの様子見で変調をきたし、一隅全滅の事態になってしまった。
それでも数えれば白のリードは10目だと思うから4子は怖い。
但し”10目”はこの後互角に寄せ合っての話だから、伸びシロの反対の”縮みシロ”を考えたら15目くらいかも・・・
隅の頓死は30目をくだらない大きさだから、一隅くらいをもし捨てられたなら白も喜んでいられないことが多いのが分かります。
ともかく昨日は終局後Fさんは「何故死んだのか」首をひねっていた
私が思うに、隅の黒はその時点で「死ぬ石ではないが、”損ナシ”で生きるのは無理=数子は捨てなくてはいけない」状況だったのです。
そして黒から先に手を入れるとソックリ地になりそう・・・従って白は先に様子見を打って黒の出方をみて他に周り、先手でここに戻ろうという思惑
ところが彼は「1目も損の無い」ような受けを考えていた
つまり彼は「妥協」「凹み」は打ちたくなかったというより考えに無かったのでしょうね。
だから最強の頑張り=「蛮勇」に走ってしまった。
あ、しかしこういう評価は間違いかも知れない!?
もし時間があれば次のように考えるところ
①、まず”頑張る手”を採用するとどうなるか・・・生きならば後手でも問題ないが、もし”死”ならば手抜きして全部捨てる手は地の大きさがどうなるか
②、一部を捨てて生きについた時の地のバランスと先手後手
頑張っても生きが無いのならば捨てるか、一部捨てるしかない・・・
それで、状況が思わしくないなら再度頑張る手を読んで実行して、ダメなら投了!
どの道この辺りは時間をかけて読むところ
ここを素通りしているようではいくら昼休み碁でも・・・
手どころで読む>出入りの損得、その後の寄せ具合、こういう考慮時間も至福の時間だと思うのだけれど。
考えて考えて敵の腹中に手を発見したり、鮮やかに敵中突破みたいな手とは違って地味ではあり手間もかかるけれど地力を問われているような醍醐味を感じるのだけれど・・・
Fさんもこういう局面に敏感になって、興味を持って欲しいのです
何かこう一本調子で接触戦を繰り返すところがありそう
ともあれ彼は何故死んだのか首をひねるばかりだ
「死ぬはずの石では無かったですよ」といっても半信半疑だから「それではその場面を図にしましょう」と約束した。
ここで今日の昼休みのつながります
まず簡単に4分の1程度の罫線を引きます
ここにサインペンのお尻の○を使ってスタンプを押して行きます
更に黒石のところを黒の色鉛筆で塗りつぶし
問題の白の様子見の手の○の中に△印をつけてコピー
問題図を作ってみて・・・何のことは無い「生きるだけなら超簡単!」
死ぬ時ってそういうものなのかも知れない
これでは「冷静に打てば良い」という格言しか残りそうも無い
それだけでは不満
石をひとつも捨てずに生きるのは無理だから
どう打てば一番損が少ないのか?
最低限の生きを確保して他に回る手はあるか?
この後の寄せはどうなるか・・・
そこまで考えるようになれば進歩間違いないのだけれど高望みだろうか
私はそれを「出来る出来ない」ではなくて、まず「やろうとする姿勢」が問題だと思うのですが、彼には「昼休み碁ではとても無理」と片付けられそう
「終局を目標としない」
「考えることを楽しむ」
彼もそっちへシフチェンジしなくてはいけない時期が近いと思うのだが
いつもですと9月1日なんだけれど、今年はカレンダーの都合で一日繰り上がり
マアしかし大きな声ではいえないけれどたいしたことはやらない。
いや当たり前のことが出来ればいいのだからそれでヨシか
たとえば大きな地震があったとして、指定されえている職員は自宅から最寄の事務所に出勤して次の体勢に入る・・・”出勤訓練”だがこれとて経験しておかなくてはいけないのでしょう。
訓練のおかげで、いや、余波でいつものFさんとの昼休み碁はお流れ
Kさんは忙しそうだし・・・なので、前日にFさんと打った碁のある場面再現
彼は昨日の対局、安心していた隅に白からの様子見で変調をきたし、一隅全滅の事態になってしまった。
それでも数えれば白のリードは10目だと思うから4子は怖い。
但し”10目”はこの後互角に寄せ合っての話だから、伸びシロの反対の”縮みシロ”を考えたら15目くらいかも・・・
隅の頓死は30目をくだらない大きさだから、一隅くらいをもし捨てられたなら白も喜んでいられないことが多いのが分かります。
ともかく昨日は終局後Fさんは「何故死んだのか」首をひねっていた
私が思うに、隅の黒はその時点で「死ぬ石ではないが、”損ナシ”で生きるのは無理=数子は捨てなくてはいけない」状況だったのです。
そして黒から先に手を入れるとソックリ地になりそう・・・従って白は先に様子見を打って黒の出方をみて他に周り、先手でここに戻ろうという思惑
ところが彼は「1目も損の無い」ような受けを考えていた
つまり彼は「妥協」「凹み」は打ちたくなかったというより考えに無かったのでしょうね。
だから最強の頑張り=「蛮勇」に走ってしまった。
あ、しかしこういう評価は間違いかも知れない!?
もし時間があれば次のように考えるところ
①、まず”頑張る手”を採用するとどうなるか・・・生きならば後手でも問題ないが、もし”死”ならば手抜きして全部捨てる手は地の大きさがどうなるか
②、一部を捨てて生きについた時の地のバランスと先手後手
頑張っても生きが無いのならば捨てるか、一部捨てるしかない・・・
それで、状況が思わしくないなら再度頑張る手を読んで実行して、ダメなら投了!
どの道この辺りは時間をかけて読むところ
ここを素通りしているようではいくら昼休み碁でも・・・
手どころで読む>出入りの損得、その後の寄せ具合、こういう考慮時間も至福の時間だと思うのだけれど。
考えて考えて敵の腹中に手を発見したり、鮮やかに敵中突破みたいな手とは違って地味ではあり手間もかかるけれど地力を問われているような醍醐味を感じるのだけれど・・・
Fさんもこういう局面に敏感になって、興味を持って欲しいのです
何かこう一本調子で接触戦を繰り返すところがありそう
ともあれ彼は何故死んだのか首をひねるばかりだ
「死ぬはずの石では無かったですよ」といっても半信半疑だから「それではその場面を図にしましょう」と約束した。
ここで今日の昼休みのつながります
まず簡単に4分の1程度の罫線を引きます
ここにサインペンのお尻の○を使ってスタンプを押して行きます
更に黒石のところを黒の色鉛筆で塗りつぶし
問題の白の様子見の手の○の中に△印をつけてコピー
問題図を作ってみて・・・何のことは無い「生きるだけなら超簡単!」
死ぬ時ってそういうものなのかも知れない
これでは「冷静に打てば良い」という格言しか残りそうも無い
それだけでは不満
石をひとつも捨てずに生きるのは無理だから
どう打てば一番損が少ないのか?
最低限の生きを確保して他に回る手はあるか?
この後の寄せはどうなるか・・・
そこまで考えるようになれば進歩間違いないのだけれど高望みだろうか
私はそれを「出来る出来ない」ではなくて、まず「やろうとする姿勢」が問題だと思うのですが、彼には「昼休み碁ではとても無理」と片付けられそう
「終局を目標としない」
「考えることを楽しむ」
彼もそっちへシフチェンジしなくてはいけない時期が近いと思うのだが